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30.いい加減、僕を見てくれませんか

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 あの子は私の実の娘なの。側妃に殺された吾子が戻ってきたのに、どうして連れ去られてしまうの? 叫ぶ王妃の声が部屋に響く。

「落ち着いてください、母上」

「パトリツィオ! あの子を連れてきて。ルーナは私の娘よ」

 混乱した母親の懇願に、パトリツィオは穏やかに言い聞かせた。

「母上のお話は分かりました。手を尽くしますが……どうしても僕の婚約者はジェラルディーナ嬢でなくてはなりませんか?」

「次の王妃はルーナよ、あの子だけ! それ以外は認めないわ」

「分かりました、落ち着いて。母上に確認しただけですから」

 ぽんぽんと背を叩いて、泣きながら抱き締めてくる母を宥める。この状態になったら、何を言っても理解しない。自らの主張を繰り返すだけだった。何度も見てきた母の狂気に、息子は今日も付き合う。

 本当なら存在していた姉、その身代わりに選ばれたシモーニ公爵令嬢を哀れに思う。彼女の人生は狂わされてしまった。複雑な気持ちを隠して、パトリツィオは呟く。

「……いい加減、僕を見てくれませんか」

 母に届かないその思いは、幼い頃から抱えてきた。死んでしまった姉の面影に固執するのではなく、生きている目の前の息子に意識を向けて欲しい。姉ではなく僕を愛してください。そう告げても、すぐに忘れてしまうのだ。

 母は狂っている――その確証はあった。だから彼女が望む未来を壊したい。シモーニ公爵令嬢が僕の婚約者に決まれば、母上はもう僕を見ないから。あなたの血を引く息子なのに、死んだ姉ばかり追い掛ける母を憐れみ愛しているのか。それとも憎いのか。

 いっそ、もっと狂ってしまえばいい。ジェラルディーナ嬢と他の女性の区別がつかないほど壊れたら、僕の選んだ女性を認めてくれますか?

 何度か会わせたけれど、母は彼女を認めなかった。ジェラルディーナ嬢ではないからだ。伯爵令嬢であり、何も欠ける点のない美しい人。なのに母の目には止まらなかった。ただ、王家の血を引くジェラルディーナ嬢ではないだけで。

「母上、僕には他に好きな人がいるのです。ずっと幼い頃から、あなたはジェラルディーナ嬢の自由を奪って来た。もう解放してあげませんか?」

 ぶつぶつと娘への感情を吐き出す母は、まったく聞いていなかった。人前では王妃としての仮面を被り、正常さを纏って振る舞う。故に父上も気づいていない。妻である女性が、とうの昔に壊れていることを……。

 母の細い肩を抱いて落ち着かせ、そっとベッドへ運んだ。ほつれた髪を指先で撫で、涙に濡れた頬を拭く。この世でたった一人の母親は、まだ亡霊に取り憑かれていた。

「今回はいい機会だった。僕はルーナ姉様の弟になれても、夫になる気はないから」

 愛する伯爵令嬢の姿を思い浮かべ、パトリツィオは窓の外へ目を向けた。美しい夜空が広がる窓の向こうは、風が強いようだ。月を覆う雲が流され、新たな雲が掛かった。

 どうかこのまま、母から彼女が逃げ切れますように。姉のように接した、優しいジェラルディーナの幸福を祈った。
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