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第1章 河童編
8.情報交換はおまかせを
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雨、暗闇の中で光を求めて駆け抜けて行く少年がいた。
冷たく不条理にも彼の心情心理を蝕むように、急かすようにその雨は少年へと叩き付ける。
荒い呼吸、一歩でも前へと地面を蹴り上げ、里から離れようと必死に走り続ける。
右手に握り締めた尻子玉は瑠璃色に輝き、塞いだその手の隙間から淡く輝きを覗かせていた。
少年の背後からは、別の複数の足音と罵声。「止まれ!」「どこへ持ち去ろうとする⁉︎」など。
光差し行く方角へ逃げる少年へと浴びせる。
少年は、それでも止まらない。同族たちの制止を振り払い、ひたすらに前へと走る。
「はぁ・・、はぁ・・、あの子に・・・。あの子に返さなきゃ。」
少年の硬い決心はその速度を緩めなかった。
その足がぬかるみに弄ばれ、体勢を崩し転んだとしてもすぐに立ち上がる。
泥塗れになった身体を払うまでもなく、スタミナなど気にする事なく一刻も早く返したい。
その思いだけが少年の唯一、原動力となって進む。
河童の一族は、尻子玉を搾取する事で晴れて一人前の河童として一族に認められる。
搾取した尻子玉は、水神様へと捧げられる。奉納し祭り、一族の繁栄と豊作を崇める為だ。
水神様へ捧げた尻子玉を取り上げ、持ち去ろうとするのだから、同族は黙っていられない。
直ぐ様、元に戻すべきだと激昂。
雨水で歪んだ獣道に再び、河童の少年は躓く。同族の追手は、すぐそこまで来ていた。
呼吸は心臓の高鳴る鼓動で乱れ、膝はガクついている。
また、立ち上がらなければならない。直ぐに震える脚を振り払い、前へ踏み出さなければ。
三叉の槍を携え、迫る同族の追手。捕まれば重罪。
齢短い少年であろうと容赦はないのだろう。
鋭く光を反射させた槍がちらつく。追手の影が見える。
もう捕まる。もうこの先には罪を受けるしかない。そう考え、諦めていた矢先。
一つの影が少年の前に立つ。
「お前は、馬鹿な弟だ。」
駆けつけたのは少年の兄だった。馬鹿だと罵ったがそこに敵意は無い。
土汚れた少年に対し手を差し伸べ、立ち上がらせる。
「コツメ。お前は何故、それを返そうと思ったんだ?」
兄弟だからこそ救いたい。一族の仕来りよりもその思いの方が勝っていた。
勿論、弟の加担をしてしまえば己にも罪は被さる。だが、いずれ受ける罪に関心は無かった。
コツメに対し真っ直ぐ目を見つめ、心情を理解しようとしていた。
「誰かの犠牲で、幸せになるのは嫌だよ。・・・兄ちゃん!」
犠牲。それは尻子玉を取られ腑抜けと化した人間のこと。一つの慈悲。
そして、その家族に対してだと少年は言葉を加える。
少年の兄は、両手を広げ庇うように立ち塞ぐ。それは追手をこれ以上進ませない為だ。
「行けよ、コツメ。お前はそうしたいんだろ?」
ゆっくりと追手が来る方角へと向き、立ち塞がる。
コツメは言葉を加えずに頷き、また光の差す方へと走り出す。振り向く事はもう出来ない。
この里へ戻ることはもう出来ないのだろう。それでも、元の者へと返したい。
やはりその思いだけが、コツメの足を動かす。
でも、自分の力だけでは難しいだろう。だからこそ、あそこなら。
そう、便箋小町なら・・・。きっとこの思いを届けてくれるだろう。
抱いた期待を胸に、少年は暗がりの雨の中、走り続ける。
「そうか、・・・わかった。では、そのままその子を連れて事務所まで来てくれ。
あぁ・・、あぁ。では後程。」
カラカラと異音を交えながら回り続ける定年退職をとっくに迎えている扇風機。
それでも、この室温は三十度から下回ることは無い。窓を開けてもほぼ無風。
制約上、出入り口の扉は出入りする時以外開ける事は出来ない。
苛立ちを露わにするコマチは、その絶妙な職場環境に対してだけではなかった。
「電話は終わりましたかな?コマチさん。」
机に頬杖を付き、不機嫌なコマチの目の前に立ち並ぶ複数の男達がいた。
その内の一人が両手を腰に組み、エンジ色のスーツを身に纏う男が笑みを浮かべていた。
綺麗な七三分けの茶髪、サイドはツーブロックで刈り上げた男。整った眉と顔立ち。
一七〇センチの背丈で、靴底まで新品のように綺麗に仕立て上げられていた。
胸元には、ペリドットが装飾されたループタイを身に付けている。
傍らには一八〇センチ程の高身長の老執事のような者も静かに佇んでおり、
黒を基調としたモーニングコートをシワ一つなく上品で、見事に着こなしている。
髪型は白髪混じりのオールバックだが、さらりと下ろした右側の前髪。
エレガント、と云う言葉を身体で具現させた佇まいは、ベテランの執事を演出していた。
髭は無く、彫りが深い。鋭い目つきは、日本人離れした顔立ちであった。
その者達の背後を守るように黒スーツとサングラスを身に纏ったガードマンが三人。
余程、その客人が気に食わないのかコマチは、机を指でトントンと叩き続けている。
「テンジョウ、何のようだ?」
眉を歪ませ、エンジ色のスーツを着た男へぶっきらぼうに問いかける。
それは、「今すぐ出ていけ。」と言い放つように突き放す様だった。
「今時、折り畳み携帯とは相変わらずですね。」
「生憎、物持ちが良い方なんでね。」
ふんっと鼻息を鳴らし、折り畳み携帯を閉じる。不機嫌に男へと睨みつける。
やれやれと両手を上げたテンジョウは、呆れた様子だった。
頬杖を付いた姿勢は変わらず、机を叩いていた指を彼に向ける。
「それで、大和コンツェルンのおぼっちゃまが何用かな?
結界は、かけたつもりなんだがな。」
「おぉ、あれは結界だったのですか?いや何、多少ピリつくと思ったが。
そうでしたか、あれは結界でしたかぁ。いやぁ、簡単に入れちゃいましたよ。」
ははは、と皮肉めいた笑いを誘うテンジョウ。
頭の血の沸点が上り詰めるコマチは、机を指で叩く速度と力が増していく。
その叩く衝撃はデスクに衝撃の波紋が浮かび上がりそうな程、沸々と怒りを現していた。
「ふむ、そうか。多少・・ね。その隠した両手の荒傷は、果たして別件だと幸いだな。」
この男の名は大和テンジョウ。大和コンツェルンの御曹司である。
街の建造物の殆どは彼の会社が担っており、その経営だけでなく貿易までと幅広い。
絵に描いたような一流企業である。しかし、彼の実態は妖怪。
テンジョウと名乗るこの男も、老執事、その背後に佇むガードマンでさえ。
コマチとは違い、いずれも半妖ではなく人間に化けた妖怪であり、昔馴染みの知人である。
「ぐぬ・・、そ、それはそうとコマチさん。最近、こんな噂を耳にしてませんか?」
「河童たちが何やら騒がしいようで。」
立てた人差し指を口元へあて、囁くように話す。
その言葉に反応したのかコマチは片目を開き、テンジョウの顔を覗く。
「相変わらず、耳が早いのだな。金にしか興味がないお前がどういう風なんだか。」
「ふん、女狐め。口を慎め!テンジョウ様の侮辱を申すなら女狐如き、容赦せんぞ?」
先程まで静かに佇んでいた老執事が憤りを見せる。
テンジョウを護るように片腕を広げ、それ以上の攻撃を抑止するように仲裁に入る。
際立つ冷静さから一変して鋭い眼光をコマチへと向けていた。
「おっと、山犬も居たのだったな。これは失敬。」
コマチは軽く手を挙げ、静止を促す。それ以上の口論は、何も産まないと判断したのだろう。
山犬と呼ばれた老執事は、テンジョウが右手を挙げると静かに再び目を閉じる。
まるで徹底的に訓練された警察犬、兵隊のようにテンジョウに対する忠誠心が露わに出ていた。
「爺、今日は争いに来たんじゃない。情報交換をしに来たんだ。」
「この爺、伏黒ヤスオミは。テンジョウ様に身も心も捧げております。
テンジョウ様に降り掛かる火の粉を護るのも、小生の役目でもあります。」
伏黒ヤスオミと名乗る老執事は、会釈した頭を下げたままテンジョウへと返す。
「ありがとう、爺。期待しているよ。」
直れ、と云うようにハンドサインを送り、ヤスオミの姿勢を戻すよう指示する。
ハンドサインに気付いたヤスオミは、静かに音を立てることなく頭を上げる。
一連の動作を流し見していたコマチも沈黙していた。下手な行動はできない。
多勢に無勢。と云うよりは、コマチの思考としては全くの別物だ。
勝てないわけではないが単に面倒臭い、この整理整頓された事務所を汚したくない。
だから、コマチも余計な争いに趣く気はなく、黙って彼らの話を伺っている。
早々に帰ってもらう為に。どうやら会話に休符が入ったようで、コマチも動く。
次の小節に進む為だ。深々と椅子に腰を掛け、腕を組む。
「で、どんな情報が欲しいんだ、テンジョウ?」
コマチの呼びかけにテンジョウは、視線をコマチの瞳へ向ける。
ニヤリと薄い笑みを浮かべたその表情は、友達や恋人にする目ではなかった。
御曹司と云えど場数を踏んだ一流企業の営業マンだ。
掛けた餌に獲物が喰い付いたかのように、ただ真意の感情は露呈させない。
しかし、コマチもその微妙な表情の変化を見逃さない。
むしろここは、[掛かりにきた]が正しいのだろう。
テンジョウも感化されたのかコマチと同じように腕を組み、問いかける。
「あなたを落とす方法、と言ったらどう受け止めます?コマチさん。」
「はぐらかすなよ。答えは、[今すぐ帰れ!]だ、テンジョウ。」
はぁ、とため息を漏らし、コマチは瞼を閉じる。それは呆れた表情。
ワンクッションを加えていたテンジョウは、まだ余裕がある。
必要な情報を聞く為に敢えてはぐらかす。コマチはわかっていた。
この男は一癖も二癖も面倒で扱いにくい相手であると。
その証拠にテンジョウは先程の薄い笑みは取り除き、目を細め確認に入る。
「冗談ですよ、本題に入ります。」
タンっと、フロアタイルを革靴で踏み込み一歩前へとコマチに近付く。
一種の小さな綻び。その綻びは僅かな殺気が装飾されていた。
「尻子玉を持った河童の少年は、こちらへ向かわれるのですか?」
どこで仕入れた情報なのか、テンジョウはコマチへ探りを入れる。
既に垂とチップが河童の少年と合流しているところまで把握しているのか。
テンジョウの情報網は未知数である。だが、恐らくこの男は把握している。
その上で、確証に迫ろうとしている。自分たちが最善に行動をする為に。
「知らんな。知っていても話すわけがなかろう。依頼主のプライバシーが第一だからな。」
「あぁ、垂さんと云いましたかな?中々良い人材を見つけたようで。」
「出来過ぎた噂話だな、秘密主義者は砂糖菓子を受け取らんぞ。」
「存じ上げてます。愚直に働く良い僕ではないですか。」
「辛うじてただの働き盛りなだけだ、そこの山犬と狸どもと一緒にするな。」
「中々うちは優秀ですよ。企業とは優秀な人材の数だけ成長するのですよ。」
「世迷言を。大層な職場環境だな、息が詰まる。」
「類は友を呼ぶと云えば、最近珍しい人材が入ったとか。違いましたか?」
「仮に珍しいという概念が君と同一だと胸が痛むがな。」
「何かの予見ですか?あなたが悪魔を従えると云うのも。」
「黙秘だな、見え透いた探りばかりで話すと思うか。」
「寡黙なあなたも好きなんですがね。」
「眠りが浅いんじゃないか、テンジョウ。情報が欲しいのならタバコ屋をお勧めするが?」
それぞれ会話が重なり合うように言葉の弾丸が飛び交う。
お互い腕を組み、言葉の攻防が繰り広げられた。それは一種の戦場に近い。
刹那の休符を置き、テンジョウが右手を挙げる。
「成程。・・・では忠告だけ。
河童の族が探し回っています。あなたも関わった以上、他人行儀とは行きませんよ?」
「愚問だな。私は便箋小町の社長だ。」
コマチは深々と座っていた椅子から立ち上がり、腕を組んだままテンジョウへと返す。
「希望のモノを無事に届けるのが私の仕事だからな。」
成程、と納得の表情を浮かべたテンジョウは、それ以上の心配は無いと判断したようだ。
豪語したコマチへ一礼し、後ろの男達を引き連れ事務所を後にした。
またお会いしましょう、と言葉を置き去りにして。
冷たく不条理にも彼の心情心理を蝕むように、急かすようにその雨は少年へと叩き付ける。
荒い呼吸、一歩でも前へと地面を蹴り上げ、里から離れようと必死に走り続ける。
右手に握り締めた尻子玉は瑠璃色に輝き、塞いだその手の隙間から淡く輝きを覗かせていた。
少年の背後からは、別の複数の足音と罵声。「止まれ!」「どこへ持ち去ろうとする⁉︎」など。
光差し行く方角へ逃げる少年へと浴びせる。
少年は、それでも止まらない。同族たちの制止を振り払い、ひたすらに前へと走る。
「はぁ・・、はぁ・・、あの子に・・・。あの子に返さなきゃ。」
少年の硬い決心はその速度を緩めなかった。
その足がぬかるみに弄ばれ、体勢を崩し転んだとしてもすぐに立ち上がる。
泥塗れになった身体を払うまでもなく、スタミナなど気にする事なく一刻も早く返したい。
その思いだけが少年の唯一、原動力となって進む。
河童の一族は、尻子玉を搾取する事で晴れて一人前の河童として一族に認められる。
搾取した尻子玉は、水神様へと捧げられる。奉納し祭り、一族の繁栄と豊作を崇める為だ。
水神様へ捧げた尻子玉を取り上げ、持ち去ろうとするのだから、同族は黙っていられない。
直ぐ様、元に戻すべきだと激昂。
雨水で歪んだ獣道に再び、河童の少年は躓く。同族の追手は、すぐそこまで来ていた。
呼吸は心臓の高鳴る鼓動で乱れ、膝はガクついている。
また、立ち上がらなければならない。直ぐに震える脚を振り払い、前へ踏み出さなければ。
三叉の槍を携え、迫る同族の追手。捕まれば重罪。
齢短い少年であろうと容赦はないのだろう。
鋭く光を反射させた槍がちらつく。追手の影が見える。
もう捕まる。もうこの先には罪を受けるしかない。そう考え、諦めていた矢先。
一つの影が少年の前に立つ。
「お前は、馬鹿な弟だ。」
駆けつけたのは少年の兄だった。馬鹿だと罵ったがそこに敵意は無い。
土汚れた少年に対し手を差し伸べ、立ち上がらせる。
「コツメ。お前は何故、それを返そうと思ったんだ?」
兄弟だからこそ救いたい。一族の仕来りよりもその思いの方が勝っていた。
勿論、弟の加担をしてしまえば己にも罪は被さる。だが、いずれ受ける罪に関心は無かった。
コツメに対し真っ直ぐ目を見つめ、心情を理解しようとしていた。
「誰かの犠牲で、幸せになるのは嫌だよ。・・・兄ちゃん!」
犠牲。それは尻子玉を取られ腑抜けと化した人間のこと。一つの慈悲。
そして、その家族に対してだと少年は言葉を加える。
少年の兄は、両手を広げ庇うように立ち塞ぐ。それは追手をこれ以上進ませない為だ。
「行けよ、コツメ。お前はそうしたいんだろ?」
ゆっくりと追手が来る方角へと向き、立ち塞がる。
コツメは言葉を加えずに頷き、また光の差す方へと走り出す。振り向く事はもう出来ない。
この里へ戻ることはもう出来ないのだろう。それでも、元の者へと返したい。
やはりその思いだけが、コツメの足を動かす。
でも、自分の力だけでは難しいだろう。だからこそ、あそこなら。
そう、便箋小町なら・・・。きっとこの思いを届けてくれるだろう。
抱いた期待を胸に、少年は暗がりの雨の中、走り続ける。
「そうか、・・・わかった。では、そのままその子を連れて事務所まで来てくれ。
あぁ・・、あぁ。では後程。」
カラカラと異音を交えながら回り続ける定年退職をとっくに迎えている扇風機。
それでも、この室温は三十度から下回ることは無い。窓を開けてもほぼ無風。
制約上、出入り口の扉は出入りする時以外開ける事は出来ない。
苛立ちを露わにするコマチは、その絶妙な職場環境に対してだけではなかった。
「電話は終わりましたかな?コマチさん。」
机に頬杖を付き、不機嫌なコマチの目の前に立ち並ぶ複数の男達がいた。
