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64章 己の立場を自覚すること
883. 君のツケを僕に押し付けるの
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イポスは気を張っていた。昨夜のような失態を繰り返すなら、リリスにお役目辞退を申し入れて詫びに首を切り落とそう。思いつめた彼女の様子に、ストラスは眉をひそめた。生真面目な彼女を好きで告白したが、方向性を間違ったまま暴走している気がする。
研究に没頭しすぎる同僚達に似た一途さは、一歩間違うと己の首を絞める縄だった。幸いにして父アスタロトのお陰で、強制的に剣技を身に着けさせられた経験を思い出し、何か対策を……と考え始める。
昔は研究に行き詰まり、自分を実験材料に死のうと本気で思った時期がある。母アデーレの忠告や心配も右から左に聞き流す日々、父に突然呼び出された。面倒だと舌打ちしながら向かった先で、いきなり剣で襲われる。逃げ回る息子をひたすら追いかけたアスタロトは何も語らなかった。
ただ生き延びるために魔獣の血を啜り、逃げ回る中で剣を血から生成して対抗する。必死だった。何度も襲われる理由を問うたが、アスタロトは何も答えない。誰かに助けを求めようにも、影に引きずり込まれて別の場所へ転移させられる繰り返しだった。
数年を費やす追いかけっこに疲れ、破れかぶれに父を撃退するしかないと決意するのに、良心は咎めなかった。倒さねば殺される。追い詰められた精神で、そう考えた。だから彼が影から現れたところに、待ち伏せして気配を消して剣を突き立てる。
簡単に防げるくせに受けたアスタロトが、腹を貫かれたまま口を開いた。
「生きる気になりましたか?」
言われて、死ぬ気も実験材料になって散る気も失せた事実に気づく。ただそれだけのことを伝えるために、数年も追いかけっこをした父の不器用さに大笑いした。涙が出るほど笑って、生成した剣を消滅させる。傷を一瞬で癒したアスタロトは恩着せがましい発言をしなかった。
普段から魔王の補佐で忙しく、文官のトップとして働く彼に自由な時間はほとんどない。その貴重な時間をすべて、息子である自分に注ぎ込んだ。ルキフェルが泣きついたのだとしても、興味がなければ捨て置いただろう。
真面目過ぎる人は、自己犠牲が過ぎる――肩を竦めたストラスはイポスのベルトを爪で切り落とした。するりと落ちる剣帯を兼ねたベルトに慌てる彼女の指先をかい潜り、収納の闇へベルトと剣を飲み込ませる。
「何をするんだ!」
整ったきつい目元をさらに釣り上げて、イポスが怒る。本気で怒っていて、武器があれば切りかかられそうな状況なのに、なぜか口元が緩んでしまった。彼女は今、自分だけを見ている。父もこんな気持ちだったんだろうか。
「イポス、魔王陛下や魔王妃殿下の護衛は大事だけど……僕を見ないのは許さないよ」
「っ! 私は昨日の失態をっ!!」
「君が悔やんでるのも悩んでるのも知ってる。でも、そのツケを僕が払うのは正しいのかな?」
君のツケを僕に押し付けるの? 尋ねる言葉の辛辣さを理解するストラスは、優しい慰めを使わなかった。可哀そうだ、君は悪くないよと彼女の罪悪感を薄れさせるのは簡単だ。
吸血種は他者の気持ちに寄り添うのが上手く、それが獲物を陥落させるひとつの手腕でもある。だが不誠実な使い古された慰めを、最愛の人に使いたいと思う男がいるだろうか。獲物ではなく、誰よりも大切な人だからこそ……誠実に接したかった。
「ごめん」
謝ったものの、どうしたらいいかわからない。そんな恋人を腕の中に抱き寄せ、金髪に唇を寄せる。震える肩は、魔王妃を守らなければと気負ってきた証だった。
