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76章 一難去るとまた……

1039. 食糧難が目前でした

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 飢えた狒々の親子は食事を与えられ、残り少ない仲間と一緒に森へ返されることとなった。ここで命を奪っても、当事者の気が済む以外の使い道がない。森に生息する個体数をむやみやたらに減らさない原則に従い、各個体の飢餓状態をチェックするに留めた。

「おかしいなぁ……食べてるんだよね」

 胃や腸の中にある程度の食糧を消化した痕跡が見受けられる。それは数日以内のことなのに、肋骨が浮き出るほど痩せる筈がなかった。今年の森の状況を調査した魔王軍の報告書にも、実りの果実はそれなりに豊富だったと記されている。

 書類を引っ掻き回したルシファーの後ろを片付けながら、アスタロトが眉をひそめた。何か異常事態が起きているのは間違いなく、それは魔の森に関することではないかと推測される。また厄介ごとの予感に顳を指で押さえた。

「リリス姫は何か気づきませんでしたか?」

「……魔の森がくらいかしら」

 寝ている……その表現に、じゃあいつ起きているのか。そんな疑問が大公と魔王の間に広がる。怪訝そうな顔ながら、ルシファーが確認を始めた。

「普段は起きてるのか?」

「私が生まれてからずっと起きてたわ。人族を亡ぼす戦いの後……そうね、神龍のお爺ちゃんが亡くなったあたりで寝ちゃったみたい」

 リリスは記憶をたどるように空中に視線を固定して、考えながら言葉を探す。モレクが大往生を遂げたあたりといえば、ちょうど人族の殲滅戦が一段落ついた頃だった。人族やその土地に集められた魔力と一緒にモレクの魔力が拡散し、魔の森が急激に成長した。

「成長しながら眠ったのですか?」

「成長するから寝るのよ」

 アスタロトの疑問に、リリスは当然のように答えた。

「赤ちゃんは寝てる時間が長いのと同じかも」

 ルキフェルは自分が知る事例になぞらえて呟く。リリスが「そうそれよ」と大きく同意した。木々が成長する程度なら問題ないが、奪われていた広大な大地を覆い尽くす森の負担は大きいのだろう。すべての力を成長に注ぐため、魔の森自身の意識を眠らせたとしたら。

「ずいぶん大規模な成長なのか」

「少量ずつですが奪われて続けた魔力が戻ったのと同時期に、モレクの溜めた魔力も還元されましたから。すべてを森の拡張に注いだのでしょう」

 納得して一段落したところで、ベールが話の大筋を戻す。

「その拡張と森の動物の飢えに、因果関係があるのでしょうか」

 集まった資料を眺める限り、木の実や小動物の激減は見られなかった。事実、同じような食性の魔獣は痩せていない。だから気づくのが遅れたという状況もあった。

 人族の騒ぎに気を取られ、話や意思疎通の出来る魔獣から不満が上がらない。動物は魔族に分類されない獣であり、こちらに訴える知能も会話能力もなかった。そのため気づいたら手遅れに近い状況なのだ。

「狒々の追跡調査も頼む」

「手配済みです」

 解放した狒々が再び森の恵みを口にして飢えるようなら、なんらかの保護対策が必要になる。そもそも今回渡した食料も彼らを太らせる一助になるかどうか。森の動物が絶えれば、次は動物を餌にする魔獣の番だ。最終的に魔族全体の食糧問題となる。

「大変な事態になってきたな」

 ルーサルカは自室に戻り、アベルも屋敷に戻った。この場にいるのは大公以上の存在だけ。不安が滲んだルシファーの呟きに、黒髪のお姫様は明るく返した。

「大丈夫よ、寝ても数十年もすれば起きるわ」

「リリス、その数十年で獣が絶えてしまうんだ」

 驚いた顔をするリリスは「まあ、大変」と今更ながらに、事の重大さを理解した。
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