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第4章 愚かな策に散る花を

4-8.このまま眠るのは無理でした

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 飛び出した先の景色は、凄惨の一言に尽きた。

 予想していたのは多くの敵が集まり、この砦の者に斬りかかられる光景だった。だが、砦を守るアスターリア伯爵領の兵士は、必死に外敵と戦っている。

 血塗れの庭は、昼間の姿を留めていない。地面の草花は赤く染まり、ぬらぬらと灯りを弾いていた。倒れた兵士と敵らしき雑兵が転がり、生きている者は必死に足掻く。

 アスターリア伯爵にも裏切られたと考えたウィリアムの予想は外れ、真っ赤な血の海で伯爵自身が戦っていた。大きな剣を振りかぶり、無造作に敵を斬り捨てていく。

「伯爵様! 陛下が……」

 兵のあげた声に振り返った伯爵は、鎧すら身に着けていなかった。手元の剣を掴んで飛び出すのが精一杯だったのだろう。肩に届く髪もべったり赤く染まっている。

「ご無事でしたか!」

 ほっとした様子で駆け寄ってくるが、その間もしっかり敵を排除している。武人として名を馳せた伯爵らしい、実に豪快な剣捌きだった。

 親衛隊越しに簡易礼で頭を下げる。

「ご苦労。騒ぎを治めよ」

 気怠さを滲ませた声で命じる少年王には怯えがない。隣に立つ執政に腰を抱かれ、しっかり腕を絡めていた。左手に剣を構える執政は、本来騎士として戦場を駆ける男だ。つい先頃の隣国オズボーンとの戦で先陣を切ったシャーリアス卿ウィリアムへ、無言で頭を下げた。

「陛下のご下命だ。しっかり果たせ」

 砦に侵入した輩の排除を命じる執政は、ぐるりと内庭を見回す。すでに勝敗は決まりかけており、こちらに軍配が上がりそうだ。

「手伝いはいるか?」

「いえ」

 言葉少なに否定し、伯爵は踵を返す。親衛隊を援護に散らせて、ウィリアムは少年王を抱き上げた。

「血に濡れますから」

「今更だろう」

 まだ拘るか。呆れ顔のエリヤの呟きに「それでも、白いままでいて欲しい」と耳元で囁いた。抱き上げた子供は照れたらしく、ぎゅっと首に回した手に力を込めて抱きつく。

 塔の狭い通路では躍らせてしまったが、内庭で同じように血の上を踏ませる必要はなかった。動きにくくても、赤く染め抜かれた大地をエリヤに歩かせる気はない。

「もう終わる」

 予言に似たエリヤの言葉の通り、暗かった空から雲が消えて月光が降り注いだ。明るくなった内庭はほぼ制圧され、正規兵が最後の止めを刺して確認作業に入っている。

 夜明けは遠いが、騒動は終焉に向かっていた。





「折角、髪も綺麗に洗ったのに」
 
 文句を言いながら、幼い主の髪を洗い直す。晩餐後に下がった部屋で洗った髪は、戦いの間に埃まみれになってしまった。気をつけていたのだが、あちこちに血が飛んでいる。

 薔薇の香りがする石鹸で洗い流し、甘い香りを纏わせた。ついでに身体に傷がないか確認しながら、ようやく安堵の息をついてタオルに包んだ。

「お前は過保護すぎる」

 逆らうと後が面倒だとされるままだったエリヤは苦笑いして、目の前の男の髪を掴んだ。一緒に入ると駄々だだねた少年に押し切られ、ウィリアムは一緒にお湯を使った身体を無造作にタオルで覆う。

「ここ、切れている」

 エリヤの指が二の腕に触れる。言われて初めて気付いた傷は小さく、細い線傷だった。血も滲んだ程度で、ウィリアムにとってケガではない。

「あ、本当だ」

「舐めると治るらしい」

「ダメだ。刃に毒が仕込まれてたら困るだろ」

 当たり前の知識、戦場で当然の注意なのだが……少年王は目を瞬かせ、次に唇を尖らせた。不満なのだと子供の仕草で訴える。

「困る」

「だから」

「お前が死ぬのは困る」

 言い直され、ウィリアムは目を瞬かせる。この国では不吉の象徴である青紫の瞳が笑みに和らぎ、くしゃりとエリヤの黒髪を手で乱した。

「死なねぇよ。約束だもんな」

 ぞんざいな口調を選んだのは、エリヤの不安を大きくしないため。親も姉も殺されたエリヤが嫌う孤独を遠ざけるように抱き上げ、まだ濡れた黒髪にも新たなタオルを乗せた。

「髪を乾かしたら、寝よう」

「もう夜明けだぞ」

 言われた通り外は夜明けのオレンジが、夜空を染め替えていく最中だった。視線を向けたウィリアムは肩を竦め、厚いカーテンをさっと引く。暗くなった室内で、髪の水分を丁寧に拭った。

「オレは眠い。今日は移動できないし、寝るぞ」

「我が侭だ」

「我が侭上等! エリヤも一緒に寝ようぜ」

 言葉遊びを繰り返す二人はくすくす笑いながら、温まった身体をベッドに放り投げる。かろうじて無事だった数少ない客室を占拠する彼らが、穏やかな寝息を立てたのは――甘いキスの後だった。
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