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32章 怯える聖女、追う幼女

423. どちらが先か……ピンチまであと少し

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「魔王陛下、私の背をお使いください」

 降りてきたドラゴンの一言に、首をかしげる。乗り物として名乗り出た黒銀鱗の竜を撫でると、ペタンと首を下げて服従の姿勢をとった。こういう対応は、魔獣と変わらない。人型の種族も頭を下げるのだから、基本的に全ての種族が頭を低くして敬意を示すのだ。

「エドモンドか」

 魔力で見分けたルシファーが口にしたのは、ドラゴニア家の当主だった。息子ラインの騒動で公爵位を返納し、侯爵に格下げを自主的に願い出ている。しかし竜族の中でもっとも古い家柄である彼は、未だにまとめ役だった。

「どうぞ」

 アスタロトが笑顔で促す。つまり、人族の砦を落とした時と同じ理由だ。転移でぽんと現れるのではなく、人々に恐怖を与えながら首都に迫れという意味だった。

 人族の転移魔法は、魔力量の関係で近距離に限られる。ゾンビの都と魔力溜まりが繋がる偶然でもなければ、魔の森を一気に抜ける遠距離転移は不可能だった。そのため、徐々に近隣の村を脅かしながら近づく方が、人族にとって恐怖を煽られるのだ。

 現実感のない転移では、周囲に恐怖が伝染しないのだろう。寿命が短い彼らが、恐怖や歴史を正しく伝える期間はゼロに近い。アスタロトの意図を組んで頷いた。

「わかった。世話になるぞ」

 ぽんと背を叩いてから、首の少し後ろに跨った。前に座らせたリリスは目を輝かせて、黒銀の鱗を手で撫でている。

「すごいね。硬くてすべすべ!」

「ありがとうございます」

 リリスの手放しの誉め言葉に、エドモンドがふわりと浮上した。魔力を使って飛ぶため、どの種族も羽ばたく必要がない。後に続くドラゴンや龍が周囲に広がり、他の種族を背中に回収して魔力で覆った。落とさないよう配慮したのだ。

 転移が出来ない種族を連れて、空の上で待機していた鳳凰が先頭を飛んだ。ドラゴン系が続き、龍が長大な身体をくねらせる。ペガサスなど翼のある者達が後ろに並んだことで、大所帯は一気に動き出した。







「パパ、はやいね! 森がぐるぐるしてる」

 幼子の表現は独特だ。ぐるぐると言われると回っているイメージだが、高速で風景が流れる様も同じ表現となるらしい。久しぶりに編まずに流した黒髪が、ひらひらと鼻先で踊った。手前に軽い結界を張ったのだが、風が結界を回り込んでくる。リリスと自分を纏めて球体で覆い直した。

 ふわりと風がやむと、リリスが不思議そうに振り返った。

「涼しいの、なくなった」

「涼しい方がいいのか?」

「うん」

 無邪気に頷かれてしまい、とりあえず結界を元に戻す。また黒髪が風になぶられて踊り始める。膝近くまで届く自分の髪は絡まらぬよう、結界で包んでおいた。リリスの髪は下りる時にブラシで梳いてやることにしよう。

 大喜びするリリスが両手を離して風を受けている。腰に手を回して落ちないよう確保しながら、近づいた魔の森の縁に目を向けた。森の先が少し枯れており、茶色いベルト状になった向こう側に街道や村らしき集落がみえる。

「リリス、海が見えるぞ」

 青い大きな海は少し荒れて、白い波が派手なしぶきを上げた。海辺に住まう人族だが、確かに魔の森が迫っている。以前もうけた緩衝地帯の森が消え、完全に魔の森に飲み込まれていた。これでは住まう地域が狭くなるのも頷ける。しかし魔王であるルシファーであっても、何か対策を打てるわけではない。

 斜め後ろを確認すると、魔法で固定された布にしがみ付く勇者アベルの姿がある。一緒に聖女を助けると申し出た彼も連れてきたが、上空を飛ぶドラゴン用の対策をしてあった。魔法陣で背に敷物を固定し、その上に乗った者を強風や温度など外的な脅威から守る結界を張る。

 ルキフェルは「即興の割によくできた」と満足気だった。

「……問題なさそうだな」

 落ちていないことに安心するルシファーだが、彼は人族の三半規管が魔族ほど優秀でないと知らなかった。現在、酔ったアベルは吐き気をこらえるのに必死だ。乗せてくれたドラゴンの背を吐しゃ物で汚すのは悪いし、万が一にも吐いたことで魔法陣に影響が出たら命が危ない。

 内的な要因を忘れた魔法陣により、縛り付けられたアベルが落ちる心配はなかった。だが……ピンチがすぐそこまで迫っている。

 こみ上げるあれこれを飲み込み、見えてきた人族の都を睨みつけた。吐くのが早いか、着くのが先か。あと少し……。
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