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44章 呪われし勇者

593. 身支度を整えるのは礼儀です

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 お風呂に入り、ピンクの薔薇を散らした湯船でルシファーの膝に座る。傷ひとつない白い左手を掴んだルシファーが、手の甲を確かめてからひっくり返す。手のひらに唇を押し当てた。

「リリスは濃く出ていたな」

 リリスを拾って3年、最初にあざに気づいたのも風呂だった。傷かと思った赤い色が勇者の痣だと知り、リリスと敵対するかもしれない未来を恐れる。大急ぎで調べたアスタロト達に「リリスは魔族だから問題なし」と言い切られ、安心したことも思い出す。

 模様が読める形になるほど鮮やかだったのは、歴代勇者の中でも数人だけだ。初代は言うに及ばず、痣の紋章が濃いほど強くなる傾向があった。そのためリリスの痣が濃い時点で、ベール達が焦ったのは当然の反応だ。

 目の中に入れても痛くない程可愛がる子供が勇者で、敵対したとしたら――ルシファーはその命を素直に差し出すのではないか。懸念は現実になる可能性が高く、それ故に彼らは「勇者は人族」という曖昧な根拠に基づき、リリスが魔族分類となる事実に安堵した。

「そうね、くっきり出たもの」

 ぼんやりした痣は、勇者について話した後に鮮やかになり暴走した。腕に巻いた飾りが原因だ。月光に輝く金髪を欲しがったリリスへアスタロトが与えた髪、強請られてルシファーが与えた純白の髪。リリスの両腕にそれぞれ巻かれた髪を編んだ紐が、リリスの勇者の痣と反発した。

 あの当時は勇者は魔王と敵対する存在だから、魔力が反発したと考えて納得したが……よく考えてみたら辻褄つじつまが合わないのだ。

 ピンクの花びらを拾って千切り、ふわりと香る甘い香りに頬を緩めたリリスがルシファーに寄り掛かった。抱きとめたルシファーの髪を掴んで弄りながら、少女は薔薇をまた拾う。

「痣については皆がいる場所で話すけど……」

 アスタロトの封印についても黙っているわけにいかない。心配そうなリリスへ、ルシファーはひとつ溜め息をついてから、顎を彼女の頭に乗せた。顔を合わせず、目を覗き込まない姿勢で呟いた。

「あいつは強い。それにベルゼやベールは知ってるぞ」

 ルキフェルは知らないだろう。いくら親しくても、ベールが勝手にアスタロトの個人的な話をしたとは思えない。相談事に対して口が堅いのは、あのベルゼビュートですら絶対だ。契約に近い感覚で順守されてきた。噂に関しては本当に緩いけれど。

 城内で見聞きした話を勝手に広めるくせに、相談された内容は頑なに守り通す。アンバランスだが、だからこそベルゼビュートは他の大公に信用されるのだ。他の部分に関する信頼はがたがたでも、彼女は話していい内容と秘するべき話の境目をはっきりさせてきた。

「ロキちゃんは知らない?」

「多分……オレは話していない。他の奴らが話すと思うか?」

「ううん」

 首を横に振ったリリスが、濡れた黒髪を肌に張りつかせたまま立ち上がった。以前より長くなった黒髪は膝の裏まで届く。

「そろそろ時間よ」

「ああ、そうだな」

 この先の話が多少辛く苦しい内容を含んだとしても、誰かが悲しみ怒る話だとしても……いつかは共有しなくてはならない。ふかふかの白いタオルをリリスの肩にかけ、ルシファーは魔法で水を弾いて髪や身体を乾かした。いつも通り愛用の黒いローブを着ると、用意してあった装飾品をつけていく。

 12歳になったから自分でやる、よくわからない理由で魔法により髪を乾かしたリリスが2着のドレスを魔力で浮かせて示した。

「ルシファー、こっちとこっち……どちらが可愛いかしら」

 淡いオレンジと少し濃い目の赤。複数枚のスカートが重なる赤の方が似合いそうだ。日が沈んでいく時間帯ならば、なおさら……濃色の服が相応しいだろう。明るい日差しの下ならパステルカラーも似合うが、話の深刻さから判断して場違いだった。

「赤がいい。リリスの瞳の色と同じだ。この指輪を着けようか」

 金色の台座に美しい赤い宝石が飾られた指輪を渡す。受け取ったリリスがサイズを見ながら、迷った末に中指に嵌めた。右手に飾った指輪がきらりと輝く。

「綺麗ね」

「昔倒した炎龍から取り出した石だ。一時期アスタロトに貸したんだが、突然返してきた。昔は白金だった気がするんだが……」

 貸してる間に地金が変更された。あいつの行動は昔からわからん。ぼやきながら、リリスを鏡の前に座らせる。

 すでに乾かした黒髪に丁寧にブラシと櫛を通してから、するすると丸めて夜会巻きにした。両側に髪を残して三つ編みにし、それも絡めるようにピンで飾っていく。真珠の飾りピンで三つ編みを留めれば、髪飾りなしでも美しく整えられた。

「うん、可愛いな。エスコートさせていただけますか? お姫様」

「うふふ、光栄ですわ」

 手を取って歩き出す。寝室から隣のリビングへ続く扉を開く前に、ひとつだけ深呼吸した。ゆっくり開いた部屋に、すでに用意されたお茶の香りが漂い……それぞれに身支度を整えた大公4人が優雅に一礼する。魔王と魔王妃を迎え入れた部屋は、どこか冷たい空気が漂っていた。
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