上 下
431 / 1,397
32章 怯える聖女、追う幼女

428. 立派すぎる非公式名称

しおりを挟む
 鮮やかな手並みに、茫然とする勇者アベルは悟った。怒らせてはいけない相手は実力者ルシファーではなく、裏で彼らを操るアスタロトなのだと。裏の権力者ほど恐い存在はいない。胸にしっかり刻んだ言葉を、あの少女にも伝えなくては……奇妙な使命感が芽生えた。

 この使命感は、のちに人族にとって大きな楔となる。

 泣き疲れて眠ったリリスを抱いたまま、ルシファーは立ち尽くしていた。何が起こったのか、思い浮かべようとすると頭が痛くなる。思い出したくないと拒絶する中で、リリスに嫌われたような……ぼんやりした記憶の断片がチクチクした痛みをもたらし、ルシファーは考えを放棄した。

 辛い言葉を投げかけられたが、子供の癇癪に過ぎない。事実、この子はまた腕の中で眠っているのだから、それでいい――安堵の息をついたルシファーの隣で、アスタロトとルキフェルが胸を撫でおろす。大きな騒動にならずに収まったことで、顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

「いきなり呼ばれたので驚きました」

「他に思いつかなかった」

「いえ、助かりましたよ。魔王陛下の危機ですからね」

 魔法や物理での攻撃ならば、これほど心配しなかった。しかし初めて大切にする存在が出来たルシファーは、精神的に打たれ弱い。17人の妻を見送ったアスタロトや、番を喪っても死ねなかったベールでなければ、この場は収まらなかっただろう。

 そう考えるなら、誰かを失った経験のないルキフェルが助けを求めるのは、正しい行動だった。幸いにして、この場の魔族の大半は『魔王妃の言葉の暴力により魔王陛下が崩壊未遂事件(非公式名称)』を認識していない。

「留守役なので私は戻ります。机や椅子も持ち帰りましょう」

 笑いながら絨毯を含めた家具を転送し、アスタロトはルシファーに向き直った。

「陛下、ご武運を」

「ああ。留守を頼む」

 まともなやり取りに、エドモンドは鱗の生えた手で胸を撫でおろした。また竜体に戻る予定だったので、中途半端に人型を取っている。オレリアに至っては、安心しすぎて腰が抜けていた。立てない彼女を心配する同族が手を貸す。

「この事件については、くれぐれも…くれぐれも他言無用、わかりますね?」

 口調は丁寧だが「口外したら楽に死ねると思うな」と圧を掛けられ、勇者アベルを含めた真相を知る一同は無言で頷いた。何しろ二度繰り返された。逆らえば命はない。

 足元に魔法陣を展開して城へ戻るアスタロトの姿が消えると、アベルはよろめいて座り込む。酒盛りをしていたドワーフが1人駆け寄り、背を撫でてくれた。

「なんだ、情けない。この程度の酒で酔うなんざ、嫁の一人も貰えんぞ」

「嫁は一人で十分じゃ」

 がははっと大声で笑う別のドワーフが、アベルの手を掴んで引っ張った。小人族とはいえ、大人の胸辺りまである。がっしりした腕は力こぶが浮かぶ、太いものだった。

「まあ、新人は酔い潰されんのが仕事だあ」

「ほらほら。早くせえ」

「え? いや、僕は人族なので……あれ、ちょっと?!」

 あっという間にドワーフの集団へ取り込まれる。浴びるように酒を飲むという表現を通り越し、本当に酒が浴びせられた。咳き込みながら酒臭い空気を吸い込む。途端にくらりとして後ろに倒れた。

「アベル殿は飲酒できたのか?」

 エルフの1人が心配そうに呟く。ドラゴンの背で酔う子供が、酒など口にして平気なわけがない。そんなニュアンスに、慌ててエドモンドが救出に向かう。たどり着いた先で酒浸しになった勇者を回収し、ドワーフ達に飲みすぎ注意を言い渡して戻った。

「ん? なんだ。アベルは酒を飲むほど回復したのか」

 見当違いの感想を述べるルシファーに「飲んだんじゃなく、掛けられたんだと思う」とルキフェルが訂正を入れる。なるほどと頷いたルシファーの前に、ひらりと蝶が1羽舞った。季節外れの蝶は、一瞬でベルゼビュートの姿を映し出す。

「陛下、早く来ていただかないと魔獣達が襲ってしまいますわ」

 人族の都が迫る魔の森は、周囲の木を伐り倒した跡が残っていた。そこに立つベルゼビュートは己の姿だけでなく、風景や魔獣の群れも一緒に投影する。

 ぎゅっとしがみ付いて眠るリリスの背をリズムよく叩きながら、宴会状態のドワーフや魔物狩りを始めたドラゴン達を見回した。まさに子供の遠足状態だ。それぞれに好き勝手なことを始めた魔族を纏めるべく、ルシファーは出立の指示を出した。
しおりを挟む
感想 851

あなたにおすすめの小説

【完結】聖女と結婚ですか? どうぞご自由に 〜婚約破棄後の私は魔王の溺愛を受ける〜

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
【表紙イラスト】しょうが様(https://www.pixiv.net/users/291264) 「アゼリア・フォン・ホーヘーマイヤー、俺はお前との婚約を破棄する!」 「王太子殿下、我が家名はヘーファーマイアーですわ」  公爵令嬢アゼリアは、婚約者である王太子ヨーゼフに婚約破棄を突きつけられた。それも家名の間違い付きで。  理由は聖女エルザと結婚するためだという。人々の視線が集まる夜会でやらかした王太子に、彼女は満面の笑みで婚約関係を解消した。  王太子殿下――あなたが選んだ聖女様の意味をご存知なの? 美しいアゼリアを手放したことで、国は傾いていくが、王太子はいつ己の失態に気づけるのか。自由に羽ばたくアゼリアは、魔王の溺愛の中で幸せを掴む!  頭のゆるい王太子をぎゃふんと言わせる「ざまぁ」展開ありの、ハッピーエンド。 ※2022/05/10  「HJ小説大賞2021後期『ノベルアップ+部門』」一次選考通過 ※2021/08/16  「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過 ※2021/01/30  完結 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう

【完結】聖獣もふもふ建国記 ~国外追放されましたが、我が領地は国を興して繁栄しておりますので御礼申し上げますね~

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
 婚約破棄、爵位剥奪、国外追放? 最高の褒美ですね。幸せになります!  ――いま、何ておっしゃったの? よく聞こえませんでしたわ。 「ずいぶんと巫山戯たお言葉ですこと! ご自分の立場を弁えて発言なさった方がよろしくてよ」  すみません、本音と建て前を間違えましたわ。国王夫妻と我が家族が不在の夜会で、婚約者の第一王子は高らかに私を糾弾しました。両手に花ならぬ虫を這わせてご機嫌のようですが、下の緩い殿方は嫌われますわよ。  婚約破棄、爵位剥奪、国外追放。すべて揃いました。実家の公爵家の領地に戻った私を出迎えたのは、溺愛する家族が興す新しい国でした。領地改め国土を繁栄させながら、スローライフを楽しみますね。  最高のご褒美でしたわ、ありがとうございます。私、もふもふした聖獣達と幸せになります! ……余計な心配ですけれど、そちらの国は傾いていますね。しっかりなさいませ。 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ ※2022/05/10  「HJ小説大賞2021後期『ノベルアップ+部門』」一次選考通過 ※2022/02/14  エブリスタ、ファンタジー 1位 ※2022/02/13  小説家になろう ハイファンタジー日間59位 ※2022/02/12  完結 ※2021/10/18  エブリスタ、ファンタジー 1位 ※2021/10/19  アルファポリス、HOT 4位 ※2021/10/21  小説家になろう ハイファンタジー日間 17位

【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。

みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」 魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。 ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻に差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。 あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で運命的な出会いをする。 【2024年3月16日完結、全58話】

ReBirth 上位世界から下位世界へ

小林誉
ファンタジー
ある日帰宅途中にマンホールに落ちた男。気がつくと見知らぬ部屋に居て、世界間のシステムを名乗る声に死を告げられる。そして『あなたが落ちたのは下位世界に繋がる穴です』と説明された。この世に現れる天才奇才の一部は、今のあなたと同様に上位世界から落ちてきた者達だと。下位世界に転生できる機会を得た男に、どのような世界や環境を希望するのか質問される。男が出した答えとは―― ※この小説の主人公は聖人君子ではありません。正義の味方のつもりもありません。勝つためならどんな手でも使い、売られた喧嘩は買う人物です。他人より仲間を最優先し、面倒な事が嫌いです。これはそんな、少しずるい男の物語。 1~4巻発売中です。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~

柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。 家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。 そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。 というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。 けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。 そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。 ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。 それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。 そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。 一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。 これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。 他サイトでも掲載中。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

処理中です...