27 / 102
第4章 愚かな策に散る花を
4-8.このまま眠るのは無理でした
しおりを挟む
飛び出した先の景色は、凄惨の一言に尽きた。
予想していたのは多くの敵が集まり、この砦の者に斬りかかられる光景だった。だが、砦を守るアスターリア伯爵領の兵士は、必死に外敵と戦っている。
血塗れの庭は、昼間の姿を留めていない。地面の草花は赤く染まり、ぬらぬらと灯りを弾いていた。倒れた兵士と敵らしき雑兵が転がり、生きている者は必死に足掻く。
アスターリア伯爵にも裏切られたと考えたウィリアムの予想は外れ、真っ赤な血の海で伯爵自身が戦っていた。大きな剣を振りかぶり、無造作に敵を斬り捨てていく。
「伯爵様! 陛下が……」
兵のあげた声に振り返った伯爵は、鎧すら身に着けていなかった。手元の剣を掴んで飛び出すのが精一杯だったのだろう。肩に届く髪もべったり赤く染まっている。
「ご無事でしたか!」
ほっとした様子で駆け寄ってくるが、その間もしっかり敵を排除している。武人として名を馳せた伯爵らしい、実に豪快な剣捌きだった。
親衛隊越しに簡易礼で頭を下げる。
「ご苦労。騒ぎを治めよ」
気怠さを滲ませた声で命じる少年王には怯えがない。隣に立つ執政に腰を抱かれ、しっかり腕を絡めていた。左手に剣を構える執政は、本来騎士として戦場を駆ける男だ。つい先頃の隣国オズボーンとの戦で先陣を切ったシャーリアス卿ウィリアムへ、無言で頭を下げた。
「陛下のご下命だ。しっかり果たせ」
砦に侵入した輩の排除を命じる執政は、ぐるりと内庭を見回す。すでに勝敗は決まりかけており、こちらに軍配が上がりそうだ。
「手伝いはいるか?」
「いえ」
言葉少なに否定し、伯爵は踵を返す。親衛隊を援護に散らせて、ウィリアムは少年王を抱き上げた。
「血に濡れますから」
「今更だろう」
まだ拘るか。呆れ顔のエリヤの呟きに「それでも、白いままでいて欲しい」と耳元で囁いた。抱き上げた子供は照れたらしく、ぎゅっと首に回した手に力を込めて抱きつく。
塔の狭い通路では躍らせてしまったが、内庭で同じように血の上を踏ませる必要はなかった。動きにくくても、赤く染め抜かれた大地をエリヤに歩かせる気はない。
「もう終わる」
予言に似たエリヤの言葉の通り、暗かった空から雲が消えて月光が降り注いだ。明るくなった内庭はほぼ制圧され、正規兵が最後の止めを刺して確認作業に入っている。
夜明けは遠いが、騒動は終焉に向かっていた。
「折角、髪も綺麗に洗ったのに」
文句を言いながら、幼い主の髪を洗い直す。晩餐後に下がった部屋で洗った髪は、戦いの間に埃まみれになってしまった。気をつけていたのだが、あちこちに血が飛んでいる。
薔薇の香りがする石鹸で洗い流し、甘い香りを纏わせた。ついでに身体に傷がないか確認しながら、ようやく安堵の息をついてタオルに包んだ。
「お前は過保護すぎる」
逆らうと後が面倒だとされるままだったエリヤは苦笑いして、目の前の男の髪を掴んだ。一緒に入ると駄々を捏ねた少年に押し切られ、ウィリアムは一緒にお湯を使った身体を無造作にタオルで覆う。
「ここ、切れている」
エリヤの指が二の腕に触れる。言われて初めて気付いた傷は小さく、細い線傷だった。血も滲んだ程度で、ウィリアムにとってケガではない。
「あ、本当だ」
「舐めると治るらしい」
「ダメだ。刃に毒が仕込まれてたら困るだろ」
当たり前の知識、戦場で当然の注意なのだが……少年王は目を瞬かせ、次に唇を尖らせた。不満なのだと子供の仕草で訴える。
「困る」
「だから」
「お前が死ぬのは困る」
言い直され、ウィリアムは目を瞬かせる。この国では不吉の象徴である青紫の瞳が笑みに和らぎ、くしゃりとエリヤの黒髪を手で乱した。
「死なねぇよ。約束だもんな」
ぞんざいな口調を選んだのは、エリヤの不安を大きくしないため。親も姉も殺されたエリヤが嫌う孤独を遠ざけるように抱き上げ、まだ濡れた黒髪にも新たなタオルを乗せた。
「髪を乾かしたら、寝よう」
「もう夜明けだぞ」
言われた通り外は夜明けのオレンジが、夜空を染め替えていく最中だった。視線を向けたウィリアムは肩を竦め、厚いカーテンをさっと引く。暗くなった室内で、髪の水分を丁寧に拭った。
「オレは眠い。今日は移動できないし、寝るぞ」
「我が侭だ」
「我が侭上等! エリヤも一緒に寝ようぜ」
言葉遊びを繰り返す二人はくすくす笑いながら、温まった身体をベッドに放り投げる。かろうじて無事だった数少ない客室を占拠する彼らが、穏やかな寝息を立てたのは――甘いキスの後だった。
予想していたのは多くの敵が集まり、この砦の者に斬りかかられる光景だった。だが、砦を守るアスターリア伯爵領の兵士は、必死に外敵と戦っている。
血塗れの庭は、昼間の姿を留めていない。地面の草花は赤く染まり、ぬらぬらと灯りを弾いていた。倒れた兵士と敵らしき雑兵が転がり、生きている者は必死に足掻く。
アスターリア伯爵にも裏切られたと考えたウィリアムの予想は外れ、真っ赤な血の海で伯爵自身が戦っていた。大きな剣を振りかぶり、無造作に敵を斬り捨てていく。
「伯爵様! 陛下が……」
兵のあげた声に振り返った伯爵は、鎧すら身に着けていなかった。手元の剣を掴んで飛び出すのが精一杯だったのだろう。肩に届く髪もべったり赤く染まっている。
「ご無事でしたか!」
ほっとした様子で駆け寄ってくるが、その間もしっかり敵を排除している。武人として名を馳せた伯爵らしい、実に豪快な剣捌きだった。
親衛隊越しに簡易礼で頭を下げる。
「ご苦労。騒ぎを治めよ」
気怠さを滲ませた声で命じる少年王には怯えがない。隣に立つ執政に腰を抱かれ、しっかり腕を絡めていた。左手に剣を構える執政は、本来騎士として戦場を駆ける男だ。つい先頃の隣国オズボーンとの戦で先陣を切ったシャーリアス卿ウィリアムへ、無言で頭を下げた。
「陛下のご下命だ。しっかり果たせ」
砦に侵入した輩の排除を命じる執政は、ぐるりと内庭を見回す。すでに勝敗は決まりかけており、こちらに軍配が上がりそうだ。
「手伝いはいるか?」
「いえ」
言葉少なに否定し、伯爵は踵を返す。親衛隊を援護に散らせて、ウィリアムは少年王を抱き上げた。
「血に濡れますから」
「今更だろう」
まだ拘るか。呆れ顔のエリヤの呟きに「それでも、白いままでいて欲しい」と耳元で囁いた。抱き上げた子供は照れたらしく、ぎゅっと首に回した手に力を込めて抱きつく。
塔の狭い通路では躍らせてしまったが、内庭で同じように血の上を踏ませる必要はなかった。動きにくくても、赤く染め抜かれた大地をエリヤに歩かせる気はない。
「もう終わる」
予言に似たエリヤの言葉の通り、暗かった空から雲が消えて月光が降り注いだ。明るくなった内庭はほぼ制圧され、正規兵が最後の止めを刺して確認作業に入っている。
夜明けは遠いが、騒動は終焉に向かっていた。
「折角、髪も綺麗に洗ったのに」
文句を言いながら、幼い主の髪を洗い直す。晩餐後に下がった部屋で洗った髪は、戦いの間に埃まみれになってしまった。気をつけていたのだが、あちこちに血が飛んでいる。
薔薇の香りがする石鹸で洗い流し、甘い香りを纏わせた。ついでに身体に傷がないか確認しながら、ようやく安堵の息をついてタオルに包んだ。
「お前は過保護すぎる」
逆らうと後が面倒だとされるままだったエリヤは苦笑いして、目の前の男の髪を掴んだ。一緒に入ると駄々を捏ねた少年に押し切られ、ウィリアムは一緒にお湯を使った身体を無造作にタオルで覆う。
「ここ、切れている」
エリヤの指が二の腕に触れる。言われて初めて気付いた傷は小さく、細い線傷だった。血も滲んだ程度で、ウィリアムにとってケガではない。
「あ、本当だ」
「舐めると治るらしい」
「ダメだ。刃に毒が仕込まれてたら困るだろ」
当たり前の知識、戦場で当然の注意なのだが……少年王は目を瞬かせ、次に唇を尖らせた。不満なのだと子供の仕草で訴える。
「困る」
「だから」
「お前が死ぬのは困る」
言い直され、ウィリアムは目を瞬かせる。この国では不吉の象徴である青紫の瞳が笑みに和らぎ、くしゃりとエリヤの黒髪を手で乱した。
「死なねぇよ。約束だもんな」
ぞんざいな口調を選んだのは、エリヤの不安を大きくしないため。親も姉も殺されたエリヤが嫌う孤独を遠ざけるように抱き上げ、まだ濡れた黒髪にも新たなタオルを乗せた。
「髪を乾かしたら、寝よう」
「もう夜明けだぞ」
言われた通り外は夜明けのオレンジが、夜空を染め替えていく最中だった。視線を向けたウィリアムは肩を竦め、厚いカーテンをさっと引く。暗くなった室内で、髪の水分を丁寧に拭った。
「オレは眠い。今日は移動できないし、寝るぞ」
「我が侭だ」
「我が侭上等! エリヤも一緒に寝ようぜ」
言葉遊びを繰り返す二人はくすくす笑いながら、温まった身体をベッドに放り投げる。かろうじて無事だった数少ない客室を占拠する彼らが、穏やかな寝息を立てたのは――甘いキスの後だった。
0
お気に入りに追加
130
あなたにおすすめの小説
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります
ヘタレな師団長様は麗しの花をひっそり愛でる
野犬 猫兄
BL
本編完結しました。
お読みくださりありがとうございます!
番外編は本編よりも文字数が多くなっていたため、取り下げ中です。
番外編へ戻すか別の話でたてるか検討中。こちらで、また改めてご連絡いたします。
第9回BL小説大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございました_(._.)_
【本編】
ある男を麗しの花と呼び、ひっそりと想いを育てていた。ある時は愛しいあまり心の中で悶え、ある時は不甲斐なさに葛藤したり、愛しい男の姿を見ては明日も頑張ろうと思う、ヘタレ男の牛のような歩み寄りと天然を炸裂させる男に相手も満更でもない様子で進むほのぼの?コメディ話。
ヘタレ真面目タイプの師団長×ツンデレタイプの師団長
2022.10.28ご連絡:2022.10.30に番外編を修正するため下げさせていただきますm(_ _;)m
2022.10.30ご連絡:番外編を引き下げました。
【取り下げ中】
【番外編】は、視点が基本ルーゼウスになります。ジーク×ルーゼ
ルーゼウス・バロル7歳。剣と魔法のある世界、アンシェント王国という小さな国に住んでいた。しかし、ある時召喚という形で、日本の大学生をしていた頃の記憶を思い出してしまう。精霊の愛し子というチートな恩恵も隠していたのに『精霊司令局』という機械音声や、残念なイケメンたちに囲まれながら、アンシェント王国や、隣国のゼネラ帝国も巻き込んで一大騒動に発展していくコメディ?なお話。
※誤字脱字は気づいたらちょこちょこ修正してます。“(. .*)
【完結・BL】DT騎士団員は、騎士団長様に告白したい!【騎士団員×騎士団長】
彩華
BL
とある平和な国。「ある日」を境に、この国を守る騎士団へ入団することを夢見ていたトーマは、無事にその夢を叶えた。それもこれも、あの日の初恋。騎士団長・アランに一目惚れしたため。年若いトーマの恋心は、日々募っていくばかり。自身の気持ちを、アランに伝えるべきか? そんな悶々とする騎士団員の話。
「好きだって言えるなら、言いたい。いや、でもやっぱ、言わなくても良いな……。ああ゛―!でも、アラン様が好きだって言いてぇよー!!」
王太子殿下は悪役令息のいいなり
白兪
BL
「王太子殿下は公爵令息に誑かされている」
そんな噂が立ち出したのはいつからだろう。
しかし、当の王太子は噂など気にせず公爵令息を溺愛していて…!?
スパダリ王太子とまったり令息が周囲の勘違いを自然と解いていきながら、甘々な日々を送る話です。
ハッピーエンドが大好きな私が気ままに書きます。最後まで応援していただけると嬉しいです。
書き終わっているので完結保証です。
田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?
下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。
そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。
アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。
公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。
僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる