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86.君の望みならなんなりと

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 僕が命じる必要はない。ニルスが動く義理もない。ただ睨みつけるだけで事は足りた。動いた近衛騎士が、ユリウスを床に叩きつける。

「無礼なっ! 僕は皇弟だぞ。あ、兄上、何か言ってやってくださいっ!!」

 生まれは僕の次だから、確かに皇帝である僕の弟だ。だが皇弟ではなかった。そんな存在を僕は認めたことがないからね。ただ血が繋がるだけの他人だ。たまたま似たような顔をしていたから生かしておいただけ。宰相達が弟を隠れ蓑にして、横領や独断専行な振る舞いをしたことも、すでに調査済みだった。

「何か? ああ、そうだったね」

 期待の眼差しを向ける男ではなく、押さえつける騎士達に声をかける。

「ご苦労」

 君主として、部下を労うのは当たり前だった。そう告げた僕に悪態を吐きながら、弟だった者が会場から引きずり出される。足の先まで見えなくなったところで、僕はようやくトリシャの耳を塞いだ手を離した。

「トリシャ、踊ろうか」

「もう終わったのですか?」

 不安そうな彼女に、笑顔で頷いた。ざわつく周囲は、こんなに機嫌よく笑顔を振りまく僕を知らない。トリシャは貴族達の反応に驚いたのか、僕の顔を見上げた。その揺れる眼差しは、僕だけを頼って見つめる。僕をどこまで嬉しがらせたら気が済むのか。

 ちゅっと頬にキスを落として、彼女を下ろした。トリシャの隣に立ち上がると、慌てた楽団が曲を変更する。皇帝が踊るのはワルツから、なぜか慣習があった。他のダンスでもいいけど、最初だからワルツにしようか。

 咎めることなく階段を降りる。エスコートされるトリシャの左手がスカートを摘んで、優雅に歩く彼女の美しさに目を細めた。向かい合って一礼し、僕が差し伸べた手を取る銀髪の天使。愛らしい彼女に一歩距離を詰め、腰に手を回した。

 柔らかなボーンが入ったコルセットは、きつく締め付けている様子はない。だが細い腰は綺麗に形を保っていた。やはり細すぎる気がするね。もっとふくよかになってもらわなくちゃ。

 聞こえた音楽に合わせて足を踏み出す。合わせて足を引いたトリシャのステップは、見事の一言だった。くるりと回転して向きを変える。そこへソフィを連れたニルスが加わった。大公が合流したことで、他国の王族や公爵夫妻もホールに足を踏み入れる。

 互いに距離を測り、ぶつからないように同じ方向へ回る。トリシャの顔を見つめながら、僕は人の波をステップで泳ぎ続けた。踊るトリシャの頬が赤みを帯びる。化粧で色をつけるより、よほど愛らしい。

「楽しい?」

「はい。エリクと一緒ですから」

 怖くもないし、傷つけられる事もない。微笑んだトリシャの表情に、不安はなかった。自分を虐げた義理の家族は罪に問われ退場させられた。見せるか迷ったけど、この場で処断して正解だったみたいだ。宰相は追っ手をかけたし、舞踏会が終わる頃には決着がつけられるよ。

 くるりと回って最後に腰に手を回して支えた。背を反らしてぴたりと止まったトリシャの首を、さらりと銀髪が流れていく。首筋に噛みつきたくなる光景だね。

「シャンパンでもどうかな」

「苦くないですか?」

 甘いのなら飲みたいです。そう匂わせたトリシャに、僕は微笑みかけた。

「トリシャの望みなら、なんでも用意するよ」
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