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第6章 寝返りは青薔薇の香り

6-6.脱出するなら、派手な狼煙を

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 塗り薬を取り出した男は、椅子に座り込んだウィリアムの手当てを始める。慣れているのか、消毒してガーゼを当てると、テープで上から固定するように強く巻いた。顔を痛みに歪めることもなく、ウィリアムは渡された報告書を読む。

「ボス、また敵をスカウトしたんですか」

「まいった、こないだも新人増やしたばっかじゃね?」

 気安く話しかけられても、ウィリアムは気にした様子がない。咎めもしないし、一緒になって会話に参加する有様だった。良くも悪くも貴族らしくない。渡された平民の綿服を身に纏い、長い髪をくるくると巻いて帽子の中に押し込んだ。

「仲間多い方が楽だろ? 分業とか」

「多すぎても足を引っ張られるんですよ。まあ今回のは拷問専門なら、外へ出さないからいいのか」

「あれ? 拷問って誰かいましたよね」

 雑談しながらも彼らはテキパキと仕事を終え、アスター国の王太子ユストゥスを麻袋で梱包した。さらに運び込んだ木箱にしまいこむ。商人の荷馬車で自国へ運ぶつもりだろう。しっかり猿轡さるぐつわをした上で薬も嗅がせていたので、騒ぐ心配はなさそうだった。

「拷問……そういやシークがいたか」

「あいつは壊しちゃいますからね」

 物騒な話題を続けながら、読み終えた報告書を燃やしたウィリアムは、そのまま空き家に火を放った。枯れた木材であっても、人が住む家は湿気があり燃えにくい。しかし空き家で放置された建物は乾燥しており、あっという間に二階へ火が躍った。

「よし、脱出だ」

「「「ボス、火をつけるのが早すぎだ(る)」」」

 口々に文句を言いながらも手際よく裏口へ箱を引きずって移動した。ケガの手当ての間に用意した馬車へ重い木箱を運び込むと、彼らはぴたりと無駄口を止める。火の粉が舞う屋外へ一緒に飛び出したものの、ファングはまだ迷っていた。

 アスター国の王太子を裏切ったことは後悔していない。しかしこの男について行って平気だろうか。自国に逃げ込んだとたん、おれを殺すんじゃないか? 荷馬車に乗り込んだ男は、帽子のつばを指先で弄りながら、空いた手を差し出した。

 白い手は貴族の証拠、なのに傷だらけで剣胼胝けんだこがある手のひらは硬い。騎士であり、執政であるウィリアムは何も言わずに待った。踊る炎に怯えたのか、荷馬車の馬が騒ぎ出す。

「おい、焦げるぞ」

 後ろの火力が上がったと笑うウィリアムの表情に、覚悟を決めた。殺されて仕方ないだろう、と。この場に置いていくことも簡単なのに、わざわざ連れ出そうとする。己の子飼いが助けに飛び込んだ時点で、ファングの存在は不要だった。なのに差し出された手に、己のごつごつの手を重ねる。

 拷問具を扱い、剣を使い、毒を操る手は指紋が消えるほど荒れていた。ぐいっと引き寄せられ、荷馬車の上に乗った瞬間、馬は本能に従い走り出す。

「お前がゆっくりしてるからだぞ」

 顎をしゃくる行儀の悪いウィリアムの視線の先、荷馬車の幌に小さな火が移っていた。痛めつけられた足を指さして「立つのが嫌だから任せる」と笑う姿は、ガキ大将のようだ。威厳もへったくれもない。しかしファングは逆に好ましさを覚えた。

 荷馬車が都の門を抜けた頃、ようやく近所の人々の消火が始まる。街道からでも見える黒煙に、アスター国の将来を見た気がした。






「ウィルが見つかった!?」

 立ち上がった途端に立ち眩みで手すりに掴まったエリヤだが、無様に座り込むことは回避した。隣で苦笑いしながら手を差し伸べる最愛の存在の幻影を見た気がして、ひとつ深呼吸する。

「ええ、かなり苦労しましたが……アスター国に囚われたようです」

「救出を!」

「すでに手配しました」

 得意そうに告げるアレキシス侯爵家エイデンの言葉に、ほっと肩から力が抜ける。

 倒れたエリヤを心配して駆け付けたチャンリー公爵家当主ショーンは、エイデンの言葉に口元を綻ばせた。本来はエリヤが座る執務机で、代理の署名や押印をしていた従兄は「悪運が強いからな」と軽口をたたく。

 他国から黒い死神と呼ばれるほど怖れられる男が、そう簡単に死ぬわけがない。無事を確認した途端に悪態をつくショーンの表情は明るかった。
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