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第6章 寝返りは青薔薇の香り

6-3.魔女と死神は見えないダンスを踊る

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 読み終えた手紙を細く捩じって、封蝋用の火を移した。蝋燭から移った火が一瞬で手紙を灰にしていく。用意した灰皿の上で、完全に燃えたのを確認してから窓の外へ散らした。

「参ったわね。あの男が? ありえないわ」

 ありえないのだ。緩く編んだプラチナブロンドを揺らした美女は、苛立たし気に眉をひそめた。丁寧に整えた爪が赤くなるほど手を握り込む。

「すぐに探りなさい。最優先よ」

 誰もいない天井へ命じ、かすかな物音が返礼のように響いた。ちらりと視線を向けて確認し、ドロシアは椅子に腰かける。アレキシス侯爵子息エイデンから届いた手紙は、考えられない現実が記されていた。

 少年王エリヤにべったりの腰巾着こしぎんちゃく男が、女と姿を消したですって?! 絶対にありえない。この世界から悪意がすべて消えて、善意しか存在しなくなるくらい……想像しがたい事態だった。己の命より、この世界そのものよりエリヤを優先する男の失踪。

 あの物騒なウィリアムが死神と呼ばれ始めてすぐ、ドロシアも台頭した。菫色の瞳を魔女と罵られたのを逆手にとって、自ら魔女を名乗ったのだ。他国にも影響を及ぼす組織を作り上げ、彼女は情報を一手に握った。

 教会という箱庭で守られるリリーアリス姫を守るために……。あの男が死神の名を甘んじて受けるのは、その呼び名が少年王エリヤの懐刀として恐れられるから。同じ理由と同じ血筋に魅せられた同族として、ドロシアとウィリアムは対等だった。

 だから異常性が感情を通り越して、胃を締め付けるように痛みをもたらす。

「見つけ出して、高額の恩を押し売りしてやるわ」

 魔女はその白い手を広げる。世界は彼女の思うまま、あらゆる情報を握る女帝の前に――。






「裏切る気になったか? おれに仕えるなら助けてやる」

 変わり映えのない質問に、ウィリアムは溜め息を吐いた。当初の作戦を変更したのは、無言を通す価値がないからだ。ヒキガエルのような男の手札は少ない。拷問も尋問も、外交能力すら最低の男だった。

 用心して何も言わず表情を変えずにいたウィリアムだが、そこまで警戒する価値のない男に対して呆れ半分で口を開く。

「……アスター国の、王太子だっけ? あんた」

 シュミレ国の執政、近衛騎士団長、国王の近従。どの肩書であっても、この言葉遣いは相応しくない。傭兵や街のゴロツキの口調で、ウィリアムは裏切りを唆す男の肩書を匂わせた。びくりと肩を竦めているが、どうしてバレないと思ったのか。

 侮られているというより、ただの愚か者なのだ。アスターの国王にとって唯一の跡取りであり、溺愛してきたバカ息子は努力も苦労も知らぬまま大人になり、人間の形をしたヒキガエルになってしまった。御伽噺おとぎばなしならば救いもあるが、現実では誰も得をしない。

「このバカな行動を国王は知らないんだろうな」

 痛みをこらえて平然と対応してみせる。顔色を変えた王太子ユストゥスを上から下まで眺めて、腫れた顔で笑った。

「オレの優秀な片腕が動いてる。もうすぐお迎えが来るぞ?」

 脅す言葉に半狂乱の叫びが返ってきた。

「き、貴様を殺してしまえば、こちらの勝ちだ! そうだ、貴様がいなければ!! シュミレなど敵ではないッ! 勝てるぞ!」

 ここまでは予想通りだ。あと少し煽ればいい。拷問係の青年は動かないだろう。雇い主だが、忠誠心は欠片もないと言い切った。

「オレを殺せば、アスターは国の痕跡すら残らず滅ぼされるだけさ」

 挑発して笑いながら言い放ったウィリアムの作戦に乗せられ、ユストゥスが腰の剣に手をかけた。あと少し、そう考えたウィリアムの前で剣が抜かれる。銀色の刃がウィリアムの前に突きつけられた。

 ゆがみのない美しい剣だが、おそらく飾り以外の使い方をしてこなかったのだろう。まったく無垢な光を放つ剣の刃は、鏡のようにウィリアムの顔を映し出す。腫れたまぶたも、切れた唇も、青くあざになった頬も……暴行の跡がいちじるしい姿に苦笑いした。

「どうだっ! 恐れ入ったか!?」

「恐れ入る必要がないな。このヘタレ王太子」

「くそっ!! バカにしやがって」

 重さに振り回されながら持ち上げた刃が、ウィリアムの肩に向けて振り下ろされた。
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