その内の一人が両手を腰に組み、エンジ色のスーツを身に纏う男が笑みを浮かべていた。
綺麗な七三分けの茶髪、サイドはツーブロックで刈り上げた男。整った眉と顔立ち。
一七〇センチの背丈で、靴底まで新品のように綺麗に仕立て上げられていた。
胸元には、ペリドットが装飾されたループタイを身に付けている。
傍らには一八〇センチ程の高身長の老執事のような者も静かに佇んでおり、
黒を基調としたモーニングコートをシワ一つなく上品で、見事に着こなしている。
髪型は白髪混じりのオールバックだが、さらりと下ろした右側の前髪。
エレガント、と云う言葉を身体で具現させた佇まいは、ベテランの執事を演出していた。
髭は無く、彫りが深い。鋭い目つきは、日本人離れした顔立ちであった。
その者達の背後を守るように黒スーツとサングラスを身に纏ったガードマンが三人。
余程、その客人が気に食わないのかコマチは、机を指でトントンと叩き続けている。
「テンジョウ、何のようだ?」
眉を歪ませ、エンジ色のスーツを着た男へぶっきらぼうに問いかける。
それは、「今すぐ出ていけ。」と言い放つように突き放す様だった。
「今時、折り畳み携帯とは相変わらずですね。」
「生憎、物持ちが良い方なんでね。」
ふんっと鼻息を鳴らし、折り畳み携帯を閉じる。不機嫌に男へと睨みつける。
やれやれと両手を上げたテンジョウは、呆れた様子だった。
頬杖を付いた姿勢は変わらず、机を叩いていた指を彼に向ける。
「それで、大和コンツェルンのおぼっちゃまが何用かな?
結界は、かけたつもりなんだがな。」
「おぉ、あれは結界だったのですか?いや何、多少ピリつくと思ったが。
そうでしたか、あれは結界でしたかぁ。いやぁ、簡単に入れちゃいましたよ。」
ははは、と皮肉めいた笑いを誘うテンジョウ。
頭の血の沸点が上り詰めるコマチは、机を指で叩く速度と力が増していく。
その叩く衝撃はデスクに衝撃の波紋が浮かび上がりそうな程、沸々と怒りを現していた。
「ふむ、そうか。多少・・ね。その隠した両手の荒傷は、果たして別件だと幸いだな。」
この男の名は大和テンジョウ。大和コンツェルンの御曹司である。
街の建造物の殆どは彼の会社が担っており、その経営だけでなく貿易までと幅広い。
絵に描いたような一流企業である。しかし、彼の実態は妖怪。
テンジョウと名乗るこの男も、老執事、その背後に佇むガードマンでさえ。
コマチとは違い、いずれも半妖ではなく人間に化けた妖怪であり、昔馴染みの知人である。
「ぐぬ・・、そ、それはそうとコマチさん。最近、こんな噂を耳にしてませんか?」
「河童たちが何やら騒がしいようで。」
立てた人差し指を口元へあて、囁くように話す。
その言葉に反応したのかコマチは片目を開き、テンジョウの顔を覗く。
「相変わらず、耳が早いのだな。金にしか興味がないお前がどういう風なんだか。」
「ふん、女狐め。口を慎め!テンジョウ様の侮辱を申すなら女狐如き、容赦せんぞ?」
先程まで静かに佇んでいた老執事が憤りを見せる。
テンジョウを護るように片腕を広げ、それ以上の攻撃を抑止するように仲裁に入る。
際立つ冷静さから一変して鋭い眼光をコマチへと向けていた。
「おっと、山犬も居たのだったな。これは失敬。」
コマチは軽く手を挙げ、静止を促す。それ以上の口論は、何も産まないと判断したのだろう。
山犬と呼ばれた老執事は、テンジョウが右手を挙げると静かに再び目を閉じる。
まるで徹底的に訓練された警察犬、兵隊のようにテンジョウに対する忠誠心が露わに出ていた。
「爺、今日は争いに来たんじゃない。情報交換をしに来たんだ。」
「この爺、伏黒ヤスオミは。テンジョウ様に身も心も捧げております。
テンジョウ様に降り掛かる火の粉を護るのも、小生の役目でもあります。」
伏黒ヤスオミと名乗る老執事は、会釈した頭を下げたままテンジョウへと返す。
「ありがとう、爺。期待しているよ。」
直れ、と云うようにハンドサインを送り、ヤスオミの姿勢を戻すよう指示する。
ハンドサインに気付いたヤスオミは、静かに音を立てることなく頭を上げる。
一連の動作を流し見していたコマチも沈黙していた。下手な行動はできない。
多勢に無勢。と云うよりは、コマチの思考としては全くの別物だ。
勝てないわけではないが単に面倒臭い、この整理整頓された事務所を汚したくない。
だから、コマチも余計な争いに趣く気はなく、黙って彼らの話を伺っている。
早々に帰ってもらう為に。どうやら会話に休符が入ったようで、コマチも動く。
次の小節に進む為だ。深々と椅子に腰を掛け、腕を組む。
「で、どんな情報が欲しいんだ、テンジョウ?」
コマチの呼びかけにテンジョウは、視線をコマチの瞳へ向ける。
ニヤリと薄い笑みを浮かべたその表情は、友達や恋人にする目ではなかった。
御曹司と云えど場数を踏んだ一流企業の営業マンだ。
掛けた餌に獲物が喰い付いたかのように、ただ真意の感情は露呈させない。
しかし、コマチもその微妙な表情の変化を見逃さない。
むしろここは、[掛かりにきた]が正しいのだろう。
テンジョウも感化されたのかコマチと同じように腕を組み、問いかける。
「あなたを落とす方法、と言ったらどう受け止めます?コマチさん。」
「はぐらかすなよ。答えは、[今すぐ帰れ!]だ、テンジョウ。」
はぁ、とため息を漏らし、コマチは瞼を閉じる。それは呆れた表情。
ワンクッションを加えていたテンジョウは、まだ余裕がある。
必要な情報を聞く為に敢えてはぐらかす。コマチはわかっていた。
この男は一癖も二癖も面倒で扱いにくい相手であると。
その証拠にテンジョウは先程の薄い笑みは取り除き、目を細め確認に入る。
「冗談ですよ、本題に入ります。」
タンっと、フロアタイルを革靴で踏み込み一歩前へとコマチに近付く。
一種の小さな綻び。その綻びは僅かな殺気が装飾されていた。
「尻子玉を持った河童の少年は、こちらへ向かわれるのですか?」
どこで仕入れた情報なのか、テンジョウはコマチへ探りを入れる。
既に垂とチップが河童の少年と合流しているところまで把握しているのか。
テンジョウの情報網は未知数である。だが、恐らくこの男は把握している。
その上で、確証に迫ろうとしている。自分たちが最善に行動をする為に。
「知らんな。知っていても話すわけがなかろう。依頼主のプライバシーが第一だからな。」
「あぁ、垂さんと云いましたかな?中々良い人材を見つけたようで。」
「出来過ぎた噂話だな、秘密主義者は砂糖菓子を受け取らんぞ。」
「存じ上げてます。愚直に働く良い僕ではないですか。」
「辛うじてただの働き盛りなだけだ、そこの山犬と狸どもと一緒にするな。」
「中々うちは優秀ですよ。企業とは優秀な人材の数だけ成長するのですよ。」
「世迷言を。大層な職場環境だな、息が詰まる。」
「類は友を呼ぶと云えば、最近珍しい人材が入ったとか。違いましたか?」
「仮に珍しいという概念が君と同一だと胸が痛むがな。」
「何かの予見ですか?あなたが悪魔を従えると云うのも。」
「黙秘だな、見え透いた探りばかりで話すと思うか。」
「寡黙なあなたも好きなんですがね。」
「眠りが浅いんじゃないか、テンジョウ。情報が欲しいのならタバコ屋をお勧めするが?」
それぞれ会話が重なり合うように言葉の弾丸が飛び交う。
お互い腕を組み、言葉の攻防が繰り広げられた。それは一種の戦場に近い。
刹那の休符を置き、テンジョウが右手を挙げる。
「成程。・・・では忠告だけ。
河童の族が探し回っています。あなたも関わった以上、他人行儀とは行きませんよ?」
「愚問だな。私は便箋小町の社長だ。」
コマチは深々と座っていた椅子から立ち上がり、腕を組んだままテンジョウへと返す。
「希望のモノを無事に届けるのが私の仕事だからな。」
成程、と納得の表情を浮かべたテンジョウは、それ以上の心配は無いと判断したようだ。
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