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29章 与えられた肩書の意味は

387. 側近であるための覚悟

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 さらなる獲物を求めて街を歩き回るルシファーの腕の中で、赤子はうつらうつら眠りの船を漕いでいた。ヤンが捕らえた獲物は予定通り衛兵に引き渡し、変わらず視界に入るぎりぎりの位置を保つイポスは、ちらりと後ろを振り返る。

 シトリーとレライエは、ルシファーの言葉の意味がわからず混乱していた。涙ぐむ彼女らに、ルーシアが必死に声をかける。先輩として何か声をかけるべきか。迷ったイポスを見透かしたように、ルシファーが呟いた。

「手を貸すな」

「はい」

 ルシファーは後ろの少女達に気を配っていないわけではない。解任するために厳しく接したのでもなく、理由があるのだ。彼女らに自ら考えさせ、己の立場や地位が持つ意味を理解させようとした。

 魔王が腕に抱いていつくしむ赤子が魔王妃となった暁には、少女らがもつ側近の地位は格段に重い肩書となる。リリスに逆らわぬ従順な側近など不要だ。

 魔王が不在となれば、魔王城で魔王妃は最高位だった。その側近であり代弁者である少女達が、リリスにおもねるだけの人形では困る。リリスの盾になる覚悟は当然だが、それは護衛を増やすことで補えるのだ。側近は他と違い、魔王妃をいさめるくさびとしてリリスを支える者。

 魔王にとってのアスタロト、ベール、ルキフェル、ベルゼビュートがそうであるように。時に苦言を呈して諫め、やる気を引き出し、汚れ役や悪役を自ら引き受け、貴族の不満を反らしながら魔王を最後まで支える自覚が必要だった。

 魔王妃リリスを守るだけならば、護衛のイポスとヤンがいれば足りる。少女達が戦うべき相手は襲撃犯ではなく、リリスの足を引こうとする謀略や人々の悪意なのだ。知識を蓄え、理論で武装し、法をもって敵を制する――片腕となる側近が求められていた。

 アスタロトやベルゼビュートがそうであるように、圧倒的な武力で敵を圧倒する側近も必要となることがあるだろう。

 しかしルキフェルの知識やベールの策謀が、魔王城の平穏を保っている。ベルゼビュートの緻密な計算で魔王の治世が安定する。憎まれ役としてルシファーの傍らで悪意を集めるアスタロトがいるから、心優しい公平な魔王として鷹揚に君臨していられた。

 シトリーやレライエに必要とされるのは、戦いで命を散らす覚悟ではない。リリスに向かう悪意を己の身に引き寄せて、その心や在り様を守る覚悟だった。主である魔王妃を守り、同時に彼女を悲しませないために己も生き抜く強さが必要とされる。

 盾となって散る覚悟で務まる、軽い役目ではない。

「魔王陛下、お声がけの失礼をお許しください」

 シトリーやレライエのように泣くこともなく、戦いを強請るわけでもなかったルーサルカの声に、ルシファーは足を止めた。

「構わぬ、申せ」

「……リリス様を守れなかった我らに、側近が務まりますか?」

 無言で見つめるルシファーの瞳に感情はない。空に浮かぶ月のように、何も答えを返さぬ美貌の前にルーサルカは息を飲んだ。

 この方を怖いと感じたのは久しぶりだ。一番最初に助けられた時も、リリス姫が無邪気に一緒にいようと手を伸ばしてくれた時も、この方に恐怖しか感じなかったのに……どうして忘れていたのか。リリス姫に向けられる優しさは、彼女のもの。私に向けられた笑顔や声色ではなかった。

 義母や義父の地位もあり、距離が近すぎて勘違いをしたのだ。魔王という存在は別格で、それを支える側近に求められる能力は想像していた以上に高くて――。

 震えが止まらなくなったルーサルカが目を逸らすまで、ルシファーは彼女の銀灰色の瞳を見つめていた。しかし感情は一切伝えず、ただ物理的に目を合わせただけ。怯えられることには慣れている。ルーサルカの質問に答える義理はないが、ヒントを与えるつもりで口を開いた。

「側近は護衛ではない」

 足元のヤンが気の毒そうな視線を向ける。長く生きた彼はこの意味に気づいているが、やはり少女達に伝える気はなさそうだった。ひらひらと尻尾を振って、前を向いてしまう。

「申し訳ございません」

 震えながらの謝罪を受け取り、ルシファーは再び歩き出した。後ろをついてくる気配を確かめながら、城下町の賑わいを抜けていく。

「御前失礼いたします」

 ここで初めてイポスが前に出た。左右に目を配り、厳しい表情で剣の柄に手をかけた。
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