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第3章 白薔薇を赤く染めて

3-6.愚か者の策略は

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 執政であるウィリアムのケガの噂が広まると、見舞いと称した様子見に顔を出す貴族が増えた。

 溜め息を噛み殺しながら笑顔で応対するウィリアムも、さすがに数の多さにうんざりする。

「……ったく」

 舌打ちして紅茶を口に含む。国王の決済を必要とする書類と、そうでない書類を分類し終えたばかりの机の上は、大量の紙が山と積まれていた。それもまた憂鬱さに拍車をかける。

 いい加減、決済の必要性くらい自分達で判断して処理してもらいたいと思う。

 何でもかんでも、国王か執政の署名を貰って箔をつけようと画策する文官の愚かさに、忙しさと痛みで歯軋りしたい気分だった。


「手伝おう」

 ラユダの穏やかな声に、ささくれた意識を浮上させる。

「あ、頼むわ」

 軽い口調で応じるウィリアムは、貴族相手の時の気取った態度を捨てて笑う。

 指し示した書類の束は、机の上の全体量から見れば3分の1程だった。これでもかなり減らしたのだが、どうしても国内外の重要書類は国王の印が必要なのだ。

 国王宛の書類を運んで説明した上で決済を貰うのは、ウィリアムの執政としての仕事。本来なら手伝う者を傍におくのが執政の慣わしだったが、仕事場を他人が動き回ることで集中できないウィリアムは誰も寄せ付けなかった。

 その為、書類も自分で運んでいたが…さすがに腹部を貫かれた傷は深く、書類を運ぶという些細に見える所作でも動きを制限されてしまう。

 そこで手伝いを頼むことにしたウィリアムが白羽の矢を立てたのは、ラユダだった。ショーンの元にいるという立場だけでも信用に値するが、寡黙なこの男の深く干渉しない態度も気に入っている。

 書類を持ったラユダの軍服に目を止め、ウィリアムは口元に手を当てて考え込んだ。

「しばらく王宮に出入りするなら、服を用意させるか……」

 軍服には襟章や袖口のラインの数、胸元の勲章で階級がわかるようになっている。それとは別に、色でも区別をしていた。ラユダが纏う軍服は、傭兵を集めた第三師団の物だ。

 王宮へ上がる都度、面倒な手続きを取ってウィリアムに確認するのでは、効率が悪いだろうと眉を顰めた。

「明日までに用意させるよ」

 考えるより手配したほうが早い。無駄な金を使う気はないが、使うべきところに惜しむ程バカでもなかった。あっさり決断して手配すると、ラユダを促して国王の執務室へ向かう。

 すれ違う廊下でも、様々な貴族に声を掛けられるため、普段以上の時間がかかってしまった。

「……くだらねぇ」

 呟いた唇をぺろりと舐め、青紫の瞳を眇める。

 心配そうに「大丈夫か」「災難でしたな」と声をかける彼らの本音は、ウィリアムが死ななかったことへの落胆だろう。

 いっそ死んでくれたら、国王の側近の地位が空いたのに……そんな本心がチラつく連中とのやり取りは、苛立ちを高めるだけだった。

 だが、ここで安易に感情を表せば足元を掬われる。どんな些細なミスも命取りになる会話が、魔物の棲家と王宮が揶揄される一端を担っていた。


「書類をお持ちした。陛下に取次ぎを……」

 親衛隊を核に構成させる近衛兵が敬礼し、中から応えのあった重厚な扉を開く。促してラユダと中に身を進めれば、エリヤが立ち上がって近づいてきた。

「……どうした?」

 眉を顰めて手を伸ばし、少年の頬に触れる。包み込むようにして瞳を覗き込めば、蒼は充血して赤くなっていた。泣いていたのかと思ったが、頬に痕跡はない。

 傷になるのも気にせず噛み締められた唇が解かれ、深呼吸したエリヤが怒りを顕にした。

「犯人がわかった!」

「……誰が、報告を…?」

 最初に報告されるべきは、行政を司る執政であり、軍部の要である騎士を兼ねるウィリアムだ。それを飛び越して、吟味されぬままの情報を国王に流した相手を尋ねる。

「ショーンから聞いた」

 意外な名前に目を瞠る。後ろに随行していたラユダを振り返れば、知っていたのか視線を逸らした。

 ラユダに口止めをしたのだろうか。どうせ、すぐにエリヤ自身の口から聞くことになるのを、ショーンは知っている筈なのに……。

「……ウィリアム」

 ラユダが口を開くのを、右手で遮った。

「で、誰が犯人だって?」

「……ミシャ侯爵だ。先日のリアン伯爵家のことを恨んでいる」

 結論から言えば―――犯人は同じだ。証拠を集めてのウィリアムの調査でも結果がでていた。

 ただし、理由が違う。

 老齢のミシャ侯爵の次男がリアン伯爵だった。先日の子爵によるクーデター未遂事件で、ミシャ侯爵の孫娘である子爵夫人は死を賜った。それと同時に、リアン伯爵家の爵位剥奪。ミシャ侯爵の権勢は削がれた。恨んでいないわけがない。

 だが……肝心の情報が一部消されていた。それが故意なのか、本当に知らないのか。

 判断できずに目を細めたウィリアムが、ラユダの手から書類を受け取る。退室を促す眼差しに一礼し、無言で出て行くラユダの後ろ姿を見送るウィリアムが、小さく溜め息をついた。


「ミシャ侯爵家は断絶とする。その上で、縁戚の者から爵位を剥奪……」

 とんでもないエリヤの発言に、さすがのウィリアムも言葉を失った。

 ミシャ侯爵家はこの国の始祖である『初代エリヤ・ユリシュアン』の時代から存続する名家だ。その故に貴族に親族も多く、爵位剥奪される貴族の数は数多に及ぶ。

 クーデターが起きてもおかしくない決断は、優秀で冷静沈着な判断を下す国王らしからぬものだった。

「エリヤ」

「侯爵を殺し……」

「エリヤ!」

 もう一度名を呼ぶ。興奮した様子で侯爵の末路を語っていたエリヤが、不安そうにウィリアムにしがみつく。

 幼い体を抱き寄せて、視線を合わせる為にウィリアムは膝をついた。

「いいか、そんなことをしたら国の根幹が揺らぐ」

 蒼い瞳を真っ直ぐに覗き込む。

「でも……」

「今回の襲撃事件の裏には、オズボーンが絡んでいるんだ」

 目を瞠ったエリヤが唇を噛んで俯いた。怒りのあまり考えが至らなかった自分に気づき、齎された新たな情報から真実を導き出す。時間にすれば僅かだが、それを可能にする聡明さこそエリヤが賢王と称えられる所以ゆえんだった。

「つまり、ミシャも踊らされたという意味か」

「自らステップを踏んだ可能性は否定しないけど、奴らに唆されたのは確かだぜ」

 隣国オズボーンは、この国の豊富な地下資源と農作物が欲しい。旱魃に苦しむ国が選んだ方法は懐柔ではなく、手っ取り早く略奪することだった。その為に邪魔になるのは、賢王エリヤとその側近として辣腕を振るうウィリアムだ。

 エリヤを暗殺しても、側近のウィリアムが生きていれば権力の掌握は不可能だった。だからこそ、刺客は国王の前に立つウィリアムもターゲットと認識していたのだ。

「落ち着いて…エリヤ。今は動いちゃいけない。このまま敵を焦らせて誘い出す」

 言い含めるウィリアムの頬に手を伸ばし、左頬に右手を滑らす。

 僅かに尖らせた唇は納得できない感情を示していたが、不満の言葉を吐き出すことはなかった。

「わかった」

「何を聞いても、まずはオレに相談してくれ」

 こくんと頷く。

 国王の決断は、何にも優先される。エリヤの独断で動き出した軍やシステムは、簡単に止められなかった。そして独断政治で国を乱さない為に、執政という制度は生まれたのだから…。

「……ショーンとは俺が話す」

「わかった。時間を作るよ」

 彼が味方にしろ、敵にしろ。一度きちんと向き合う必要があった。
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