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第6章 寝返りは青薔薇の香り
6-24.美談も噂も、戦略の名の下に
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夜戦の翌朝から、ラユダは積極的に噂をばらまいた。
アスター国の王太子が、シュミレ国にケンカを売った。この国の宰相は王族を見捨てて逃げている。王太子はすでに死んだらしい。
尾ひれ背びれの付いた噂がアスター王城に届く頃、すでに原型を留めていなかった。噂とは数えきれない人々の口を経た、伝言ゲームなのだ。まったく別の話になるのはよくある話で、それは最初に噂を吐いた男のあずかり知らぬ出来事だ。たとえ確信犯であっても。
「逃げた宰相が、王太子を手土産にシュミレに寝返ったと申すか!」
猫可愛がりしてきた息子の行方不明に落ち込んでいた意識が、急激に引き上げられる。怒りに手元のカップを床に叩きつけた。割れたカップのお茶が、高価な絨毯に染みを作る。
アスター国王は怒りに任せて立ち上がり、近くにいた近衛騎士に騎士団長を呼ぶよう命じた。すぐに来ると思われた騎士団長は来ず、代わりに呼びに行かせた近衛騎士が青ざめて戻ってくる。
「騎士団長の御屋敷はもぬけの空で……」
「なんだと!?」
宰相に加えて騎士団長も逃げた。この噂は、城から広まって貴族達の怯えを増幅する。一番最初に逃げた宰相は、この国の機密をしゃべったのか。ならば敗戦が濃厚とみて、近衛騎士団長が逃げた可能性がある。
ざわつく貴族の中には、領地に戻って兵を集めるという名目で逃げかえる者も出た。王都から脱出した彼らが戻ってくるはずもなく、徐々に人口を減らす王都から、次に逃げ出したのは商人達だ。物流の要を握る彼らは別の国や都市にも拠点を構えている。在庫をすべて持って逃げる商人の姿を見て、職人も荷造りを始めた。
商人が消えて、都の物資は枯渇へ向かう。外からの流入がなく、中で消費ばかり繰り返せば当然の結果だった。気づけば残されたのは、何も知らない王都育ちの庶民と王族のみ。聖職者はかなり早い段階で、教会経由の連絡により戦火を避けて地方へ避難していた。
「少々、やりすぎではないか?」
飛び込んできた聖職者を教会に引き渡し、商人達を保護してやった。最後に逃げてきた職人を回収してシュミレへ送れば、とりあえず必要な人材は確保したことになる。領地へ戻るという貴族は脅してから解放してやったので、未だに自領で怯えていることだろう。
逃げ出した人々を検問と称して確認したショーンが、リストを前に唸る。地方都市を落として王都を目指すのではなく、いきなり王都を囲んだ形だった。地方へは王都と王族を人質に取ったと見せかけ、王都側からすれば地方都市が落とされたように見える。
どちらも無事なのだが、情報と人の流れを分断するだけで簡単にかき回すことが出来た。簡単すぎて、逆に物足りない。
「こんなものか」
「戦とは始まる前に終わっているものだ」
どこぞの格言めいた言葉に、わかっていると返した。ふてくされたショーンの言い分もわかる。彼は正面から強敵を打ち破って勝利したいタイプだ。逆にウィリアムやドロシアは、戦いの前に勝敗を決しておいて追い詰めるスタイルだった。
真逆の彼らが同時に動けば、ショーンより先手を打つ魔女や死神の戦略が際立つ。最初に逃げたと思われた騎士団長だが、彼は忠義の士として有名だった。彼を寝返らせるのは骨が折れる。しかし狡猾な宰相は騎士団長の弱みを握っていた。
彼の愛娘だ。早くに妻を亡くし、忘れ形見の娘を溺愛した。妻によく似た、美しい一人娘だ。彼を誑かすには、娘の小さな噂ひとつで事足りた。悩む素振りも見せず国を捨てた騎士団長は、シュミレ国の一角に匿われている。
恋人である青年の子を宿した娘とともに……。その青年がシュミレ国の爵位を持っており、留学で出会った若い恋人たちが惹かれ合ったのは偶然という名の必然だ。魔女に言わせれば「すべての物語は仕掛けがあり、ただの偶然はあり得ない」らしい。
恋に落ちた美女が国を捨てて敵国の貴族の子を宿した。泣いて詫びる娘を許し、夫となる青年を認めた敵国の騎士団長は、愚かな王族を見限ったと――美談に仕立てられ、童話として子供達に親しまれるのは終戦後のこと。教会によって配布された絵本による作り話だった。
「手土産の価値が落ちるではないか」
「だったら色を付ければいい」
簡単そうに提案するラユダを招き寄せたショーンは、話を終えるとにやりと笑った。
アスター国の王太子が、シュミレ国にケンカを売った。この国の宰相は王族を見捨てて逃げている。王太子はすでに死んだらしい。
尾ひれ背びれの付いた噂がアスター王城に届く頃、すでに原型を留めていなかった。噂とは数えきれない人々の口を経た、伝言ゲームなのだ。まったく別の話になるのはよくある話で、それは最初に噂を吐いた男のあずかり知らぬ出来事だ。たとえ確信犯であっても。
「逃げた宰相が、王太子を手土産にシュミレに寝返ったと申すか!」
猫可愛がりしてきた息子の行方不明に落ち込んでいた意識が、急激に引き上げられる。怒りに手元のカップを床に叩きつけた。割れたカップのお茶が、高価な絨毯に染みを作る。
アスター国王は怒りに任せて立ち上がり、近くにいた近衛騎士に騎士団長を呼ぶよう命じた。すぐに来ると思われた騎士団長は来ず、代わりに呼びに行かせた近衛騎士が青ざめて戻ってくる。
「騎士団長の御屋敷はもぬけの空で……」
「なんだと!?」
宰相に加えて騎士団長も逃げた。この噂は、城から広まって貴族達の怯えを増幅する。一番最初に逃げた宰相は、この国の機密をしゃべったのか。ならば敗戦が濃厚とみて、近衛騎士団長が逃げた可能性がある。
ざわつく貴族の中には、領地に戻って兵を集めるという名目で逃げかえる者も出た。王都から脱出した彼らが戻ってくるはずもなく、徐々に人口を減らす王都から、次に逃げ出したのは商人達だ。物流の要を握る彼らは別の国や都市にも拠点を構えている。在庫をすべて持って逃げる商人の姿を見て、職人も荷造りを始めた。
商人が消えて、都の物資は枯渇へ向かう。外からの流入がなく、中で消費ばかり繰り返せば当然の結果だった。気づけば残されたのは、何も知らない王都育ちの庶民と王族のみ。聖職者はかなり早い段階で、教会経由の連絡により戦火を避けて地方へ避難していた。
「少々、やりすぎではないか?」
飛び込んできた聖職者を教会に引き渡し、商人達を保護してやった。最後に逃げてきた職人を回収してシュミレへ送れば、とりあえず必要な人材は確保したことになる。領地へ戻るという貴族は脅してから解放してやったので、未だに自領で怯えていることだろう。
逃げ出した人々を検問と称して確認したショーンが、リストを前に唸る。地方都市を落として王都を目指すのではなく、いきなり王都を囲んだ形だった。地方へは王都と王族を人質に取ったと見せかけ、王都側からすれば地方都市が落とされたように見える。
どちらも無事なのだが、情報と人の流れを分断するだけで簡単にかき回すことが出来た。簡単すぎて、逆に物足りない。
「こんなものか」
「戦とは始まる前に終わっているものだ」
どこぞの格言めいた言葉に、わかっていると返した。ふてくされたショーンの言い分もわかる。彼は正面から強敵を打ち破って勝利したいタイプだ。逆にウィリアムやドロシアは、戦いの前に勝敗を決しておいて追い詰めるスタイルだった。
真逆の彼らが同時に動けば、ショーンより先手を打つ魔女や死神の戦略が際立つ。最初に逃げたと思われた騎士団長だが、彼は忠義の士として有名だった。彼を寝返らせるのは骨が折れる。しかし狡猾な宰相は騎士団長の弱みを握っていた。
彼の愛娘だ。早くに妻を亡くし、忘れ形見の娘を溺愛した。妻によく似た、美しい一人娘だ。彼を誑かすには、娘の小さな噂ひとつで事足りた。悩む素振りも見せず国を捨てた騎士団長は、シュミレ国の一角に匿われている。
恋人である青年の子を宿した娘とともに……。その青年がシュミレ国の爵位を持っており、留学で出会った若い恋人たちが惹かれ合ったのは偶然という名の必然だ。魔女に言わせれば「すべての物語は仕掛けがあり、ただの偶然はあり得ない」らしい。
恋に落ちた美女が国を捨てて敵国の貴族の子を宿した。泣いて詫びる娘を許し、夫となる青年を認めた敵国の騎士団長は、愚かな王族を見限ったと――美談に仕立てられ、童話として子供達に親しまれるのは終戦後のこと。教会によって配布された絵本による作り話だった。
「手土産の価値が落ちるではないか」
「だったら色を付ければいい」
簡単そうに提案するラユダを招き寄せたショーンは、話を終えるとにやりと笑った。
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