彼女の覚悟と信頼を向ける主君が傷ついたとき、隣で守れなかったことはイポスの傷なのだ。その傷を無理に癒す必要はない。抱いた傷をいつか認められるようになるまで、彼女の隣で癒すのが僕の役目なのだから。イポスの金髪に似合う髪飾りを選びながら、ストラスは穏やかな笑みを浮かべた。
研究に没頭しすぎる同僚達に似た一途さは、一歩間違うと己の首を絞める縄だった。幸いにして父アスタロトのお陰で、強制的に剣技を身に着けさせられた経験を思い出し、何か対策を……と考え始める。
昔は研究に行き詰まり、自分を実験材料に死のうと本気で思った時期がある。母アデーレの忠告や心配も右から左に聞き流す日々、父に突然呼び出された。面倒だと舌打ちしながら向かった先で、いきなり剣で襲われる。逃げ回る息子をひたすら追いかけたアスタロトは何も語らなかった。
ただ生き延びるために魔獣の血を啜り、逃げ回る中で剣を血から生成して対抗する。必死だった。何度も襲われる理由を問うたが、アスタロトは何も答えない。誰かに助けを求めようにも、影に引きずり込まれて別の場所へ転移させられる繰り返しだった。
数年を費やす追いかけっこに疲れ、破れかぶれに父を撃退するしかないと決意するのに、良心は咎めなかった。倒さねば殺される。追い詰められた精神で、そう考えた。だから彼が影から現れたところに、待ち伏せして気配を消して剣を突き立てる。
簡単に防げるくせに受けたアスタロトが、腹を貫かれたまま口を開いた。
「生きる気になりましたか?」
言われて、死ぬ気も実験材料になって散る気も失せた事実に気づく。ただそれだけのことを伝えるために、数年も追いかけっこをした父の不器用さに大笑いした。涙が出るほど笑って、生成した剣を消滅させる。傷を一瞬で癒したアスタロトは恩着せがましい発言をしなかった。
普段から魔王の補佐で忙しく、文官のトップとして働く彼に自由な時間はほとんどない。その貴重な時間をすべて、息子である自分に注ぎ込んだ。ルキフェルが泣きついたのだとしても、興味がなければ捨て置いただろう。
真面目過ぎる人は、自己犠牲が過ぎる――肩を竦めたストラスはイポスのベルトを爪で切り落とした。するりと落ちる剣帯を兼ねたベルトに慌てる彼女の指先をかい潜り、収納の闇へベルトと剣を飲み込ませる。
「何をするんだ!」
整ったきつい目元をさらに釣り上げて、イポスが怒る。本気で怒っていて、武器があれば切りかかられそうな状況なのに、なぜか口元が緩んでしまった。彼女は今、自分だけを見ている。父もこんな気持ちだったんだろうか。
「イポス、魔王陛下や魔王妃殿下の護衛は大事だけど……僕を見ないのは許さないよ」
「っ! 私は昨日の失態をっ!!」
「君が悔やんでるのも悩んでるのも知ってる。でも、そのツケを僕が払うのは正しいのかな?」
君のツケを僕に押し付けるの? 尋ねる言葉の辛辣さを理解するストラスは、優しい慰めを使わなかった。可哀そうだ、君は悪くないよと彼女の罪悪感を薄れさせるのは簡単だ。
吸血種は他者の気持ちに寄り添うのが上手く、それが獲物を陥落させるひとつの手腕でもある。だが不誠実な使い古された慰めを、最愛の人に使いたいと思う男がいるだろうか。獲物ではなく、誰よりも大切な人だからこそ……誠実に接したかった。
「ごめん」
謝ったものの、どうしたらいいかわからない。そんな恋人を腕の中に抱き寄せ、金髪に唇を寄せる。震える肩は、魔王妃を守らなければと気負ってきた証だった。
彼女の覚悟と信頼を向ける主君が傷ついたとき、隣で守れなかったことはイポスの傷なのだ。その傷を無理に癒す必要はない。抱いた傷をいつか認められるようになるまで、彼女の隣で癒すのが僕の役目なのだから。イポスの金髪に似合う髪飾りを選びながら、ストラスは穏やかな笑みを浮かべた。
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