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第6章 寝返りは青薔薇の香り

6-12.龍の霍乱は崩落を招く

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 ゴゴゴ……聞こえた不気味な音に、アスター国の兵士は周囲を見回した。不気味な地鳴りのような音に、アスター国の兵士が川を覗き込む。夕方まで雪解けの清い水が流れていた透明の川が、今は黒く濁っている。心あたりのある兵士は必死に上司に訴えた。

「上流で崖崩れがあって、もうすぐ濁流が襲ってきます」

 農家出身の兵士にしてみたら、当然の報告だった。しかし貴族出身の上司はまともに聞かなかった。それどころか夜中に起こされたことを叱責する有様だ。

 忠告を受け取る器がない上司を見限り、兵士は親しい数人と一緒に寝床を移動した。川の流れが崩れても巻き込まれないよう、離れた小山へと歩を進める。わずか100mほどの高さしかない小山だが、土石流から逃げるには十分だった。

 彼らが逃げ延びて1時間もしないうちに、今度はブチブチと何かが切れる音が響く。音の原因は、木の根が切れたためだ。上流の土砂が崩れたことによる川の氾濫で、周辺の森が崩れた重さに耐えきれず悲鳴を上げる山の、最後の警告だった。

 パニックに陥った軍を、貴族の将校は叱咤した。

「何を騒ぐ! 森の獣ごときに怯えるなど、恥を知れ」

 そこまで言い切った彼は、直後に土石流に飲まれた。勘違いを最後まで認めず、正されないまま、貴族の男は軍の兵士を半分以上道連れにして土砂に埋まる。

 城壁から眺めていたショーンが「墓を掘る手間が省けた」と口角を持ち上げた。到着してすぐにラユダに命じて、複数の傭兵に上流の木々を伐らせた。

 川はカーブした内側より外側に力がかかっている。堤防の基礎となる土や石を流れから守っているのは、木々の根っこだった。その根を伐れば、木を残しても崩れ去る。

 乱暴な手法だが、兵力が足りない今は手段を選んでいられなかった。

「上司が無能だと部下は気の毒ですな」

 アルベリーニ辺境伯が、流れた敵兵に黙とうしてから口を開く。こちら側は川の内側に当たり、上流から土砂とともに流れた水は、すべてアスター国が陣を張った外側へ向かった。地の利を生かした攻撃は有効だが、川の修復作業が残されるので、あまり使いたくない手段でもある。

「あの丘のあたりに逃げた連中は、賢いな」

 夜闇にまぎれて脱出した農民出身の兵士たちが、到着した小山の上で火を焚いた。夜の寒さを凌ぐためか、生き残った仲間を助ける最後の良心なのか。どちらにしても、彼らは先祖代々受け継がれた森の知識で救われたのだ。

「ショーン、そろそろ残りの兵が追いつく」

 ついてこられず脱落した兵がほとんど揃う頃だと告げるラユダは、先ほどまで森の奥へ分け入っていたとは思えないほど、涼しい顔をしていた。ひらひら手招くショーンの隣に立つと、彼は褒美のようにラユダの隠れた右目の辺りを指先で撫でる。

「……どうした?」

「俺は手駒の手入れを怠らない」

 くすくす笑い出したショーンに溜め息をついて、目を見開いて固まっているアルベリーニ辺境伯に頭を下げた。

「うちのボスが申し訳ない」

「い、いえ」

 軍を率いる将軍としてのショーンしか知らなければ、絶句する光景だろう。部下を動かして勝利を引き寄せ、その部下に甘えているのだ。厳しく己を律する彼らしくない。アルベリーニ辺境伯が首をかしげるより早く、ラユダはショーンの身体を抱き上げた。

「熱がある。どこか部屋を用意してもらえないか?」

 暗闇で松明に照らされた状態では気づけないが、触れた指先の熱と奔放な言動で体調不良を指摘した。ラユダの首に手を回して大人しくしているショーンだが、明日の朝は大騒ぎだろう。こんなだらしない姿を晒すことを許せる男ではない。

 手早く傭兵達に指示を出して、ラユダは看病と称してショーンに寄り添った。明日の朝、怒鳴り散らすほど元気になってもらうために。
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