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第1章 河童編
10情報屋はおまかせを
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「とりあえず、なんだ・・・。おつかれさん。」
チップが労いの言葉を投げかけたのは、目的地に到着して脱力し切った僕に対してだった。
額に流れ出す汗はこの炎天下だけではない。緊張に掻き立てられた冷や汗。
運転中は、その緊張で水分補給をする事すら忘れてしまい喉がカラカラだった。
例えるならばアスリートが全力で試合に臨み、コート上に満身の思いをぶつけた後の様。
硬直した筋肉は、運転という地獄から解放された事で溶けたアイスのように垂れる。
目的地であるタバコ屋に隣接するように車を駐停車させた。
雑踏ビル一階の一部にあり、昔ながらのタバコ屋だった。
人一人がギリギリ収まる程の大きさの窓、ショーケースにずらりと並ぶタバコ達。
その窓に佇むのは、通称“板さん“と呼ばれる老婆が暇そうにじっと外を眺めている。
奥には黒電話と真空管ラジオが置かれているのが見える。
僕たちは車から降り、例のタバコ屋へと足を運ぶ。
社長からは、一つ忠告があった。板さんに尋ねる時は、ちょっとした手順があるらしい。
「いいか、垂くん。板さんと目が合ったらこう言いたまえ。」
正直意味がわからないが、一種の隠語らしい。
僕たちは早速、店のカウンターに佇む板さんの前へと進む。
それに気付いた板さんは、細い目をこちらへ向けた。
「いらっしゃい・・。」
少し枯れた声で客を招き入れた板さんは、少し身を乗り出す。
「・・・最近、若葉も見なくなりましたね。」
本当にこれでいいのか?少し不安混じりで発したが、この言葉に反応した板さんは
目つきが少し変わり、じっとこちらを見ていた。そして、老いた唇が開く。
「ショートならまだあるよ、坊や。」
「それなら、電話を貸してください。確認がしたい。」
その言葉を聞いて大きく目を開いた板さんは、少し笑みを浮かべ首を縦に振る
どうやら所謂、隠語なるモノがあったようだ。
「・・・坊や、コマチちゃんのとこのかい?」
「はい、新人です。」
そう聞いた板さんは、二度優しく頷いた。すると僕の背後から聞き慣れた足音が聞こえる。
カツカツ、とコンクリートを革靴で蹴り上げる足音。それは自信に満ち溢れた音。
そう、言うまでもない。弊社の社長である。
腕を組みながら威風堂々を模した歩きで、こちらへ向かってくる。
その肩には、例のモジャモジャがマスコットのようにしがみ付いていた。
板さんも社長に気付いたのか、窓から手を伸ばしそのまま手を振る。
「コマチちゃーん!」
「やぁ、板さん。元気そうで。」
どうやら長い付き合いがある程の顔見知りのようだ。板さんの皺混じりの笑顔が光る。
何よりも板さんの甲高い掠れた女性の声は、古い友人にしか見せない様な声だった。
余程、うちの社長とは仲が良いのだろう。社長も満更ではなく、静かに笑っている。
「コマチちゃん。今日は、何が知りたいんだい?」
板さんは、カウンター越しに腕を組みながら前のめりになり伺う。
社長が来た事で終始ニコニコと笑顔を溢している。
それは、春の曙にひらりと舞う蝶を見る様に穏やかで、その傍らで囀る鳥の声を聞く様に。
「なぁ、メル。このお婆さん、何者なんだ?」
社長が板さんと談笑している間を縫って、僕の肩に飛び付いたメルへ尋ねる。
「彼女は、板見レイコ。んで、ここはちょっと特殊な情報屋だ。」
成程、それで板さんというわけか。うちの会社自体もだいぶ特殊なんだろうけど。
“ギフト”に纏わる案件を専門にした情報屋なのだろうか。
