558 / 1,397
41章 溺愛の弊害
555. 女神の加護という籠
しおりを挟む
※流血表現があります。
***************************************
火事を免れた大聖堂周辺は、魔獣達により包囲された。中の神官にしたら、あのまま焼け死ぬことが出来た方が幸せだっただろう。逃げ込んだ信者は、血塗れの景色に驚き怯えた。ルシファーを含めた全員が姿を消した大聖堂は、呻き声が充満する野戦病院さながらの光景が広がる。
数人が傷の手当てに動くが、傷が深く手に負えない。薬も治癒魔術が使える者もない状況で、人々に出来たのは止血のために布を結ぶ程度だった。食べ物や水がない大聖堂の周囲では、悲鳴や逃げ回る人々の怒号が飛び交っている。
派手に瓦礫が崩れる音が響くたび、大聖堂の住人達は首を竦めて震えた。少しすると気づく者がちらほらと現れる。
魔獣や魔族が、この大聖堂に入ってこないのだ。
「ここにいれば、助かる……のか?」
「女神様のご加護だ」
女神像を拝み、信者は涙しながら祈りを捧げた。徐々に死んでいく神官を見ないフリで己を騙し、信仰に逃げ込む姿は愚かの極みだ。数時間経って危機感が麻痺し始めると、今度は別のことが気になった。大聖堂にいるべき人物が見当たらないのだ。
「聖巫女様がおられない……」
茫然と呟いた誰かの声に、ざわめきが広がった。女神の代理人たる聖巫女はどこへ消えたのか、囚われたのではないか? 最初は心配が信者の顔を曇らせた。そうして一通り案じる声が収まると、今度は疑惑が浮かぶ。人はどこまでも自分が大切な種族なのだから。
傷ついた足を引きずり、千切れた手足を拾い集め、疲れと恐怖に震える身体を寄せ合う人々にとって、精神の支えである聖巫女の不在は見逃せない。天井近くの梁に腰掛けたアスタロトが、興味深そうに足元の人々を眺めた。
「頃合い、でしょうか」
ここに主を呼んで楽しみたいが、あの人はこういう趣向は嫌いでしょうし。楽しんでいるだろうベルゼビュートの邪魔をするのは気が咎め、ルキフェルかベール辺りに声をかけることにした。熟した実は腐って落ちるもの――これは世の理だ。
幸いにして、ドラゴンはこの大聖堂を中心に教会を取り囲んでいた。指揮を執るルキフェルの魔力も近くに感じる。ルキフェルを呼べば、過保護なベールも飛んでくるため、大公2人を観客に悲劇の演出が出来るだろう。
口元に浮かんだ笑みを裂くようにして、小さく名を呼ぶ。
「ルキフェル」
「どうしたの?」
予想より早く表れたルキフェルは、両手をドラゴン形態に変化させていた。小さな角が水色の髪から覗く青年は、全身返り血に汚れている。
「楽しんでいたところを邪魔しましたか?」
「うーん、もうかなり済んだかな。外の魔獣やドラゴンはまだ楽しんでるけど、僕達は役目もあるから」
大公である彼らは後始末を含め、もう少ししたら切り上げて魔王の元に集う必要がある。
神龍族は別の場所で楽しんでいるし、ドラゴン種はこの辺りで手を引かないと「獲物を取り過ぎ」だと非難されかねない。そう匂わせたルキフェルは肩を竦めた。好青年の外見で恐ろしい内容をけろりと語ったルキフェルは、縦に走る瞳孔を細めて足元の獲物をみる。
好物を前に我慢する獣のような表情に、アスタロトが笑顔で提案した。
「さきほどルシファー様から賜った聖巫女が手元にあります。象徴たる女の不在で苛立つ彼らの中に、無傷で物知らずな聖巫女を放り出したら……」
意味ありげに言葉を切って反応を窺うアスタロトへ、顔を伝う返り血を拭うルキフェルが無邪気に言い放った。
「それならベールも呼んで、ベルゼビュートにも聞いてみよう」
同僚を呼び寄せるルキフェルの声に、応じたのはベールの方が早かった。魔王軍の指揮官として、きっちり軍服を纏った彼は銀の長い髪を後ろで結っている。
「ルキフェル、楽しそうな遊びですね」
事情を伝えられたベールの軍服は黒く濡れていた。濃い色の軍服を湿らせる返り血は、彼が魔術や剣という手段より爪や牙を好んで遊んだ証拠だ。
「残った獲物の分配先を決める必要がありますね」
