60 / 173
60.ゆっくりと毒は回る
しおりを挟む
緊張しているのか、銀髪の娘は震えていた。それを玉座から見下ろしながら、僕は不思議な感覚に口元を緩める。同じ銀髪なのに、どうして嫌悪感しかないのか。震えるのはトリシャも同じだったのに、この娘には何も感じない。親に利用される同情も、哀れに思う気持ちの欠片もなかった。
やたらと胸元を強調するドレスは、親の意向か。本人の趣味か。どちらにしろ品がない。真っ赤な口紅も気に入らないし、ワインの試飲に香水をふんだんに着ける神経がおかしいよ。ワインの香りが飛んでしまう。侍従の表情も同じような嫌悪が滲んでいた。
封の開いたワイン瓶を手に近づいた彼女が、そっと瓶の口を傾ける。グラスを持つ僕の前で瓶からワインを注いだ。空気が抜けるコポコポという軽い音、そして慣れた所作でワイン瓶を戻した娘は微笑んだ。
「ご苦労、下がれ」
冷たい声が響く。これがトリシャだったら、注ぐのは僕だっただろう。彼女の細い腕にワイン瓶など重すぎるし、僕は彼女に酌をさせる気はなかった。だから僕が「美味しいよ」と注いで……いっそ口移しで飲ませるのも悪くないね。上手に飲めたら褒美のキスを、もし溢れたらそのワインを舐めて、首筋に赤い刻印を刻もうか。
銀髪を見て浮かんだのは、そんな妄想だった。銀髪というだけでトリシャを思い浮かべる。考え事をしながら口をつけたワインの味に、僕は眉を寄せた。腐っているのとも違う、妙な痺れが残る。見下ろした段下の伯爵の口元が歪むのを見て、事情を悟った。
即効性じゃない毒か。毒見役を見ると真っ赤な顔で呼吸が荒い。口の中で転がしたワインを、僕は意味ありげに飲み干した。弱みを見せるくらいなら、多少の苦しみは耐えてみせる。少しでも弱点を晒したら、あっという間に突かれる宮廷を生き抜いた僕に、馬鹿な真似をしたものだ。
「いかがでしょうか、皇帝陛下」
「僕の口に合わない」
一言で切り捨てて、ひとつ溜め息を吐いた。毒見の反応からして、病に見せかけて殺す毒みたいだね。なら早めに部屋に戻って、解毒用の薬草を……そこまで考えた時ニルスが先に動いた。
「陛下、急ぎの書類がございます」
抜け出す口実を用意した執事に頷き、僕は立ち上がった。
「ご苦労だった。今回の褒美は取らせよう。だが舞踏会への納品は不要だ」
じわりと体に熱が溜まり始める。ちらりと視線を向けた伯爵は、娘に何かを囁いた。口元が見えず、話が読めない。しかし構う時間が惜しかった。立ち上がって歩き出した僕は廊下の涼しさに、襟元を指で乱暴に緩める。
熱い。
「毒消しを大至急だ。あのワインをすぐに回収させろ。それから……」
指示を出すニルスの声が遠い。倒れることはないが、体が怠かった。
「陛下、しっかりなさいませ。なぜ飲まれたのか」
吐き出してやれば良かったのです! 憤るニルスに、口角を持ち上げて笑った。執務室に戻り、長椅子に重い体を放り出す。シャツを乱暴にくつろげ、乱れ始めた息で大きく胸元を揺らした。
「そう怒るな、伯爵の後ろに誰かいると思わないか」
臆病な小鼠が、わざわざ巣穴から出てきた。それも卑屈な作り笑いを引っ提げて……誰か後ろで操る者がいる。黒幕を引き摺り出すためだ。そう告げた僕の前に、さっとマルスが進み出た。
アレスが扉の脇に身を寄せ、ドアノブに手をかけた。頷く僕の合図で、ドアが開く。たたらを踏んで飛び込んだのは、銀髪の娘だった。
やたらと胸元を強調するドレスは、親の意向か。本人の趣味か。どちらにしろ品がない。真っ赤な口紅も気に入らないし、ワインの試飲に香水をふんだんに着ける神経がおかしいよ。ワインの香りが飛んでしまう。侍従の表情も同じような嫌悪が滲んでいた。
封の開いたワイン瓶を手に近づいた彼女が、そっと瓶の口を傾ける。グラスを持つ僕の前で瓶からワインを注いだ。空気が抜けるコポコポという軽い音、そして慣れた所作でワイン瓶を戻した娘は微笑んだ。
「ご苦労、下がれ」
冷たい声が響く。これがトリシャだったら、注ぐのは僕だっただろう。彼女の細い腕にワイン瓶など重すぎるし、僕は彼女に酌をさせる気はなかった。だから僕が「美味しいよ」と注いで……いっそ口移しで飲ませるのも悪くないね。上手に飲めたら褒美のキスを、もし溢れたらそのワインを舐めて、首筋に赤い刻印を刻もうか。
銀髪を見て浮かんだのは、そんな妄想だった。銀髪というだけでトリシャを思い浮かべる。考え事をしながら口をつけたワインの味に、僕は眉を寄せた。腐っているのとも違う、妙な痺れが残る。見下ろした段下の伯爵の口元が歪むのを見て、事情を悟った。
即効性じゃない毒か。毒見役を見ると真っ赤な顔で呼吸が荒い。口の中で転がしたワインを、僕は意味ありげに飲み干した。弱みを見せるくらいなら、多少の苦しみは耐えてみせる。少しでも弱点を晒したら、あっという間に突かれる宮廷を生き抜いた僕に、馬鹿な真似をしたものだ。
「いかがでしょうか、皇帝陛下」
「僕の口に合わない」
一言で切り捨てて、ひとつ溜め息を吐いた。毒見の反応からして、病に見せかけて殺す毒みたいだね。なら早めに部屋に戻って、解毒用の薬草を……そこまで考えた時ニルスが先に動いた。
「陛下、急ぎの書類がございます」
抜け出す口実を用意した執事に頷き、僕は立ち上がった。
「ご苦労だった。今回の褒美は取らせよう。だが舞踏会への納品は不要だ」
じわりと体に熱が溜まり始める。ちらりと視線を向けた伯爵は、娘に何かを囁いた。口元が見えず、話が読めない。しかし構う時間が惜しかった。立ち上がって歩き出した僕は廊下の涼しさに、襟元を指で乱暴に緩める。
熱い。
「毒消しを大至急だ。あのワインをすぐに回収させろ。それから……」
指示を出すニルスの声が遠い。倒れることはないが、体が怠かった。
「陛下、しっかりなさいませ。なぜ飲まれたのか」
吐き出してやれば良かったのです! 憤るニルスに、口角を持ち上げて笑った。執務室に戻り、長椅子に重い体を放り出す。シャツを乱暴にくつろげ、乱れ始めた息で大きく胸元を揺らした。
「そう怒るな、伯爵の後ろに誰かいると思わないか」
臆病な小鼠が、わざわざ巣穴から出てきた。それも卑屈な作り笑いを引っ提げて……誰か後ろで操る者がいる。黒幕を引き摺り出すためだ。そう告げた僕の前に、さっとマルスが進み出た。
アレスが扉の脇に身を寄せ、ドアノブに手をかけた。頷く僕の合図で、ドアが開く。たたらを踏んで飛び込んだのは、銀髪の娘だった。
11
お気に入りに追加
3,471
あなたにおすすめの小説
最後にひとつだけお願いしてもよろしいでしょうか
鳳ナナ
恋愛
第二王子カイルの婚約者、公爵令嬢スカーレットは舞踏会の最中突然婚約破棄を言い渡される。
王子が溺愛する見知らぬ男爵令嬢テレネッツァに嫌がらせをしたと言いがかりを付けられた上、
大勢の取り巻きに糾弾され、すべての罪を被れとまで言われた彼女は、ついに我慢することをやめた。
「この場を去る前に、最後に一つだけお願いしてもよろしいでしょうか」
乱れ飛ぶ罵声、弾け飛ぶイケメン──
手のひらはドリルのように回転し、舞踏会は血に染まった。
6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった
白雲八鈴
恋愛
私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。
もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。
ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。
番外編
謎の少女強襲編
彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。
私が成した事への清算に行きましょう。
炎国への旅路編
望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。
え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー!