それでいてあの社長が頼る程だ。よっぽどの情報通なのか、はたまた・・・。
談笑を交わした社長は、人差し指を立てて会話の区切りにピリオドを打つ。
同行させて来たコツメを自分の傍まで手招きし、社長の前に立たせる。
「それで、板さん。今日知りたいのは、これなんだ。」
コツメの両肩をポンっと添えるように手を置いた。我が子を紹介する様な優しい手際で。
普段自信に満ち満ち、強情で向かい風知らずの社長にこんな一面があったのは意外だった。
「この子が持つ、尻子玉の持ち主を探したい。」
ハニーイエローの瞳が潤んだ視線で板さんを見つめる。
その目があった板さんは、その細い目で全てを測ったかのように一振り頷き呟く。
「坊ちゃんは、妖だね。名前はなんて言うんだい?」
「おいら、コツメ。」
コツメは臆する事なく、板さんに名乗る。初めて接した時とは段違いだ。
僕と初めて話した時とは打って変わって、あんなにビクビクと怯えながら話していたのに。
それでも帽子を深く被り顔を余り上げようとはしない。
「コツメちゃんね、めんこいねぇ。街に来るのは初めてなんだろう?」
うんうん!と言葉を身体で表す様に、昂る感情を原動力として二度頷く。
板さんは、コツメが妖怪とわかった上でも愛玩犬とも言える程、慈しみを添えていた。
瞬間、周りを見渡した社長はコツメの帽子に手を当て、囁くように口を開く。
「面子が多いと、ここでは流石に目立つな。板さん、上がらせて貰うよ。」
何かの視線を感じたのか、僕たちとは違う何かを察知したのか。
社長は後ろへ振り向く事はなく、自分の後ろ側へ指を指揮棒のように振っていた。
その刹那、ジュッと何かが燃え尽きたような音を発する。
気のせいなのかも知れないが、何か背筋がピリ付くような電流が走り込む感覚が生じた。
恐らく、念を越しての結界か何かを張り巡らせたのだろうか。
「構わないよ、上がっておくれ。」
そう言って板さんは、タバコ屋の出入り口へと指を差し、僕ら一行を迎え入れる。
タバコ屋の中は意外にも広く設計されており、カウンターとは別に事務室のような部屋がある。
和室のような造りとなっており、ちゃぶ台と畳みが置かれている何とも簡易的なところだった。
招き入れた僕たちと合わせる様に、板さんは黒電話と真空管ラジオをこさえてきた。
なぜ、わざわざそんな物を持って来たのだろうか。うちの社長以外、理解できていなかった。
僕たちは吸い込まれるようにその畳みに座り込む。チップだけは胡座をかき、皆正座していた。
「じゃあ、早速始めようかね。コツメちゃんと言ったかね。その尻子玉を見せておくれ。」
板さんは、準備が整ったのかコツメに尻子玉を出すよう指示する。
コツメは素直に従い、ちゃぶ台の上に尻子玉を差し出す。
この光景に難色を示していたチップは、思わず口を開く。
「なぁ、イサム。これ何なんだ?」
チップは聞こえないように耳当てで僕に問う。皆まで言うな、僕が知る訳が無い。
だから僕が言う台詞は決まっている。
「馬鹿、俺が知る訳ないだろ!」
僕とチップのやり取りに気付いたのか、静かに正座していた社長が振り向き目が合う。
「全く君たちは。」と言わんばかりの呆れ顔と溜め息を披露された。
眉間に人差し指を添え、考え込むというよりは部下の羞恥を洗い流さねばと抑え込み、
堪忍袋へと仕舞い込むような様だった。その袋のキャパシティがまだ余裕がある事を祈りたい。
その一方、板さんは自分の傍に尻子玉を置き、真空管ラジオの電源を入れて摘みを弄っていた。
電波のチューニングをするように摘みを左右に回しながら、電波帯を拾おうとしていた。
ブ、ブ・・・、ザ、ザザァァーーー。
砂嵐のようなノイズの音が響き渡る。
時折、ピューンっと電子音もなり、その度に板さんは、ラジオの摘みを微調整していた。