***************************************
火事を免れた大聖堂周辺は、魔獣達により包囲された。中の神官にしたら、あのまま焼け死ぬことが出来た方が幸せだっただろう。逃げ込んだ信者は、血塗れの景色に驚き怯えた。ルシファーを含めた全員が姿を消した大聖堂は、呻き声が充満する野戦病院さながらの光景が広がる。
数人が傷の手当てに動くが、傷が深く手に負えない。薬も治癒魔術が使える者もない状況で、人々に出来たのは止血のために布を結ぶ程度だった。食べ物や水がない大聖堂の周囲では、悲鳴や逃げ回る人々の怒号が飛び交っている。
派手に瓦礫が崩れる音が響くたび、大聖堂の住人達は首を竦めて震えた。少しすると気づく者がちらほらと現れる。
魔獣や魔族が、この大聖堂に入ってこないのだ。
「ここにいれば、助かる……のか?」
「女神様のご加護だ」
女神像を拝み、信者は涙しながら祈りを捧げた。徐々に死んでいく神官を見ないフリで己を騙し、信仰に逃げ込む姿は愚かの極みだ。数時間経って危機感が麻痺し始めると、今度は別のことが気になった。大聖堂にいるべき人物が見当たらないのだ。
「聖巫女様がおられない……」
茫然と呟いた誰かの声に、ざわめきが広がった。女神の代理人たる聖巫女はどこへ消えたのか、囚われたのではないか? 最初は心配が信者の顔を曇らせた。そうして一通り案じる声が収まると、今度は疑惑が浮かぶ。人はどこまでも自分が大切な種族なのだから。
傷ついた足を引きずり、千切れた手足を拾い集め、疲れと恐怖に震える身体を寄せ合う人々にとって、精神の支えである聖巫女の不在は見逃せない。天井近くの梁に腰掛けたアスタロトが、興味深そうに足元の人々を眺めた。
「頃合い、でしょうか」
ここに主を呼んで楽しみたいが、あの人はこういう趣向は嫌いでしょうし。楽しんでいるだろうベルゼビュートの邪魔をするのは気が咎め、ルキフェルかベール辺りに声をかけることにした。熟した実は腐って落ちるもの――これは世の理だ。
幸いにして、ドラゴンはこの大聖堂を中心に教会を取り囲んでいた。指揮を執るルキフェルの魔力も近くに感じる。ルキフェルを呼べば、過保護なベールも飛んでくるため、大公2人を観客に悲劇の演出が出来るだろう。
口元に浮かんだ笑みを裂くようにして、小さく名を呼ぶ。
「ルキフェル」
「どうしたの?」
予想より早く表れたルキフェルは、両手をドラゴン形態に変化させていた。小さな角が水色の髪から覗く青年は、全身返り血に汚れている。
「楽しんでいたところを邪魔しましたか?」
「うーん、もうかなり済んだかな。外の魔獣やドラゴンはまだ楽しんでるけど、僕達は役目もあるから」
大公である彼らは後始末を含め、もう少ししたら切り上げて魔王の元に集う必要がある。
神龍族は別の場所で楽しんでいるし、ドラゴン種はこの辺りで手を引かないと「獲物を取り過ぎ」だと非難されかねない。そう匂わせたルキフェルは肩を竦めた。好青年の外見で恐ろしい内容をけろりと語ったルキフェルは、縦に走る瞳孔を細めて足元の獲物をみる。
好物を前に我慢する獣のような表情に、アスタロトが笑顔で提案した。
「さきほどルシファー様から賜った聖巫女が手元にあります。象徴たる女の不在で苛立つ彼らの中に、無傷で物知らずな聖巫女を放り出したら……」
意味ありげに言葉を切って反応を窺うアスタロトへ、顔を伝う返り血を拭うルキフェルが無邪気に言い放った。
「それならベールも呼んで、ベルゼビュートにも聞いてみよう」
同僚を呼び寄せるルキフェルの声に、応じたのはベールの方が早かった。魔王軍の指揮官として、きっちり軍服を纏った彼は銀の長い髪を後ろで結っている。
「ルキフェル、楽しそうな遊びですね」
事情を伝えられたベールの軍服は黒く濡れていた。濃い色の軍服を湿らせる返り血は、彼が魔術や剣という手段より爪や牙を好んで遊んだ証拠だ。
「残った獲物の分配先を決める必要がありますね」
33
お気に入りに追加
4,963
あなたにおすすめの小説
【完結】聖獣もふもふ建国記 ~国外追放されましたが、我が領地は国を興して繁栄しておりますので御礼申し上げますね~
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
