上 下
94 / 102
第6章 寝返りは青薔薇の香り

6-24.美談も噂も、戦略の名の下に

しおりを挟む
 夜戦の翌朝から、ラユダは積極的に噂をばらまいた。

 アスター国の王太子が、シュミレ国にケンカを売った。この国の宰相は王族を見捨てて逃げている。王太子はすでに死んだらしい。

 尾ひれ背びれの付いた噂がアスター王城に届く頃、すでに原型を留めていなかった。噂とは数えきれない人々の口を経た、伝言ゲームなのだ。まったく別の話になるのはよくある話で、それは最初に噂を吐いた男のあずかり知らぬ出来事だ。たとえ確信犯であっても。

「逃げた宰相が、王太子を手土産にシュミレに寝返ったと申すか!」

 猫可愛がりしてきた息子の行方不明に落ち込んでいた意識が、急激に引き上げられる。怒りに手元のカップを床に叩きつけた。割れたカップのお茶が、高価な絨毯に染みを作る。

 アスター国王は怒りに任せて立ち上がり、近くにいた近衛騎士に騎士団長を呼ぶよう命じた。すぐに来ると思われた騎士団長は来ず、代わりに呼びに行かせた近衛騎士が青ざめて戻ってくる。

「騎士団長の御屋敷はもぬけの空で……」

「なんだと!?」

 宰相に加えて騎士団長も逃げた。この噂は、城から広まって貴族達の怯えを増幅する。一番最初に逃げた宰相は、この国の機密をしゃべったのか。ならば敗戦が濃厚とみて、近衛騎士団長が逃げた可能性がある。

 ざわつく貴族の中には、領地に戻って兵を集めるという名目で逃げかえる者も出た。王都から脱出した彼らが戻ってくるはずもなく、徐々に人口を減らす王都から、次に逃げ出したのは商人達だ。物流の要を握る彼らは別の国や都市にも拠点を構えている。在庫をすべて持って逃げる商人の姿を見て、職人も荷造りを始めた。

 商人が消えて、都の物資は枯渇へ向かう。外からの流入がなく、中で消費ばかり繰り返せば当然の結果だった。気づけば残されたのは、何も知らない王都育ちの庶民と王族のみ。聖職者はかなり早い段階で、教会経由の連絡により戦火を避けて地方へ避難していた。

「少々、やりすぎではないか?」

 飛び込んできた聖職者を教会に引き渡し、商人達を保護してやった。最後に逃げてきた職人を回収してシュミレへ送れば、とりあえず必要な人材は確保したことになる。領地へ戻るという貴族は脅してから解放してやったので、未だに自領で怯えていることだろう。

 逃げ出した人々を検問と称して確認したショーンが、リストを前に唸る。地方都市を落として王都を目指すのではなく、いきなり王都を囲んだ形だった。地方へは王都と王族を人質に取ったと見せかけ、王都側からすれば地方都市が落とされたように見える。

 どちらも無事なのだが、情報と人の流れを分断するだけで簡単にかき回すことが出来た。簡単すぎて、逆に物足りない。

「こんなものか」

「戦とは始まる前に終わっているものだ」

 どこぞの格言めいた言葉に、わかっていると返した。ふてくされたショーンの言い分もわかる。彼は正面から強敵を打ち破って勝利したいタイプだ。逆にウィリアムやドロシアは、戦いの前に勝敗を決しておいて追い詰めるスタイルだった。

 真逆の彼らが同時に動けば、ショーンより先手を打つ魔女や死神の戦略が際立つ。最初に逃げたと思われた騎士団長だが、彼は忠義の士として有名だった。彼を寝返らせるのは骨が折れる。しかし狡猾な宰相は騎士団長の弱みを握っていた。

 彼の愛娘だ。早くに妻を亡くし、忘れ形見の娘を溺愛した。妻によく似た、美しい一人娘だ。彼を誑かすには、娘の小さな噂ひとつで事足りた。悩む素振りも見せず国を捨てた騎士団長は、シュミレ国の一角に匿われている。

 恋人である青年の子を宿した娘とともに……。その青年がシュミレ国の爵位を持っており、留学で出会った若い恋人たちが惹かれ合ったのは偶然という名の必然だ。魔女に言わせれば「すべての物語は仕掛けがあり、ただの偶然はあり得ない」らしい。

 恋に落ちた美女が国を捨てて敵国の貴族の子を宿した。泣いて詫びる娘を許し、夫となる青年を認めた敵国の騎士団長は、愚かな王族を見限ったと――美談に仕立てられ、童話として子供達に親しまれるのは終戦後のこと。教会によって配布された絵本によるだった。

「手土産の価値が落ちるではないか」

「だったら色を付ければいい」

 簡単そうに提案するラユダを招き寄せたショーンは、話を終えるとにやりと笑った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

ヘタレな師団長様は麗しの花をひっそり愛でる

野犬 猫兄
BL
本編完結しました。 お読みくださりありがとうございます! 番外編は本編よりも文字数が多くなっていたため、取り下げ中です。 番外編へ戻すか別の話でたてるか検討中。こちらで、また改めてご連絡いたします。 第9回BL小説大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございました_(._.)_ 【本編】 ある男を麗しの花と呼び、ひっそりと想いを育てていた。ある時は愛しいあまり心の中で悶え、ある時は不甲斐なさに葛藤したり、愛しい男の姿を見ては明日も頑張ろうと思う、ヘタレ男の牛のような歩み寄りと天然を炸裂させる男に相手も満更でもない様子で進むほのぼの?コメディ話。 ヘタレ真面目タイプの師団長×ツンデレタイプの師団長 2022.10.28ご連絡:2022.10.30に番外編を修正するため下げさせていただきますm(_ _;)m 2022.10.30ご連絡:番外編を引き下げました。 【取り下げ中】 【番外編】は、視点が基本ルーゼウスになります。ジーク×ルーゼ ルーゼウス・バロル7歳。剣と魔法のある世界、アンシェント王国という小さな国に住んでいた。しかし、ある時召喚という形で、日本の大学生をしていた頃の記憶を思い出してしまう。精霊の愛し子というチートな恩恵も隠していたのに『精霊司令局』という機械音声や、残念なイケメンたちに囲まれながら、アンシェント王国や、隣国のゼネラ帝国も巻き込んで一大騒動に発展していくコメディ?なお話。 ※誤字脱字は気づいたらちょこちょこ修正してます。“(. .*)

【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】

彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。 「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

処理中です...