「おい、イサム。なんか始めたぞ!これ、あれか?電波系ってやつか?」
「多分違うし、悪魔のお前が電波系とか言うな。」
チップは見慣れない不思議な光景に少々引き気味で僕に聞いて来た。
やかましい悪魔を片手で払いのけ、その光景に唖然としながら口を紡んでしまった。
そんな僕らの隙をつくようにメルが語り始める。
「新人。今レイコがやってるのは、お前らで云うところの“口寄せ”ってやつだ。」
「口寄せって召喚術みたいな奴だろ?蛙とか蛇を呼び寄せるような。」
それを聞いた社長は、人差し指を自分の口元へと持っていき、その答えを話す。
「元来、潮来とは死んだ者の魂を呼び寄せ、更にその魂を自らの身体へと乗り移らせ
現世の者と対話させる役割なのだ。だが彼女は、その潮来の中でも特殊でな。
この方法で生き霊やマナ、精霊と対話が出来る潮来だ。そして、対話方法も他とは違う。」
ジリリリリリリリリリリィーー。
受話器を跳ね除けるような勢いで黒電話が鳴り響く。
黒電話の中にある錆びついたベルが煤混じりに奏でていた。ただ違和感は生じていた。
電話機だと云うのに電話線が無く、どこにも繋がっていないのだ。
一体どこにどう繋がっているのだろうか。
「・・・繋がったね。コツメちゃん、出ておくれ。」
「え・・・、おいらが?」
目を瞑ったまま板さんは、電話に出るようコツメに手を差し伸べる。
そうか、これは真空管ラジオと繋がっているのか。霊的な何かでだろうか。
コツメは、自分が対応するとは思っていなかったがために構えておらず驚いていた。
「これが彼女の口寄せだ。ラジオはマナのチューニング、電話は対話する為に。
そして板さんはその橋渡し。ただし、最も関わりがある者にしか対話は出来ないのだよ。」
腕を組みながら社長は説明してくれた。確かに常人では知り得ない情報が手に入る。
それでコツメを推薦したのか。そうしなければ、情報を聞き出す事ができないわけだ。
コツメは、鳴り響く黒電話の受話器を恐る恐る手に取る。
カチャンっと受話器のフックが外れた音と共に忙しく掻き鳴らすベルの音が止まる。
取り上げた受話器を自分の耳に当て、コツメは耳を澄ます。
ザ、ザザ・・・。まだノイズが混じっているようだ。ブ、ブと音が途切れ途切れだ。
受話器越しでもその音が漏れているのがわかる。
『ザザ・・、エヌダイガ・・ザ、・・・クビョ・・・ブッブツ、イン。』
ノイズ紛れに聞こえて来たのは、男の声だった。それもまだ若く、いや幼い少年の声だ。
N大学病院の事だろうか。この尻子玉の持ち主は、入院しているのか。
確かにM市付近には大きな病院は無く、大学病院程の設備や医療は充実していない。
原因不明の腑抜け状態、謂わば植物人間のような状態とあればM市の病院よりもまだマシだ。
「君の名前は・・・?」
コツメは、震えた声で電話越しに尋ねた。
「トリヤ・・・マ、・・・ザザァァ、ミズ・・・キ。」
トリヤマミズキ。それがこの尻子玉の持ち主の名前のようだ。
ツー、ツー・・・・。
そこで電話が切れたようで会話を終えていた。まだ場所と名前しかわかっていない。
大学病院は設備が充実してる分、取り扱う科目も幅広い。
具体的にどこの階層のどの部屋かわからないと探すのも病院に聞くのも怪しまれてしまう。
だがそう悩んでいた矢先、異様な光景はこの傍らで起きていた。
そう、僕らが黒電話での会話に気を取られている間、板さんはどこから取り出したのか
ノートパソコンを尋常じゃない速度でそのキーボードを叩き込み、目紛しく画面が動き回る。
ダダダっと高速でキーボードを叩き付ける度に、画面上に文字が濁流のように打ち込まれる。
自分の肩と首で衛星電話のようなものを挟み、どこかへ電話をしていた。