婚約破棄、爵位剥奪、国外追放? 最高の褒美ですね。幸せになります!
――いま、何ておっしゃったの? よく聞こえませんでしたわ。
「ずいぶんと巫山戯たお言葉ですこと! ご自分の立場を弁えて発言なさった方がよろしくてよ」
すみません、本音と建て前を間違えましたわ。国王夫妻と我が家族が不在の夜会で、婚約者の第一王子は高らかに私を糾弾しました。両手に花ならぬ虫を這わせてご機嫌のようですが、下の緩い殿方は嫌われますわよ。
婚約破棄、爵位剥奪、国外追放。すべて揃いました。実家の公爵家の領地に戻った私を出迎えたのは、溺愛する家族が興す新しい国でした。領地改め国土を繁栄させながら、スローライフを楽しみますね。
最高のご褒美でしたわ、ありがとうございます。私、もふもふした聖獣達と幸せになります! ……余計な心配ですけれど、そちらの国は傾いていますね。しっかりなさいませ。
【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
※2022/05/10 「HJ小説大賞2021後期『ノベルアップ+部門』」一次選考通過
※2022/02/14 エブリスタ、ファンタジー 1位
※2022/02/13 小説家になろう ハイファンタジー日間59位
※2022/02/12 完結
※2021/10/18 エブリスタ、ファンタジー 1位
※2021/10/19 アルファポリス、HOT 4位
※2021/10/21 小説家になろう ハイファンタジー日間 17位
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
【完結】過保護な竜王による未来の魔王の育て方
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
魔族の幼子ルンは、突然両親と引き離されてしまった。掴まった先で暴行され、殺されかけたところを救われる。圧倒的な強さを持つが、見た目の恐ろしい竜王は保護した子の両親を探す。その先にある不幸な現実を受け入れ、幼子は竜王の養子となった。が、子育て経験のない竜王は混乱しまくり。日常が騒動続きで、配下を含めて大騒ぎが始まる。幼子は魔族としか分からなかったが、実は将来の魔王で?!
異種族同士の親子が紡ぐ絆の物語――ハッピーエンド確定。
#日常系、ほのぼの、ハッピーエンド
【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/08/13……完結
2024/07/02……エブリスタ、ファンタジー1位
2024/07/02……アルファポリス、女性向けHOT 63位
2024/07/01……連載開始
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
逃げて、追われて、捕まって
あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。
この世界で王妃として生きてきた記憶。
過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。
人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。
だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。
2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ
2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。
**********お知らせ***********
2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。
それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。
ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる