上 下
76 / 102
第6章 寝返りは青薔薇の香り

6-6.脱出するなら、派手な狼煙を

しおりを挟む
 塗り薬を取り出した男は、椅子に座り込んだウィリアムの手当てを始める。慣れているのか、消毒してガーゼを当てると、テープで上から固定するように強く巻いた。顔を痛みに歪めることもなく、ウィリアムは渡された報告書を読む。

「ボス、また敵をスカウトしたんですか」

「まいった、こないだも新人増やしたばっかじゃね?」

 気安く話しかけられても、ウィリアムは気にした様子がない。咎めもしないし、一緒になって会話に参加する有様だった。良くも悪くも貴族らしくない。渡された平民の綿服を身に纏い、長い髪をくるくると巻いて帽子の中に押し込んだ。

「仲間多い方が楽だろ? 分業とか」

「多すぎても足を引っ張られるんですよ。まあ今回のは拷問専門なら、外へ出さないからいいのか」

「あれ? 拷問って誰かいましたよね」

 雑談しながらも彼らはテキパキと仕事を終え、アスター国の王太子ユストゥスを麻袋で梱包した。さらに運び込んだ木箱にしまいこむ。商人の荷馬車で自国へ運ぶつもりだろう。しっかり猿轡さるぐつわをした上で薬も嗅がせていたので、騒ぐ心配はなさそうだった。

「拷問……そういやシークがいたか」

「あいつは壊しちゃいますからね」

 物騒な話題を続けながら、読み終えた報告書を燃やしたウィリアムは、そのまま空き家に火を放った。枯れた木材であっても、人が住む家は湿気があり燃えにくい。しかし空き家で放置された建物は乾燥しており、あっという間に二階へ火が躍った。

「よし、脱出だ」

「「「ボス、火をつけるのが早すぎだ(る)」」」

 口々に文句を言いながらも手際よく裏口へ箱を引きずって移動した。ケガの手当ての間に用意した馬車へ重い木箱を運び込むと、彼らはぴたりと無駄口を止める。火の粉が舞う屋外へ一緒に飛び出したものの、ファングはまだ迷っていた。

 アスター国の王太子を裏切ったことは後悔していない。しかしこの男について行って平気だろうか。自国に逃げ込んだとたん、おれを殺すんじゃないか? 荷馬車に乗り込んだ男は、帽子のつばを指先で弄りながら、空いた手を差し出した。

 白い手は貴族の証拠、なのに傷だらけで剣胼胝けんだこがある手のひらは硬い。騎士であり、執政であるウィリアムは何も言わずに待った。踊る炎に怯えたのか、荷馬車の馬が騒ぎ出す。

「おい、焦げるぞ」

 後ろの火力が上がったと笑うウィリアムの表情に、覚悟を決めた。殺されて仕方ないだろう、と。この場に置いていくことも簡単なのに、わざわざ連れ出そうとする。己の子飼いが助けに飛び込んだ時点で、ファングの存在は不要だった。なのに差し出された手に、己のごつごつの手を重ねる。

 拷問具を扱い、剣を使い、毒を操る手は指紋が消えるほど荒れていた。ぐいっと引き寄せられ、荷馬車の上に乗った瞬間、馬は本能に従い走り出す。

「お前がゆっくりしてるからだぞ」

 顎をしゃくる行儀の悪いウィリアムの視線の先、荷馬車の幌に小さな火が移っていた。痛めつけられた足を指さして「立つのが嫌だから任せる」と笑う姿は、ガキ大将のようだ。威厳もへったくれもない。しかしファングは逆に好ましさを覚えた。

 荷馬車が都の門を抜けた頃、ようやく近所の人々の消火が始まる。街道からでも見える黒煙に、アスター国の将来を見た気がした。






「ウィルが見つかった!?」

 立ち上がった途端に立ち眩みで手すりに掴まったエリヤだが、無様に座り込むことは回避した。隣で苦笑いしながら手を差し伸べる最愛の存在の幻影を見た気がして、ひとつ深呼吸する。

「ええ、かなり苦労しましたが……アスター国に囚われたようです」

「救出を!」

「すでに手配しました」

 得意そうに告げるアレキシス侯爵家エイデンの言葉に、ほっと肩から力が抜ける。

 倒れたエリヤを心配して駆け付けたチャンリー公爵家当主ショーンは、エイデンの言葉に口元を綻ばせた。本来はエリヤが座る執務机で、代理の署名や押印をしていた従兄は「悪運が強いからな」と軽口をたたく。

 他国から黒い死神と呼ばれるほど怖れられる男が、そう簡単に死ぬわけがない。無事を確認した途端に悪態をつくショーンの表情は明るかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

ヘタレな師団長様は麗しの花をひっそり愛でる

野犬 猫兄
BL
本編完結しました。 お読みくださりありがとうございます! 番外編は本編よりも文字数が多くなっていたため、取り下げ中です。 番外編へ戻すか別の話でたてるか検討中。こちらで、また改めてご連絡いたします。 第9回BL小説大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございました_(._.)_ 【本編】 ある男を麗しの花と呼び、ひっそりと想いを育てていた。ある時は愛しいあまり心の中で悶え、ある時は不甲斐なさに葛藤したり、愛しい男の姿を見ては明日も頑張ろうと思う、ヘタレ男の牛のような歩み寄りと天然を炸裂させる男に相手も満更でもない様子で進むほのぼの?コメディ話。 ヘタレ真面目タイプの師団長×ツンデレタイプの師団長 2022.10.28ご連絡:2022.10.30に番外編を修正するため下げさせていただきますm(_ _;)m 2022.10.30ご連絡:番外編を引き下げました。 【取り下げ中】 【番外編】は、視点が基本ルーゼウスになります。ジーク×ルーゼ ルーゼウス・バロル7歳。剣と魔法のある世界、アンシェント王国という小さな国に住んでいた。しかし、ある時召喚という形で、日本の大学生をしていた頃の記憶を思い出してしまう。精霊の愛し子というチートな恩恵も隠していたのに『精霊司令局』という機械音声や、残念なイケメンたちに囲まれながら、アンシェント王国や、隣国のゼネラ帝国も巻き込んで一大騒動に発展していくコメディ?なお話。 ※誤字脱字は気づいたらちょこちょこ修正してます。“(. .*)

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 随時更新です。

貴方の事を心から愛していました。ありがとう。

天海みつき
BL
 穏やかな晴天のある日の事。僕は最愛の番の後宮で、ぼんやりと紅茶を手に己の生きざまを振り返っていた。ゆったり流れるその時を楽しんだ僕は、そのままカップを傾け、紅茶を喉へと流し込んだ。  ――混じり込んだ××と共に。  オメガバースの世界観です。運命の番でありながら、仮想敵国の王子同士に生まれた二人が辿る数奇な運命。勢いで書いたら真っ暗に。ピリリと主張する苦さをアクセントにどうぞ。  追記。本編完結済み。後程「彼」視点を追加投稿する……かも?

【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】

彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。 「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?

下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。 そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。 アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。 公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。 アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。 一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。 これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。 小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

処理中です...