色んな意味で思ってた潮来と違う・・・。
「あぁ、そうだよ。N大学病院さ、そう。トリヤマミズキという少年を・・・。」
極めて口調は穏やかに話しているが、その光景は想像をし得ない状況だった。
それはどこかのスパイ映画に出てくる宛らハッカーのような人物を間近に見てるようである。
「社長・・・、板さんって何者なんですか?」
少し引き気味で僕は、社長に尋ねる。僕の顔を見た社長は少し笑みを浮かべ、こう告げた。
「驚いただろう、彼女はこの国の元諜報機関の特殊構成員に所属していたんだ。
これだけの情報が揃っていれば、居場所特定など赤子をあやすより容易い。」
自分たちの目の前にいるこの老婆は謂わば現代潮来であり、且つ元諜報機関の特殊構成員。
詰まるところ、当時のハッカーのような者なのだろうか。
見た目とは裏腹に、あまりにハイスペック過ぎて僕の頭の処理が追いつかない・・・。
固まってる僕とは対照的に、板さんはA6サイズ程のメモ紙に衛星電話から流れる音声を聞き取り、
腰を曲げた老婆とは思えない速度でメモ紙に鉛筆で書き記していた。
彼女が書き記した文字は「西棟403 個室」と殴り書きされており、そのメモ紙を引き破った。
引き破ったメモ紙は、瞬きをする頃には僕の目の前に差し出され、板さんは告げた。
「ほら、新人の坊や。ここにその子が居るよ、早く行っておやり。」
一仕事終えた板さんは満面の笑みを浮かべており、先程までの殺伐な光景はそこには無かった。
僕は差し出されたメモ紙を受け取り、立ち上がる。ずっと正座をしていたので、少し脚が痺れた。
「いつも助かるよ、板さん。さて、諸君。」
パンっと手を叩き、社長は話の区切りに栞を入れた。
肩に羽織っていたジャケットに珍しく腕を通し、見つめる視線はどこか険しかった。
コツメの同族もこちらの動きに迫ろうとしているのか。
恐らく一筋縄では行かないから、社長は張り詰めた表情を浮かべているのだろう。
このまま事無く済めばいいのだが。そう思い、僕たちは板さんの店を後にした。
いつの間にか外は、曇り空が広がり青空をグレイに染め上げようと覆い隠し始めていた。
これから夕立のような雨でも降り頻ろうというのだろうか。
「なんか、蒸し暑くね?」
そう愚痴を溢したのは、チップ。Tシャツをパタパタと仰ぎ、纏わり付く湿気を払う。
確かに先程までカラッと晴れた天気とは違い、また梅雨のような湿気混じりの空気が漂う。
まるで触れる空気が見えない霧で覆い隠されたように。
メルは何かに気付いたのか、頭頂部の毛をピンと逆立たせた。
どこかで見た事がある風貌で、妖気を感じ取ったアレのようだ。
当然、社長もそれに反応していた。険しい表情だった正体は、それなのかも知れない。
「ふむ・・・、少し遅かったか。」
指を咥えた社長が、眉を歪める。しかし、僕にはまだ何の事かよく分からない。
「諸君、どうやら花婿までの道は茨のようだ。」
見上げた曇り空がどんよりと辺りを暗がりへと変化させる。
どうやら、僕以外の者は気付いているようだ。コツメやチップですら警戒するように辺りを見回す。
見えない影がもう直ぐそこまで。襲撃は、間も無いようだ。
ポツリ。
大玉の雨粒が重圧の雲から一雫溢れ、轢かれたコンクリートを穿つ。雫が周囲に飛び弾けた。
大雨が降り掛かろうとまた一粒、そして一粒。合図を受けたように天より一斉放射される。
辺りは、強烈な雨で視界を惑わす。
「客人のようだ。まぁ、呼んだ覚えは無いがな。」
雨に紛れ、僕たちに忍び寄る客人。それはきっと決して歓迎されたものでは無いのだろう。
出来れば、穏便に事を済ましたいところだが・・・。
多分、血の気が多いこの人達には、『穏便』という言葉が皆無なんだ。
僕は諦めて、自分の胸に十字を切り覚悟を決めた。
チップが労いの言葉を投げかけたのは、目的地に到着して脱力し切った僕に対してだった。
額に流れ出す汗はこの炎天下だけではない。緊張に掻き立てられた冷や汗。
運転中は、その緊張で水分補給をする事すら忘れてしまい喉がカラカラだった。
例えるならばアスリートが全力で試合に臨み、コート上に満身の思いをぶつけた後の様。
硬直した筋肉は、運転という地獄から解放された事で溶けたアイスのように垂れる。
目的地であるタバコ屋に隣接するように車を駐停車させた。
雑踏ビル一階の一部にあり、昔ながらのタバコ屋だった。
人一人がギリギリ収まる程の大きさの窓、ショーケースにずらりと並ぶタバコ達。
その窓に佇むのは、通称“板さん“と呼ばれる老婆が暇そうにじっと外を眺めている。
奥には黒電話と真空管ラジオが置かれているのが見える。
僕たちは車から降り、例のタバコ屋へと足を運ぶ。
社長からは、一つ忠告があった。板さんに尋ねる時は、ちょっとした手順があるらしい。
「いいか、垂くん。板さんと目が合ったらこう言いたまえ。」
正直意味がわからないが、一種の隠語らしい。
僕たちは早速、店のカウンターに佇む板さんの前へと進む。
それに気付いた板さんは、細い目をこちらへ向けた。
「いらっしゃい・・。」
少し枯れた声で客を招き入れた板さんは、少し身を乗り出す。
「・・・最近、若葉も見なくなりましたね。」
本当にこれでいいのか?少し不安混じりで発したが、この言葉に反応した板さんは
目つきが少し変わり、じっとこちらを見ていた。そして、老いた唇が開く。
「ショートならまだあるよ、坊や。」
「それなら、電話を貸してください。確認がしたい。」
その言葉を聞いて大きく目を開いた板さんは、少し笑みを浮かべ首を縦に振る
どうやら所謂、隠語なるモノがあったようだ。
「・・・坊や、コマチちゃんのとこのかい?」
「はい、新人です。」
そう聞いた板さんは、二度優しく頷いた。すると僕の背後から聞き慣れた足音が聞こえる。
カツカツ、とコンクリートを革靴で蹴り上げる足音。それは自信に満ち溢れた音。
そう、言うまでもない。弊社の社長である。
腕を組みながら威風堂々を模した歩きで、こちらへ向かってくる。
その肩には、例のモジャモジャがマスコットのようにしがみ付いていた。
板さんも社長に気付いたのか、窓から手を伸ばしそのまま手を振る。
「コマチちゃーん!」
「やぁ、板さん。元気そうで。」
どうやら長い付き合いがある程の顔見知りのようだ。板さんの皺混じりの笑顔が光る。
何よりも板さんの甲高い掠れた女性の声は、古い友人にしか見せない様な声だった。
余程、うちの社長とは仲が良いのだろう。社長も満更ではなく、静かに笑っている。
「コマチちゃん。今日は、何が知りたいんだい?」
板さんは、カウンター越しに腕を組みながら前のめりになり伺う。
社長が来た事で終始ニコニコと笑顔を溢している。
それは、春の曙にひらりと舞う蝶を見る様に穏やかで、その傍らで囀る鳥の声を聞く様に。
「なぁ、メル。このお婆さん、何者なんだ?」
社長が板さんと談笑している間を縫って、僕の肩に飛び付いたメルへ尋ねる。
「彼女は、板見レイコ。んで、ここはちょっと特殊な情報屋だ。」
成程、それで板さんというわけか。うちの会社自体もだいぶ特殊なんだろうけど。
“ギフト”に纏わる案件を専門にした情報屋なのだろうか。
それでいてあの社長が頼る程だ。よっぽどの情報通なのか、はたまた・・・。
談笑を交わした社長は、人差し指を立てて会話の区切りにピリオドを打つ。
同行させて来たコツメを自分の傍まで手招きし、社長の前に立たせる。
「それで、板さん。今日知りたいのは、これなんだ。」
コツメの両肩をポンっと添えるように手を置いた。我が子を紹介する様な優しい手際で。
普段自信に満ち満ち、強情で向かい風知らずの社長にこんな一面があったのは意外だった。
「この子が持つ、尻子玉の持ち主を探したい。」
ハニーイエローの瞳が潤んだ視線で板さんを見つめる。
その目があった板さんは、その細い目で全てを測ったかのように一振り頷き呟く。
「坊ちゃんは、妖だね。名前はなんて言うんだい?」
「おいら、コツメ。」
コツメは臆する事なく、板さんに名乗る。初めて接した時とは段違いだ。
僕と初めて話した時とは打って変わって、あんなにビクビクと怯えながら話していたのに。
それでも帽子を深く被り顔を余り上げようとはしない。
「コツメちゃんね、めんこいねぇ。街に来るのは初めてなんだろう?」
うんうん!と言葉を身体で表す様に、昂る感情を原動力として二度頷く。
板さんは、コツメが妖怪とわかった上でも愛玩犬とも言える程、慈しみを添えていた。
瞬間、周りを見渡した社長はコツメの帽子に手を当て、囁くように口を開く。
「面子が多いと、ここでは流石に目立つな。板さん、上がらせて貰うよ。」
何かの視線を感じたのか、僕たちとは違う何かを察知したのか。
社長は後ろへ振り向く事はなく、自分の後ろ側へ指を指揮棒のように振っていた。
その刹那、ジュッと何かが燃え尽きたような音を発する。
気のせいなのかも知れないが、何か背筋がピリ付くような電流が走り込む感覚が生じた。
恐らく、念を越しての結界か何かを張り巡らせたのだろうか。
「構わないよ、上がっておくれ。」
そう言って板さんは、タバコ屋の出入り口へと指を差し、僕ら一行を迎え入れる。
タバコ屋の中は意外にも広く設計されており、カウンターとは別に事務室のような部屋がある。
和室のような造りとなっており、ちゃぶ台と畳みが置かれている何とも簡易的なところだった。
招き入れた僕たちと合わせる様に、板さんは黒電話と真空管ラジオをこさえてきた。
なぜ、わざわざそんな物を持って来たのだろうか。うちの社長以外、理解できていなかった。
僕たちは吸い込まれるようにその畳みに座り込む。チップだけは胡座をかき、皆正座していた。
「じゃあ、早速始めようかね。コツメちゃんと言ったかね。その尻子玉を見せておくれ。」
板さんは、準備が整ったのかコツメに尻子玉を出すよう指示する。
コツメは素直に従い、ちゃぶ台の上に尻子玉を差し出す。
この光景に難色を示していたチップは、思わず口を開く。
「なぁ、イサム。これ何なんだ?」
チップは聞こえないように耳当てで僕に問う。皆まで言うな、僕が知る訳が無い。
だから僕が言う台詞は決まっている。
「馬鹿、俺が知る訳ないだろ!」
僕とチップのやり取りに気付いたのか、静かに正座していた社長が振り向き目が合う。
「全く君たちは。」と言わんばかりの呆れ顔と溜め息を披露された。
眉間に人差し指を添え、考え込むというよりは部下の羞恥を洗い流さねばと抑え込み、
堪忍袋へと仕舞い込むような様だった。その袋のキャパシティがまだ余裕がある事を祈りたい。
その一方、板さんは自分の傍に尻子玉を置き、真空管ラジオの電源を入れて摘みを弄っていた。
電波のチューニングをするように摘みを左右に回しながら、電波帯を拾おうとしていた。
ブ、ブ・・・、ザ、ザザァァーーー。
砂嵐のようなノイズの音が響き渡る。
時折、ピューンっと電子音もなり、その度に板さんは、ラジオの摘みを微調整していた。
「おい、イサム。なんか始めたぞ!これ、あれか?電波系ってやつか?」
「多分違うし、悪魔のお前が電波系とか言うな。」
チップは見慣れない不思議な光景に少々引き気味で僕に聞いて来た。
やかましい悪魔を片手で払いのけ、その光景に唖然としながら口を紡んでしまった。
そんな僕らの隙をつくようにメルが語り始める。
「新人。今レイコがやってるのは、お前らで云うところの“口寄せ”ってやつだ。」
「口寄せって召喚術みたいな奴だろ?蛙とか蛇を呼び寄せるような。」
それを聞いた社長は、人差し指を自分の口元へと持っていき、その答えを話す。
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現世の者と対話させる役割なのだ。だが彼女は、その潮来の中でも特殊でな。
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ジリリリリリリリリリリィーー。
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黒電話の中にある錆びついたベルが煤混じりに奏でていた。ただ違和感は生じていた。
電話機だと云うのに電話線が無く、どこにも繋がっていないのだ。
一体どこにどう繋がっているのだろうか。
「・・・繋がったね。コツメちゃん、出ておくれ。」
「え・・・、おいらが?」
目を瞑ったまま板さんは、電話に出るようコツメに手を差し伸べる。
そうか、これは真空管ラジオと繋がっているのか。霊的な何かでだろうか。
コツメは、自分が対応するとは思っていなかったがために構えておらず驚いていた。
「これが彼女の口寄せだ。ラジオはマナのチューニング、電話は対話する為に。
そして板さんはその橋渡し。ただし、最も関わりがある者にしか対話は出来ないのだよ。」
腕を組みながら社長は説明してくれた。確かに常人では知り得ない情報が手に入る。
それでコツメを推薦したのか。そうしなければ、情報を聞き出す事ができないわけだ。
コツメは、鳴り響く黒電話の受話器を恐る恐る手に取る。
カチャンっと受話器のフックが外れた音と共に忙しく掻き鳴らすベルの音が止まる。
取り上げた受話器を自分の耳に当て、コツメは耳を澄ます。
ザ、ザザ・・・。まだノイズが混じっているようだ。ブ、ブと音が途切れ途切れだ。
受話器越しでもその音が漏れているのがわかる。
『ザザ・・、エヌダイガ・・ザ、・・・クビョ・・・ブッブツ、イン。』
ノイズ紛れに聞こえて来たのは、男の声だった。それもまだ若く、いや幼い少年の声だ。
N大学病院の事だろうか。この尻子玉の持ち主は、入院しているのか。
確かにM市付近には大きな病院は無く、大学病院程の設備や医療は充実していない。
原因不明の腑抜け状態、謂わば植物人間のような状態とあればM市の病院よりもまだマシだ。
「君の名前は・・・?」
コツメは、震えた声で電話越しに尋ねた。
「トリヤ・・・マ、・・・ザザァァ、ミズ・・・キ。」
トリヤマミズキ。それがこの尻子玉の持ち主の名前のようだ。
ツー、ツー・・・・。
そこで電話が切れたようで会話を終えていた。まだ場所と名前しかわかっていない。
大学病院は設備が充実してる分、取り扱う科目も幅広い。
具体的にどこの階層のどの部屋かわからないと探すのも病院に聞くのも怪しまれてしまう。
だがそう悩んでいた矢先、異様な光景はこの傍らで起きていた。
そう、僕らが黒電話での会話に気を取られている間、板さんはどこから取り出したのか
ノートパソコンを尋常じゃない速度でそのキーボードを叩き込み、目紛しく画面が動き回る。
ダダダっと高速でキーボードを叩き付ける度に、画面上に文字が濁流のように打ち込まれる。
自分の肩と首で衛星電話のようなものを挟み、どこかへ電話をしていた。
色んな意味で思ってた潮来と違う・・・。
「あぁ、そうだよ。N大学病院さ、そう。トリヤマミズキという少年を・・・。」
極めて口調は穏やかに話しているが、その光景は想像をし得ない状況だった。
それはどこかのスパイ映画に出てくる宛らハッカーのような人物を間近に見てるようである。
「社長・・・、板さんって何者なんですか?」
少し引き気味で僕は、社長に尋ねる。僕の顔を見た社長は少し笑みを浮かべ、こう告げた。
「驚いただろう、彼女はこの国の元諜報機関の特殊構成員に所属していたんだ。
これだけの情報が揃っていれば、居場所特定など赤子をあやすより容易い。」
自分たちの目の前にいるこの老婆は謂わば現代潮来であり、且つ元諜報機関の特殊構成員。
詰まるところ、当時のハッカーのような者なのだろうか。
見た目とは裏腹に、あまりにハイスペック過ぎて僕の頭の処理が追いつかない・・・。
固まってる僕とは対照的に、板さんはA6サイズ程のメモ紙に衛星電話から流れる音声を聞き取り、
腰を曲げた老婆とは思えない速度でメモ紙に鉛筆で書き記していた。
彼女が書き記した文字は「西棟403 個室」と殴り書きされており、そのメモ紙を引き破った。
引き破ったメモ紙は、瞬きをする頃には僕の目の前に差し出され、板さんは告げた。
「ほら、新人の坊や。ここにその子が居るよ、早く行っておやり。」
一仕事終えた板さんは満面の笑みを浮かべており、先程までの殺伐な光景はそこには無かった。
僕は差し出されたメモ紙を受け取り、立ち上がる。ずっと正座をしていたので、少し脚が痺れた。
「いつも助かるよ、板さん。さて、諸君。」
パンっと手を叩き、社長は話の区切りに栞を入れた。
肩に羽織っていたジャケットに珍しく腕を通し、見つめる視線はどこか険しかった。
コツメの同族もこちらの動きに迫ろうとしているのか。
恐らく一筋縄では行かないから、社長は張り詰めた表情を浮かべているのだろう。
このまま事無く済めばいいのだが。そう思い、僕たちは板さんの店を後にした。
いつの間にか外は、曇り空が広がり青空をグレイに染め上げようと覆い隠し始めていた。
これから夕立のような雨でも降り頻ろうというのだろうか。
「なんか、蒸し暑くね?」
そう愚痴を溢したのは、チップ。Tシャツをパタパタと仰ぎ、纏わり付く湿気を払う。
確かに先程までカラッと晴れた天気とは違い、また梅雨のような湿気混じりの空気が漂う。
まるで触れる空気が見えない霧で覆い隠されたように。
メルは何かに気付いたのか、頭頂部の毛をピンと逆立たせた。
どこかで見た事がある風貌で、妖気を感じ取ったアレのようだ。
当然、社長もそれに反応していた。険しい表情だった正体は、それなのかも知れない。
「ふむ・・・、少し遅かったか。」
指を咥えた社長が、眉を歪める。しかし、僕にはまだ何の事かよく分からない。
「諸君、どうやら花婿までの道は茨のようだ。」
見上げた曇り空がどんよりと辺りを暗がりへと変化させる。
どうやら、僕以外の者は気付いているようだ。コツメやチップですら警戒するように辺りを見回す。
見えない影がもう直ぐそこまで。襲撃は、間も無いようだ。
ポツリ。
大玉の雨粒が重圧の雲から一雫溢れ、轢かれたコンクリートを穿つ。雫が周囲に飛び弾けた。
大雨が降り掛かろうとまた一粒、そして一粒。合図を受けたように天より一斉放射される。
辺りは、強烈な雨で視界を惑わす。
「客人のようだ。まぁ、呼んだ覚えは無いがな。」
雨に紛れ、僕たちに忍び寄る客人。それはきっと決して歓迎されたものでは無いのだろう。
出来れば、穏便に事を済ましたいところだが・・・。
多分、血の気が多いこの人達には、『穏便』という言葉が皆無なんだ。
僕は諦めて、自分の胸に十字を切り覚悟を決めた。
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