73 / 102
第6章 寝返りは青薔薇の香り
6-3.魔女と死神は見えないダンスを踊る
しおりを挟む
読み終えた手紙を細く捩じって、封蝋用の火を移した。蝋燭から移った火が一瞬で手紙を灰にしていく。用意した灰皿の上で、完全に燃えたのを確認してから窓の外へ散らした。
「参ったわね。あの男が? ありえないわ」
ありえないのだ。緩く編んだプラチナブロンドを揺らした美女は、苛立たし気に眉をひそめた。丁寧に整えた爪が赤くなるほど手を握り込む。
「すぐに探りなさい。最優先よ」
誰もいない天井へ命じ、かすかな物音が返礼のように響いた。ちらりと視線を向けて確認し、ドロシアは椅子に腰かける。アレキシス侯爵子息エイデンから届いた手紙は、考えられない現実が記されていた。
少年王エリヤにべったりの腰巾着男が、女と姿を消したですって?! 絶対にありえない。この世界から悪意がすべて消えて、善意しか存在しなくなるくらい……想像しがたい事態だった。己の命より、この世界そのものよりエリヤを優先する男の失踪。
あの物騒なウィリアムが死神と呼ばれ始めてすぐ、ドロシアも台頭した。菫色の瞳を魔女と罵られたのを逆手にとって、自ら魔女を名乗ったのだ。他国にも影響を及ぼす組織を作り上げ、彼女は情報を一手に握った。
教会という箱庭で守られるリリーアリス姫を守るために……。あの男が死神の名を甘んじて受けるのは、その呼び名が少年王エリヤの懐刀として恐れられるから。同じ理由と同じ血筋に魅せられた同族として、ドロシアとウィリアムは対等だった。
だから異常性が感情を通り越して、胃を締め付けるように痛みをもたらす。
「見つけ出して、高額の恩を押し売りしてやるわ」
魔女はその白い手を広げる。世界は彼女の思うまま、あらゆる情報を握る女帝の前に――。
「裏切る気になったか? おれに仕えるなら助けてやる」
変わり映えのない質問に、ウィリアムは溜め息を吐いた。当初の作戦を変更したのは、無言を通す価値がないからだ。ヒキガエルのような男の手札は少ない。拷問も尋問も、外交能力すら最低の男だった。
用心して何も言わず表情を変えずにいたウィリアムだが、そこまで警戒する価値のない男に対して呆れ半分で口を開く。
「……アスター国の、王太子だっけ? あんた」
シュミレ国の執政、近衛騎士団長、国王の近従。どの肩書であっても、この言葉遣いは相応しくない。傭兵や街のゴロツキの口調で、ウィリアムは裏切りを唆す男の肩書を匂わせた。びくりと肩を竦めているが、どうしてバレないと思ったのか。
侮られているというより、ただの愚か者なのだ。アスターの国王にとって唯一の跡取りであり、溺愛してきたバカ息子は努力も苦労も知らぬまま大人になり、人間の形をしたヒキガエルになってしまった。御伽噺ならば救いもあるが、現実では誰も得をしない。
「このバカな行動を国王は知らないんだろうな」
痛みをこらえて平然と対応してみせる。顔色を変えた王太子ユストゥスを上から下まで眺めて、腫れた顔で笑った。
「オレの優秀な片腕が動いてる。もうすぐお迎えが来るぞ?」
脅す言葉に半狂乱の叫びが返ってきた。
「き、貴様を殺してしまえば、こちらの勝ちだ! そうだ、貴様がいなければ!! シュミレなど敵ではないッ! 勝てるぞ!」
ここまでは予想通りだ。あと少し煽ればいい。拷問係の青年は動かないだろう。雇い主だが、忠誠心は欠片もないと言い切った。
「オレを殺せば、アスターは国の痕跡すら残らず滅ぼされるだけさ」
挑発して笑いながら言い放ったウィリアムの作戦に乗せられ、ユストゥスが腰の剣に手をかけた。あと少し、そう考えたウィリアムの前で剣が抜かれる。銀色の刃がウィリアムの前に突きつけられた。
ゆがみのない美しい剣だが、おそらく飾り以外の使い方をしてこなかったのだろう。まったく無垢な光を放つ剣の刃は、鏡のようにウィリアムの顔を映し出す。腫れた瞼も、切れた唇も、青く痣になった頬も……暴行の跡が著しい姿に苦笑いした。
「どうだっ! 恐れ入ったか!?」
「恐れ入る必要がないな。このヘタレ王太子」
「くそっ!! バカにしやがって」
重さに振り回されながら持ち上げた刃が、ウィリアムの肩に向けて振り下ろされた。
「参ったわね。あの男が? ありえないわ」
ありえないのだ。緩く編んだプラチナブロンドを揺らした美女は、苛立たし気に眉をひそめた。丁寧に整えた爪が赤くなるほど手を握り込む。
「すぐに探りなさい。最優先よ」
誰もいない天井へ命じ、かすかな物音が返礼のように響いた。ちらりと視線を向けて確認し、ドロシアは椅子に腰かける。アレキシス侯爵子息エイデンから届いた手紙は、考えられない現実が記されていた。
少年王エリヤにべったりの腰巾着男が、女と姿を消したですって?! 絶対にありえない。この世界から悪意がすべて消えて、善意しか存在しなくなるくらい……想像しがたい事態だった。己の命より、この世界そのものよりエリヤを優先する男の失踪。
あの物騒なウィリアムが死神と呼ばれ始めてすぐ、ドロシアも台頭した。菫色の瞳を魔女と罵られたのを逆手にとって、自ら魔女を名乗ったのだ。他国にも影響を及ぼす組織を作り上げ、彼女は情報を一手に握った。
教会という箱庭で守られるリリーアリス姫を守るために……。あの男が死神の名を甘んじて受けるのは、その呼び名が少年王エリヤの懐刀として恐れられるから。同じ理由と同じ血筋に魅せられた同族として、ドロシアとウィリアムは対等だった。
だから異常性が感情を通り越して、胃を締め付けるように痛みをもたらす。
「見つけ出して、高額の恩を押し売りしてやるわ」
