上 下
16 / 102
第3章 白薔薇を赤く染めて

3-7.聖女は微笑む

しおりを挟む
 書類の決裁を始めたエリヤを見守りながら、ウィリアムは深く深呼吸して覚悟を決める。

 本当なら呼び出したくない相手だが、この際、そんな我が侭を言っている場合ではないだろう。

 ちらりと視線を落とした先で、エリヤが署名を施す。書類に記されているのは、孤児達を援助する食料や施設の許認可に関わるものだった。達筆な署名に重なるようにして、重く大きな角印が押される。

 これで、今年の冬に寒さと飢えで命を失う孤児がゼロとはいかなくとも、かなり減る筈だ。

「エリヤ、神殿に連絡を取る」

 眉を顰めたエリヤが顔を上げ、嫌そうに溜め息を吐いた。

「彼女達を呼ぶのか……」

「しょうがない」

 エリヤには姉が2人いた。過去形なのは、現在存命しているのが1人だけだからだ。

 両親が殺されるより少し前、暗殺されかけたエリヤを庇って命を落としたのは、一番上の姉だった。その後両親が殺された襲撃事件の時、エリヤは神殿に住まう姉姫を訪ねていて助かったのだ。

 リリーアリス姫――穏やかな彼女は栗色の髪と紫がかった青の瞳を持つ。ユリシュアン王家に現れる蒼でない瞳が紫がかって見えることで、彼女の運命は決まってしまった。

 ―――紫の瞳は、神か魔に魅入られた証。

 過去の伝説で、神話で、教会や神殿の書物で伝えられてきた言葉だ。王家の血を引くリリーアリスは神殿に入り、その人生を捧げる途を与えられた。

 殺される筈だったウィリアムが教会に引き取られたのは、もしかしたら瞳の色が影響したのかも知れない。

 まあ、彼女と違い、自分が魅入られるなら『魔』の方だと確信があったが。


「……騒がしくなるな」

 ぽつりと零れたウィリアムの本心に、苦笑したエリヤが頷いた。



 金色の髪をさらりと背に流し、美しい少女が庭園へ足を踏み出す。色鮮やかな花々が咲き誇る見事な庭園を、優雅な身のこなしで進む姿は神々しさすら感じさせた。

「リリーアリス様、王宮より連絡がありましたわ」

 使者が持ち込んだ国王の親書を手渡した相手も、美しい少女だった。

 穏やかそうな顔に輝く瞳は、薄く紫を帯びた青だ。栗毛を軽く編み込んだ彼女は、白いドレスを捌いて身を起こした。手にした赤い薔薇が朝露を反射して煌く。

「エリヤから? 珍しいこと」

「先日の襲撃事件が原因でしょうけれど、『あの男』が泣きつくなんて……本当に困っているのですわ」

 執政の整った顔を思い出し、くすくす笑う金髪の美女をリリーアリスが咎めるように呼ぶ。

「ドロシア!」

「人の不幸を喜んではいけない――でしたわね」

 ちゃんと覚えていましてよ。

 悪戯が見つかった子供のように口元を押さえたドロシアだが、悪いとは思っていないようだ。リリーアリスより濃いスミレ色の瞳を細め、軽く小首を傾げた。

「リリーアリス様、使者が返答を待っておりますの。どうなさいますか?」

 国王の使者程度の存在に、リリーアリスを直接会わせる気はない。言外にそう告げる心の狭い彼女の問いかけに、半分呆れながら姫は息をついた。

 手の中の親書を開いて目を通し、独占欲の強いドロシアを真っ直ぐに見つめる。

「了承しました、と伝えてください」

「あら、王宮へ行かれるのですか?」

 不満そうな彼女に、「また盗み見て……」とリリーアリスが苦笑する。

「開封はしておりませんわ。封印も残っておりましたでしょう?」

 確かに盗み見ではない。ドロシアが読み取ったのは、文面そのものではなかった。

 人や物に残留した思念を読み取る能力は、世間では『魔女』扱いされる。だが、神殿の中で庇護される立場ならば『神からの贈り物』として大切にされるのだ。

 ――信仰の対象として。

「ドロシア、伝えてきてくださいね」

 念押しするリリーアリスに頷き、ドロシアは薄青のドレスを翻して踵を返す。裾を乱さず優雅に歩く姿が、彼女の高貴な出自を物語っていた。

 優しかった風が、突然強くなる。足元の砂を巻き上げるような強風に髪を押さえ、リリーアリスは目を伏せた。嫌な予感がする…。

「何もなければいいのですが……」

 『神の娘』として崇められてきた象徴たる少女は、憂鬱そうな声で予感を打ち消した。




 新月が過ぎた暗い夜、再び密談の場が持たれた。前回と違い、ひどく焦った空気が場を支配している。

「失敗したぞ」

 どうするのだと問い詰める老齢の男性の声に、だが応えはなかった。残る1人は静かに目を伏せ、何も口にしない。その無言が気に入らない男性が再び声を発しようとした瞬間、顔を上げた青年が声もなく笑った。

 見開いた男の目に映ったのは、自らの罪深さを断罪するような剣の光――目を射る眩しさは、細い月が反射した所為だろうか。悲鳴を上げる間もなく、心臓を貫いた剣は引き抜かれた。

 吹き出す血を浴びることなく、青年は笑みを深める。

「愚かな……」

 なんと愚鈍で、救い難い存在なのか。

 死人を嘲る青年は剣の地を拭い、何もなかったようにその場を後にした。残されたのは、愚かな男の死体と空気を濁す陰謀の臭いだけ…。



 早朝齎された情報に、舌打ちしたウィリアムが机を叩いた。

 執務に与えられた部屋を飛び出し、足音を抑えずに回廊を抜けていく。苛立ちを浮べた表情と剣幕に、誰も話しかけることが出来ない。国王の私室の前で立ち止まり、深呼吸してドアを開いた。

 まだベッドに沈む幼い恋人を見つめ、ベッドの端に腰を下ろす。音もなく沈んだ上質なマットの揺れに、エリヤが薄く目を開く。

「……ウィ…ル」

 名を呼んだ国王の唇を掠めたキスの後、執政としての硬い声で呼びかけた。

「陛下」

「……何があった?」

 一瞬で意識を覚醒させた国王へ、国政を預かる執政の報告がなされる。

「ミシャ侯爵が殺害されました。……オズボーンの侵攻が始まります」

 目を見開いたエリヤは何も言えずに、拳を固く握り締めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生貴族可愛い弟妹連れて開墾します!~弟妹は俺が育てる!~

桜月雪兎
ファンタジー
祖父に勘当された叔父の襲撃を受け、カイト・ランドール伯爵令息は幼い弟妹と幾人かの使用人たちを連れて領地の奥にある魔の森の隠れ家に逃げ込んだ。 両親は殺され、屋敷と人の住まう領地を乗っ取られてしまった。 しかし、カイトには前世の記憶が残っており、それを活用して魔の森の開墾をすることにした。 幼い弟妹をしっかりと育て、ランドール伯爵家を取り戻すために。

「女の子って自転車に乗るときアソコがサドルに当たらないの?」って訊いたら、キレた幼馴染がそのまま俺の手の平にまんこ押し付けてきた話

ベクトル空間
青春
美少女JKである幼馴染の比奈乃(ひなの)は一人暮らしの俺のために、たまに料理を作りに来てくれる。 そんな比奈乃に俺はふと疑問に思ったことを訊いてみた。 「女の子って自転車に乗るときアソコがサドルに当たらないの?」 すると比奈乃はむっとした表情で突然、制服のスカートをたくし上げ、パンツを丸出しに。 そのまま比奈乃は戸惑う俺の右手をつかむと、彼女の股のあたりにそれを持っていった。 「こんな感じだけど、それがどうかしたの?」 そう言いながら、比奈乃は俺の右手にまんこをぐりぐりと押し付けてきて――。 その誘惑に我慢できなくなった俺が、比奈乃に襲いかかると、「本当はね、あんたのことがずっと好きだったんだよ……あんっ」と喘ぎながら彼女は告白してきたのであった。 愛を確かめ合ったこの日を境に、俺と比奈乃のセックス三昧なイチャラブ生活が始まる――。 ※サブタイトルに♥がついているのは本番あり回です。 ※四話でヒロインがデレます!

仲良しカップルが両方性転換して彼氏(彼女)がNTR快楽堕ちしちゃう話

ガニ股ワンチャン
恋愛
遥也…女体化した主人公。妹の彼氏である田中先輩にレイプされメス堕ちしちゃう。 優香…男体化したヒロイン。目の前で堕とされる主人公を見て敗北NTR射精をしてしまう。 真琴…事件の発端‥‥と、言うよりかは付き合ってる田中先輩の言いなりになって兄を女体化させた 田中先輩…デカチンクズ野郎。真琴とヤッて虜にした挙句、女体化薬を何故か持っている。漫画の影響で『メス堕ちする女体化男子』にハマったらしい。因みに勇香は貧乳なので興味はないらしい

さだめの星が紡ぐ糸

おにぎり1000米
BL
それは最初で最後の恋だった――不慮の事故でアルファの夫を亡くしたオメガの照井七星(てるいななせ)は、2年後、夫を看取った病院でアルファの三城伊吹(みしろいぶき)とすれちがう。ふたりは惹かれあったすえにおたがいを〈運命のつがい〉と自覚したが、三城には名門の妻がいた。しかし七星と伊吹のあいだにかけられた運命の糸は切り離されることがなく、ふたりを結びつけていく。 オメガバース 妻に裏切られているアルファ×夫を亡くしたオメガ ハッピーエンド *完結済み。小ネタの番外編をこのあと時々投下します。 *基本的なオメガバース設定として使っているのは「この世界の人々には男女以外にアルファ、オメガ、ベータの性特徴がある」「オメガは性周期によって、男性でも妊娠出産できる機能を持つ。また性周期に合わせた発情期がある」「特定のアルファ-オメガ間にある唯一無二の絆を〈運命のつがい〉と表現する」程度です。細かいところは独自解釈のアレンジです。 *パラレル現代もの設定ですが、オメガバース世界なので若干SFでかつファンタジーでもあるとご了承ください。『まばゆいほどに深い闇』と同じ世界の話ですが、キャラはかぶりません。

青年は自分と共に男の鑑賞物にされる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

ひとまず一回ヤりましょう、公爵様 2

木野 キノ子
ファンタジー
21世紀日本で、ヘドネという源氏名で娼婦業を営み、46歳で昇天…したと思ったら!! なんと中世風異世界の、借金だらけ名ばかり貴族の貴族令嬢に転生した!! 第二の人生、フィリーという名を付けられた、実年齢16歳、精神年齢還暦越えのおばはん元娼婦は、せっかくなので異世界無双…なんて面倒くさいことはいたしません。 小金持ちのイイ男捕まえて、エッチスローライフを満喫するぞ~…と思っていたら!! なぜか「救国の英雄」と呼ばれる公爵様に見初められ、求婚される…。 ハッキリ言って、イ・ヤ・だ!! なんでかって? だって嫉妬に狂った女どもが、わんさか湧いてくるんだもん!! そんな女の相手なんざ、前世だけで十分だっての。 とは言え、この公爵様…顔と体が私・フィリーの好みとドンピシャ!! 一体どうしたら、いいの~。 一人で勝手にどうでもいい悩みを抱えながらも、とりあえずヤると決意したフィリー。 独りよがりな妬み嫉みで、フィリーに噛みつこうとする人間達に、フィリーはどう対処 するのか…。 ひとまず一回ヤりましょう、公爵様の続編、お楽しみください。

明け方に愛される月

行原荒野
BL
幼い頃に唯一の家族である母を亡くし、叔父の家に引き取られた佳人は、養子としての負い目と、実子である義弟、誠への引け目から孤独な子供時代を過ごした。 高校卒業と同時に家を出た佳人は、板前の修業をしながら孤独な日々を送っていたが、ある日、精神的ストレスから過換気の発作を起こしたところを芳崎と名乗る男に助けられる。 芳崎にお礼の料理を振舞ったことで二人は親しくなり、次第に恋仲のようになる。芳崎の優しさに包まれ、初めての安らぎと幸せを感じていた佳人だったが、ある日、芳崎と誠が密かに会っているという噂を聞いてしまう。 「兄さん、俺、男の人を好きになった」 誰からも愛される義弟からそう告げられたとき、佳人は言葉を失うほどの衝撃を受け――。 ※ムーンライトノベルズに掲載していた作品に微修正を加えたものです。 【本編8話(シリアス)+番外編4話(ほのぼの)】お楽しみ頂けますように🌙 ※こちらには登録したばかりでまだ勝手が分かっていないのですが、お気に入り登録や「エール」などの応援をいただきありがとうございます。励みになります!((_ _))*

熱気と淫臭の中で犬達は可愛がられる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...