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83章 勇者が攻めてくる季節

1149. すべてが腹立たしい

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 すべてが腹立たしかった。魔王ルシファーを襲撃したという小娘の存在も、策略を巡らせた謀反人も、己の配下であった事実も……他の大公にそれを指摘された苛立ちも胸を焼く。激しい感情が外に噴き出し、魔力を引き摺り出した。呪いの混じった魔力がざわざわと音を立てて広がり、アスタロトの周囲で渦巻く。

「私は、あなた様を」

「魔王につける気だったとでも? 俺は自らあの人に膝を突いた。主君を選んだのは俺自身だ」

 子爵令嬢の名を持つ女を庇う形で飛び出した、若者の胴体を二つに叩き斬る。腑を引き裂く刃の速度を調整し、わざと中身をぶちまけさせた。痛みは少しでも長く、回復の猶予など与えない。散らばった臓物を踏み躙り、一歩踏み出した。

 震える女の赤い唇に、剣を突き立てる。頭の後ろまで突き抜けた剣から一度手を離した。倒れる女を無視し、横から攻撃する別の男を爪で切り裂く。魔法を使って砕くより、圧倒的な力で捩じ伏せる方法を選んだ。そうでなければ、この怒りは収められない。

 頭の中が沸騰するような怒りと後悔が、アスタロトの身を苛んでいた。あの人のお側を離れるべきではなかった。いや、そうではない。あの方はなぜ俺を呼ばなかった? 弱い敵だからか。だとしてもあの方を守って盾になるのは、俺の役目だ。誰にも譲らぬ。

 独占欲に似た醜い感情が噴き出し、アスタロトの怒りに油を注ぐ。燃え上がる炎は周囲を巻き込みながら、吸血鬼王の理性を食い荒らした。

「まだ死なせる気はないぞ」

 灰になりかけた同族を、魔力により包む。まだだ。滅びて楽になる権利などお前にはない。俺が満足するまで、何度でも何千年でも苦しみ続けろ。くつりと喉を鳴らして笑い、散ることも出来ない吸血鬼を手で潰す。再生しかけた心臓を潰され、それでも魔力の檻によって散ることもできず、再び再生を始める。

 魔力さえ残っていれば何度でも再生する吸血種の特性を、逆手に取った拷問だった。頭を貫かれた女の喉に足をかけ、刃を抜く。直後に顔や手足を切り刻んで肉片へと変えた。じわじわと再生しようとする彼女を放置し、倒れた獲物を探して甚振る。

 嫌な気配を漂わせながら、狂ったように殺戮を愉しむ吸血鬼王の姿に、ベルゼビュートは溜め息をついた。呼ばなければよかったかしら。後で八つ当たりされるくらいなら、当事者が痛い目を見るのは仕方ないわよね。この怒りの矛先を自分に向けられるのは御免だ。少しの間発散せたら、ルシファーを呼んで止めてもらおう。

 あっさりと対処方法を決めたベルゼビュートは、近くの大木に寄りかかった。慰めるように葉を揺らす木を見上げ、精霊女王は苦笑いする。

「仕方ないわ、あれでも出会った頃よりマシなんだから」

 大木と会話するように呟き、数回の再生を経て苦しむ吸血鬼に肩を竦めた。そろそろ落ち着いてきたかしら。血腥い空気を気にせず息を吸い込み、小さな声で呼ぶ。

「ルシファー様」

 転移で現れた魔王は、目の前の状況に絶句したらしい。振り返って、アスタロトを指差しながら首を傾げる。お願いと両手を合わせる仕草をすると、呆れ顔になった。珍しくリリスを同行していない。

 黒いローブの裾が、真っ赤に染まる草の上を擦っても気にせず、ルシファーは無造作に近づいた。獲物を踏みつけるアスタロトの肩を叩く。

「その辺にしてやれ。見る限り、数回は殺しかけたんだろう?」

 罪以上の罰だ。そう言い聞かせる主君に、アスタロトは数回の瞬きをする。その度に少しずつ瞳の色が澄んでいった。濁った深赤が透き通っていく。

「我が君、配下から謀反人を出してしまい……」

「詫びる気か? そんなので詫びてたら、ルキフェルやベールは大変だ」

 ドラゴンの叛逆が相次いだルキフェル、神獣に該当する神龍を管理するベール。どちらも淡々と反逆者を処理した。それでいい。

 からりと笑い飛ばし、飛び散った肉片や血の跡を平然と焼き払った。ルシファーが行う浄化を見守るアスタロトの様子はだいぶ落ち着いている。

「少し眠ってこい。結婚式はお前が起きるまで待つさ」

 思わぬ言葉に固まるアスタロトを、ルシファーは笑顔で転移させた。足元に浮かべた魔法陣の終点は漆黒城――アスタロトの居城だ。アスタロトが消えて安心したベルゼビュートが近づき、くるりと指先で巻毛を回す。

「助かりましたわ」

「お礼なら、経理の計算で返してくれ」

 仕方ないと頷くベルゼビュートの頭を、子供にするように優しくルシファーの手が撫でた。
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