*本編は完結済みです。
*誤字脱字は程々にあります。
*なろう様にも投稿させていただいております。
【完結済】逆恨みで婚約破棄をされて虐待されていたおちこぼれ聖女、隣国のおちぶれた侯爵家の当主様に助けられたので、恩返しをするために奮闘する
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
偉大な聖女であった母を持つ、落ちこぼれ聖女のエレナは、婚約者である侯爵家の当主、アーロイに人殺しの死神として扱われ、牢に閉じ込められて酷い仕打ちを受ける日々を送っていた。
そんなエレナは、今は亡き母の遺言に従って、必死に耐える日々を送っていたが、同じ聖女の力を持ち、母から教えを受けていたジェシーによってアーロイを奪われ、婚約破棄を突き付けられる。
ここにいても、ずっと虐げられたまま人生に幕を下ろしてしまう――そんなのは嫌だと思ったエレナは、二人の結婚式の日に屋敷から人がいなくなった隙を突いて、脱走を決行する。
なんとか脱走はできたものの、著しく落ちた体力のせいで川で溺れてしまい、もう駄目だと諦めてしまう。
しかし、偶然通りかかった隣国の侯爵家の当主、ウィルフレッドによって、エレナは一命を取り留めた。
ウィルフレッドは過去の事故で右の手足と右目が不自由になっていた。そんな彼に恩返しをするために、エレナは聖女の力である回復魔法を使うが……彼の怪我は深刻で、治すことは出来なかった。
当主として家や家族、使用人達を守るために毎日奮闘していることを知ったエレナは、ウィルフレッドを治して幸せになってもらうために、彼の専属の聖女になることを決意する――
これは一人の落ちこぼれ聖女が、体が不自由な男性を助けるために奮闘しながら、互いに惹かれ合って幸せになっていく物語。
※全四十五話予定。最後まで執筆済みです。この物語はフィクションです。
魔力ゼロの出来損ない貴族、四大精霊王に溺愛される
日之影ソラ
ファンタジー
魔法使いの名門マスタローグ家の次男として生をうけたアスク。兄のように優れた才能を期待されたアスクには何もなかった。魔法使いとしての才能はおろか、誰もが持って生まれる魔力すらない。加えて感情も欠落していた彼は、両親から拒絶され別宅で一人暮らす。
そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。
HOTランキング&ファンタジーランキング1位達成!!
夫と妹に裏切られて全てを失った私は、辺境地に住む優しい彼に出逢い、沢山の愛を貰いながら居場所を取り戻す
夏目萌
恋愛
レノアール地方にある海を隔てた二つの大国、ルビナとセネルは昔から敵対国家として存在していたけれど、この度、セネルの方から各国の繁栄の為に和平条約を結びたいと申し出があった。
それというのも、セネルの世継ぎであるシューベルトがルビナの第二王女、リリナに一目惚れした事がきっかけだった。
しかしリリナは母親に溺愛されている事、シューベルトは女好きのクズ王子と噂されている事から嫁がせたくない王妃は義理の娘で第一王女のエリスに嫁ぐよう命令する。
リリナには好きな時に会えるという条件付きで結婚に応じたシューベルトは当然エリスに見向きもせず、エリスは味方の居ない敵国で孤独な結婚生活を送る事になってしまう。
そして、結婚生活から半年程経ったある日、シューベルトとリリナが話をしている場に偶然居合わせ、実はこの結婚が自分を陥れるものだったと知ってしまい、殺されかける。
何とか逃げる事に成功したエリスはひたすら逃げ続け、力尽きて森の中で生き倒れているところを一人の男に助けられた。
その男――ギルバートとの出逢いがエリスの運命を大きく変え、全てを奪われたエリスの幸せを取り戻す為に全面協力を誓うのだけど、そんなギルバートには誰にも言えない秘密があった。
果たして、その秘密とは? そして、エリスとの出逢いは偶然だったのか、それとも……。
これは全てを奪われた姫が辺境地に住む謎の男に溺愛されながら自分を陥れた者たちに復讐をして居場所を取り戻す、成り上がりラブストーリー。
※ ファンタジーは苦手分野なので練習で書いてます。設定等受け入れられない場合はすみません。
※他サイト様にも掲載中。
【R18・BL】人間界の王子様とハーフヴァンパイアが結ばれるまでの話
あかさたな!
BL
このお話は予告なくR指定な内容が含まれています(9割はR指定かもしれません)
このお話は人間界の王子とハーフヴァンパイアのラブストーリー。
執着気味なハーフヴァンパイアの熱烈なアピールに掌の上で転がされていく王子が多いです。
体で繋ぎ止めたいハーフヴァンパイアと結構そういう方面に疎いまじめな王子が色々されていく日常です。
ーーーーー
2022.3タイトル変更します!
(仮)→ 人間界の王子様とハーフヴァンパイアが結ばれるまでの話
2022/03/08 完結いたしました。
最後までお付き合いいただき、大変励みになりました。
ありがとうございます。
これからもこのお話を末長く楽しんでいただけると幸いです。
異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~
水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート!
***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!
私を裏切った相手とは関わるつもりはありません
みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。
未来を変えるために行動をする
1度裏切った相手とは関わらないように過ごす
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる