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88章 何事も過ぎれば害

1208. 上に立つ者の心得だ

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 各種族の収容が終わった夜、ほっと息を吐きながらテラスから中庭を見回す。ぐるりと魔王城の建物や塀に囲まれた広場は、軍のテントで休む魔獣や大型種族に解放されていた。

 風呂上がりのリリスの黒髪を乾かしながら、ルシファーが口元を緩める。人前で叱られたというのに、気持ちは暖かかった。水に濡れると丸まる性質があるリリスの髪を引っ張って乾かし、丁寧にハネを直す。

「よし、いいぞ」

「ルシファー、私まだ怒ってるのよ」

 唇を尖らせたリリスを手招きして、テラスに置いた長椅子の隣に座らせた。珍しく膝に乗せようとしないルシファーに首を傾げながら、リリスは素直に腰を下ろす。

 見上げた空はまだ曇っていて、だが雨粒は落としていない。このまま雨が止むことを祈りつつ口を開いた。

「オレやアスタロトが濡れていた理由、だったか?」

「そう! ベルちゃんやベルゼ姉さんもよ!」

 ルキフェルとは直接会わなかったが、彼も濡れてたのかしら。リリスが怒っている理由は、自分を大事にしないように見えたのだろう。魔王妃教育の足りない部分が見えて、ルシファーは言葉を選んだ。

「リリス。オレ達は積み上げた経験で行動を起こしている。言葉選びひとつも、誰かへの接し方もそうだ」

 かつて誰かを傷つけた。泣かせた。死を選ばせてしまったこともある。それらを糧にして、二度と同じ失敗をしないと誓った。真剣な話にリリスは黙って先を促す。

「オレが即位して数千年で、大規模な自然災害があった。土砂が崩れ、雨が降り止まず、魔族の半数近くが被災した。そのとき……オレは己の身を結界で包んで雨や土砂を避けて動いたんだ。リリスが言う状況に近い。今回と違って、あの時は死亡者が出た。被害に遭った魔族は、泥まみれでびしょ濡れ。綺麗な状態の奴なんていなかった」

 当然だと頷きかけて、リリスは考え込んだ。ルシファーはわざわざ遠回しな表現を使っている。それは気づいて欲しい何かがあるから。聞いた言葉をもう一度頭の中で繰り返した。

 綺麗な状態の人がいない、家族を失ったり財産を失った人は泥で汚れてびしょ濡れ……私が逆の立場なら、どう見えるかしら。腹が立つと思うわ。お気に入りの服も靴も汚れて、冷たい手足で頑張ったのに、平然としている純白の魔王に「助けてやろう」と手を伸ばされたら?

「弱者は助ける対象、それは今も原則として変わらない。だけど、傷だらけで酷い状況の時に、目の前に平然としてる奴がいたら……リリスはどう感じる?」

「嫌だわ」

 元から綺麗な人達が、汚れた自分達を見下ろす。そう感じると思うし、家族を失っていたら腹が立つと思う。もっと必死になって、汚れるほど努力して助けてくれたらよかった。そう思うもの。リリスは迷いながら呟いた。

「家族が傷ついたら、どうして助けてくれなかったんだって思うし、八つ当たりするわ」

 実際には一生懸命助けてくれたとしても、もっと出来たんじゃないか? そう考える気持ちは出てしまう。

「実はそれ以外にも理由がある。治癒や救出時に地脈の力を借りる場合、結界は邪魔になるんだ」

 結界も一種の魔力だ。それも他者からの攻撃を跳ね除ける機能がついた魔力は、地脈から吸い上げる魔力を弾いてしまう。ベルゼビュートがまとめて治癒する際も、助けた魔族を転送する時も、地脈が流れる中庭を基準としていた。

「いろいろと大変なのね」

「リリスは理解するだけでいい。オレやベルゼの結界を通過するように、おそらく地脈の魔力に干渉せず、リリスは魔力を引き出せる。ただ覚えていてくれ、民の心が離れた王はただの独裁者、この世界の災厄だ」

 表向きの綺麗な話だけで魔王妃を作り上げれば、必ず破綻する。リリスは裏も表も両方知った上で、花を開かせる蕾に育てなくてはならない。微笑んだルシファーに、リリスは頷いた。

「ルシファーのようになるのに、何年かかるかしら」

「さて。オレは8万年ちょっとかかったぞ」

 くすくす笑う2人は再び夜空を見上げる。まだ星も月も見えないが、雨雲は薄くなった気がした。
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