魔女はその白い手を広げる。世界は彼女の思うまま、あらゆる情報を握る女帝の前に――。
「裏切る気になったか? おれに仕えるなら助けてやる」
変わり映えのない質問に、ウィリアムは溜め息を吐いた。当初の作戦を変更したのは、無言を通す価値がないからだ。ヒキガエルのような男の手札は少ない。拷問も尋問も、外交能力すら最低の男だった。
用心して何も言わず表情を変えずにいたウィリアムだが、そこまで警戒する価値のない男に対して呆れ半分で口を開く。
「……アスター国の、王太子だっけ? あんた」
シュミレ国の執政、近衛騎士団長、国王の近従。どの肩書であっても、この言葉遣いは相応しくない。傭兵や街のゴロツキの口調で、ウィリアムは裏切りを唆す男の肩書を匂わせた。びくりと肩を竦めているが、どうしてバレないと思ったのか。
侮られているというより、ただの愚か者なのだ。アスターの国王にとって唯一の跡取りであり、溺愛してきたバカ息子は努力も苦労も知らぬまま大人になり、人間の形をしたヒキガエルになってしまった。御伽噺ならば救いもあるが、現実では誰も得をしない。
「このバカな行動を国王は知らないんだろうな」
痛みをこらえて平然と対応してみせる。顔色を変えた王太子ユストゥスを上から下まで眺めて、腫れた顔で笑った。
「オレの優秀な片腕が動いてる。もうすぐお迎えが来るぞ?」
脅す言葉に半狂乱の叫びが返ってきた。
「き、貴様を殺してしまえば、こちらの勝ちだ! そうだ、貴様がいなければ!! シュミレなど敵ではないッ! 勝てるぞ!」
ここまでは予想通りだ。あと少し煽ればいい。拷問係の青年は動かないだろう。雇い主だが、忠誠心は欠片もないと言い切った。
「オレを殺せば、アスターは国の痕跡すら残らず滅ぼされるだけさ」
挑発して笑いながら言い放ったウィリアムの作戦に乗せられ、ユストゥスが腰の剣に手をかけた。あと少し、そう考えたウィリアムの前で剣が抜かれる。銀色の刃がウィリアムの前に突きつけられた。
ゆがみのない美しい剣だが、おそらく飾り以外の使い方をしてこなかったのだろう。まったく無垢な光を放つ剣の刃は、鏡のようにウィリアムの顔を映し出す。腫れた瞼も、切れた唇も、青く痣になった頬も……暴行の跡が著しい姿に苦笑いした。
「どうだっ! 恐れ入ったか!?」
「恐れ入る必要がないな。このヘタレ王太子」
「くそっ!! バカにしやがって」
重さに振り回されながら持ち上げた刃が、ウィリアムの肩に向けて振り下ろされた。
0
お気に入りに追加
130
あなたにおすすめの小説
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります
ヘタレな師団長様は麗しの花をひっそり愛でる
野犬 猫兄
BL
本編完結しました。
お読みくださりありがとうございます!
番外編は本編よりも文字数が多くなっていたため、取り下げ中です。
番外編へ戻すか別の話でたてるか検討中。こちらで、また改めてご連絡いたします。
第9回BL小説大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございました_(._.)_
【本編】
ある男を麗しの花と呼び、ひっそりと想いを育てていた。ある時は愛しいあまり心の中で悶え、ある時は不甲斐なさに葛藤したり、愛しい男の姿を見ては明日も頑張ろうと思う、ヘタレ男の牛のような歩み寄りと天然を炸裂させる男に相手も満更でもない様子で進むほのぼの?コメディ話。
ヘタレ真面目タイプの師団長×ツンデレタイプの師団長
2022.10.28ご連絡:2022.10.30に番外編を修正するため下げさせていただきますm(_ _;)m
2022.10.30ご連絡:番外編を引き下げました。
【取り下げ中】
【番外編】は、視点が基本ルーゼウスになります。ジーク×ルーゼ
ルーゼウス・バロル7歳。剣と魔法のある世界、アンシェント王国という小さな国に住んでいた。しかし、ある時召喚という形で、日本の大学生をしていた頃の記憶を思い出してしまう。精霊の愛し子というチートな恩恵も隠していたのに『精霊司令局』という機械音声や、残念なイケメンたちに囲まれながら、アンシェント王国や、隣国のゼネラ帝国も巻き込んで一大騒動に発展していくコメディ?なお話。
※誤字脱字は気づいたらちょこちょこ修正してます。“(. .*)
雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
貴方の事を心から愛していました。ありがとう。
天海みつき
BL
穏やかな晴天のある日の事。僕は最愛の番の後宮で、ぼんやりと紅茶を手に己の生きざまを振り返っていた。ゆったり流れるその時を楽しんだ僕は、そのままカップを傾け、紅茶を喉へと流し込んだ。
――混じり込んだ××と共に。
オメガバースの世界観です。運命の番でありながら、仮想敵国の王子同士に生まれた二人が辿る数奇な運命。勢いで書いたら真っ暗に。ピリリと主張する苦さをアクセントにどうぞ。
追記。本編完結済み。後程「彼」視点を追加投稿する……かも?
【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】
彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。
「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」
田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる