上 下
78 / 102
第6章 寝返りは青薔薇の香り

6-8.簡単に許されると思うなよ

しおりを挟む
 目を覚ましたベッドの上はまだ薄暗く、寝返りを打とうとして腕の中の存在に気づく。温かな子供の体温が心地よくて、口元が笑みに歪んだ。途端にずきんと腫れた傷が痛む。

 象牙色の肌を彩る黒髪に接吻けを落とし、まだ開かない蒼い瞳を思って指先を動かす。包帯やら添え木が大量に絡みつく左手を諦めて、ぎこちなく右手で頬に触れた。起こしてしまうかと躊躇うが、触れたい欲求が抑えられない。

 あの夜、エリヤに擦り寄った無礼な女を連れて地下へ向かった。わずか数日前の出来事なのに、ひどく昔のことのような気がする。舞踏会では決して踊らない少年王エリヤに従い引き上げた寝室で、バルコニーから入り込んだ女を捕らえた。

 どこぞの貴族に買われた奴隷らしく、暗殺目的ではなかった。武器のひとつも持たず、ただ少年王を篭絡しろと命じられた女は、豊満なラインが透ける品のない肌着のようなドレスを身に纏う。

 無防備極まりない恰好から、誰かが近くまで送り届けたのだと推測できた。そのため裏で糸を引いた人物を炙りだすために、牢へ連れていったのだ。今思えば、それを狙っていたのだろう。数本の矢を射かけられ、掠めたやじりの薬に倒れた。

 思い出しても腹立たしい状況だ。あんな醜態をさらしたあげく、攫われたことでエリヤをこんなに心配させてしまった。紫に変色した爪を無理やり縛り付けたエイデンの苦労を無視し、痛む手で白い頬に触れる。わずかな動きでも全身が痛んだ。

 愚かな男への罰にちょうどいい。やつれてしまった最愛の主の肌を傷つけないよう、2度目は荒れた指先をやめて指背で撫ぜた。

「……遠慮など、お前らしくない」

 揶揄る口調で蒼い瞳が瞬いた。起きていたのか、起こしたのか。少年王は穏やかな笑みを浮かべて、傷だらけの右手を引き寄せた。己の頬に押し当て、その上から傷のないほっそりした指を絡める。

「おはよう、エリヤ」

「おはよう……ウィル」

 夢じゃないかと互いに疑う2人はじっと見つめ合ったあと、距離を詰めて唇を合わせた。触れるだけで離れたけれど、表情が和らいで安心感が広がる。

「起きる?」

「いや……もう少しだけ」

 まだ目の下に残る隈に左手の指先を近づけ、包帯だらけの状態にくすくす笑い出した。

「どうした?」

「お前がここまで傷だらけなのは珍しい」

 訓練でも傷だらけになることはない。戦に出て多少のケガをしても、けろりとした顔で戻る男は「確かに」と呟いた。腹に穴開けた時も酷かったが、全身が包帯だらけになる状態は記憶をさらっても出てこない。

「命令だから傷だらけでも必ず戻るよ」

 ウィリアムのいない数日間、この約束が果たされない可能性を考えて怖かった。戦の前も必ずウィリアムは約束を残す。生きて帰る、一人にはしない――今回のように約束もなく姿を消されたら、そう考えると体の芯が凍り付く恐怖を覚えた。

「わかってる」

 信じてもいる。この男が俺に嘘をついて消えるはずはないのに、一度脳裏に過った恐怖と暗闇がシミのように残っていた。ジワリと黒いシミが心を侵食する。

「わかってないな、エリヤ。オレが生きて呼吸してる理由は、お前だ」

 両手で愛しい王の頬を包む。八つ裂きにされようと、首をはねられようと、この魂が還る場所はお前だけ。そう告げて額を押し当てた。

「今回は本当に悪かった。油断した、言い訳は出来ない」

「言い訳できない失態なら、罰が必要か?」

「そうだな、エリヤをひたすら甘やかすのはどうだ」

「触れさせないのも罰だが……」

 眉尻を下げて嫌だと表現する大型犬のようなウィリアムの鼻を指先で突いて、エリヤは華やかな笑みを浮かべた。

「ずっと俺の視界の中にいろ。簡単に許されると思うなよ」

 褒美のような罰を言い渡した主君へ「承知しました、我が君」と大げさな返答をして、2人はまた唇を重ねた。

「ちょっと……いつまで待たせる気なのさ」

 ふくれっ面で文句を言うエイデンの声に邪魔され、仕方なく彼らがベッドから起き上がる頃には窓の外は明るくなっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

侯爵令息、はじめての婚約破棄

muku
BL
侯爵家三男のエヴァンは、家庭教師で魔術師のフィアリスと恋仲であった。 身分違いでありながらも両想いで楽しい日々を送っていた中、男爵令嬢ティリシアが、エヴァンと自分は婚約する予定だと言い始める。 ごたごたの末にティリシアは相思相愛のエヴァンとフィアリスを応援し始めるが、今度は尻込みしたフィアリスがエヴァンとティリシアが結婚するべきではと迷い始めてしまう。 両想い師弟の、両想いを確かめるための面倒くさい戦いが、ここに幕を開ける。 ※全年齢向け作品です。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

ヘタレな師団長様は麗しの花をひっそり愛でる

野犬 猫兄
BL
本編完結しました。 お読みくださりありがとうございます! 番外編は本編よりも文字数が多くなっていたため、取り下げ中です。 番外編へ戻すか別の話でたてるか検討中。こちらで、また改めてご連絡いたします。 第9回BL小説大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございました_(._.)_ 【本編】 ある男を麗しの花と呼び、ひっそりと想いを育てていた。ある時は愛しいあまり心の中で悶え、ある時は不甲斐なさに葛藤したり、愛しい男の姿を見ては明日も頑張ろうと思う、ヘタレ男の牛のような歩み寄りと天然を炸裂させる男に相手も満更でもない様子で進むほのぼの?コメディ話。 ヘタレ真面目タイプの師団長×ツンデレタイプの師団長 2022.10.28ご連絡:2022.10.30に番外編を修正するため下げさせていただきますm(_ _;)m 2022.10.30ご連絡:番外編を引き下げました。 【取り下げ中】 【番外編】は、視点が基本ルーゼウスになります。ジーク×ルーゼ ルーゼウス・バロル7歳。剣と魔法のある世界、アンシェント王国という小さな国に住んでいた。しかし、ある時召喚という形で、日本の大学生をしていた頃の記憶を思い出してしまう。精霊の愛し子というチートな恩恵も隠していたのに『精霊司令局』という機械音声や、残念なイケメンたちに囲まれながら、アンシェント王国や、隣国のゼネラ帝国も巻き込んで一大騒動に発展していくコメディ?なお話。 ※誤字脱字は気づいたらちょこちょこ修正してます。“(. .*)

【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】

彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。 「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします

椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう! こうして俺は逃亡することに決めた。

処理中です...