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56章 海という新たな世界

798. 迂闊な行動の言い訳

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「……びっくりした」

 緊張した響きを安堵の色に変えた溜め息と呟きに、ルキフェルはそっと顔を上げた。自分を抱きしめる腕は慣れたベールの物だ。銀色の長い髪がさらりと肩を滑って、ルキフェルの視界を塞いだ。

「無事でよかったです」

 水色の髪を撫でてくれる優しく温かな手に、目を閉じてぎゅっとしがみついた。リリスが来てから、兄になるんだからと我慢していたが、やっぱり安心できる。

「あっ! 黒い粒が、爆発っ!」

「とりあえず封じておいた」

 けろりと告げたのは、最初に聞いたルシファーの声だった。ルキフェルの結界を破った黒い粒は、黒い煙に変化している。割れた瓶の欠片ごと結界にくるんだルシファーは、興味深そうに不透明の結界を覗き込む。

「これ、何だ? こないだの三角の魔物か?」

「海水だよ」

 魔王の結界を破る強さはないらしい。四角く囲った結界の中で、もぞもぞと煙は蠢いていた。まるで生き物のようだ。不気味な動きに嫌悪を覚えて、ベールが眉をひそめる。

「海水に混じっていた黒い灰でしょうか」

「わからない。この海水の瓶は時間を進める魔法陣の上に置いてた。危険を感じたから外で開けたんだけど……」

 それでも爆発してしまった。転移魔法陣はまだ無傷で下に広がる。魔法文字の変質もなく、そのまま使用可能だった。ルキフェルに歩み寄るルシファーの背にしがみついたリリスが、後ろから声をかける。

「ねえ、ルシファー。もう顔を出してもいい?」

「ああ、大丈夫だよ」

 危険だから後ろにいろと言われたリリスは、きちんと指示を守ったらしい。ほっとした様子で横から顔を見せ、腕を絡めて隣に立った。シンプルなワンピース姿だが、肩の水色から裾の紺までグラデーションが美しい。黒髪で上半身が暗くなりがちなリリスに合わせ、淡い色が上になるグラデーションを提案したのはアラクネだろう。

「外で開けたのは正解だったが、次は二重結界にした方がいいかもな」

「そうする」

 ルキフェルはほっとしながら、後ろで守られている部下の無事にも肩の力を抜いた。いざとなれば竜体になって防ぐつもりだったが、間に合ってよかったと思う。

「あれ? でもベールを呼んだのに」

「隣にいたのですよ、召喚されて転移する私の裾を掴んで一緒に飛んできました」

 最高権力者として、その迂闊な行為はどうかと思います。説教の響きを滲ませるベールに、ルシファーは慌てて言い訳した。

「だって、大事な弟の危機だぞ? それにオレがいて助かったじゃないか」

 見事な正方形の結界を指さし、オレが助けたと力説する。ルシファーのあまりに必死な様子に、ルキフェルが吹き出した。後を追うようにリリスも笑い出す。見ると背後の部下たちも口元を隠しているが、笑っているようだ。

「結界に関しては感謝しております」

「……それ以外に何かあるのか?」

 結界に関しては、と区切られたことで疑心暗鬼でびくつく魔王――腕を絡めるリリスは、まだふくらみの足りない胸を押し付けながら、冷や汗をかく純白の魔王の頬を撫でた。

「安心して、ルシファー。私が守るわ」

「え? あ、オレもリリスを守るぞ」

「人を悪役扱いするなんて、いい度胸です。ひとまず、この黒い物質の処分を考えた方がよろしいかと思いますが」

 言われて、放置した四角い黒箱状態の結界を覗き込んだ。動く煙の正体は不明だが、ルキフェルが危険を感じたなら、外に出さない方が良いのだろう。もし日本人が口にした爆弾の中身なら、開放するのは世界の危機を招きかねない。

「いつも通り廃棄でいいか」

「そうですね」

 火山の奥深く、魔族も魔物も近寄れない場所へ転移させる。結界を張るのが早かったため、周囲への拡散は見られず、また念を入れた転移魔法陣も無事だった。魔力を流してあっさりと転移で目の前から消す。

「海水の時間を進めるのはひとまず中止しましょう」

 原因がわかるまで、一時的に海水に関するすべての研究や実験が凍結された。
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