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20章 鬼の居ぬ間に選択

257. まだ残っておりますよ

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「……最低の手法だな」

 読み終えた報告書をアスタロトに渡しながら、ルシファーは溜め息をついた。膝の上で再びスタンプ押しに夢中だったリリスが顔をあげる。疲れた表情のルシファーを見つめ、背伸びして頬に唇を押し当てた。

 一度押し当てて首をかしげ、ルシファーの反応を窺う。

「パパ、元気になった?」

「ありがとう。リリス、すごく元気になったよ」

 笑顔を浮かべて、額にキスを返すルシファーに安心したのか。リリスはまた印章に手を伸ばした。印章の持ち手を握る右手はいいが、左手は赤い朱肉でべたべただ。そこへ魔法陣を当てて無効化して消しながら、隣の側近が最後まで読み終えるのを待った。

 アスタロトが眠った途端に教え込んだキスに、普段は冷たい眼差しを向けるベールもそれどころではない。アスタロトの白い指が、最後のページを捲った。

「なるほど。下等な生物らしい手段です」

 一刀両断、容赦のないアスタロトの発言に誰も反論しない。生きた魔物をゾンビにして、彼らの意思や本能を封じ込める方法は、邪法と呼ぶに相応しかった。いくら魔物が駆除対象とはいえ、許される範囲を超える残虐さだ。

「人族にとって、魔族はよほど脅威なのでしょう」

 にっこり笑うベールの『さっさと人族を駆除しましょう』という裏の意味に気付いて、ルシファーは顔を引きつらせる。しかし膝に座った愛娘が心配するので、笑顔を取り繕った。押し直しになった書類は、半分ほど終わっている。

 魔法陣を描いて自動で紙を捲るようにしたいが、朱肉が種別関係なく魔法陣に反応するため、諦めざるを得なかった。リリスが待っているので、1枚捲って押し終わるのを待つ。

「ところで……ひとつ気になったんだが」

 アスタロトが読み終えた報告書の書面を数枚捲って、纏めの手前に記載された研究結果を指差す。そこは人族の都で襲ってきた人ゾンビのサンプルについて書かれていた。

「パパ」

「ああ…ゴメン、はいどうぞ」

 書類を捲れと促すリリスの黒髪を撫でて、処理済の箱に書類を移動させる。ご機嫌でスタンプするリリスを見ながら、物騒な推測を口にした。

「人ゾンビも呪詛がかかっていたなら、彼らはオレ達が都に現れるまでわけか」

 魔王城に現れた魔物ゾンビが呪詛を負っていたのは、現地調達した魔物が生きた状態で術を掛けたからだ。その結論を適用すれば、都で目撃者に襲い掛かったゾンビは墓を暴いた死人ではなく、魔術師が術を掛けるまで生きた人族だった。

「僕はそう思う」

 ベールやアスタロトが無意識に排除したおぞましい考えを、ルキフェルは淡々と肯定した。リリスの前の書類をまた捲りながら、ルシファーが眉をひそめる。

 ルキフェルの研究による結論が間違っている可能性は低い。人ゾンビは街の住人で、直前まで生きていたのだろう。現場では死体を利用したと思ったので、支配階級や魔術師達の倫理観を疑ったが……生きた人を使ったなら、仁義や道徳どころの話ではなかった。

 それを命じ実行した人間が存在することすら、許されない。

「あの時の魔術師は、まだるか?」

「ごめん、全部壊しちゃった」

 ルキフェルが悪びれた様子なく、口先だけで謝る。実際、悪いなどと考えてもいないだろう。彼にとって外道を処分した程度の感覚で、しかも相手は研究対象として預けられた。研究材料として、余すところなく使い切ったのだ。

 魔術師の知識をベールの拷問で引き出し、それを元に様々な実験を行ったのだから。

「当然か。仕方ないな」

 ルキフェルの行動もベールの協力も、なんら問題はない。ただ残っていたなら活用しようと考えたのだが……唸るルシファーへ、アスタロトが笑顔で申し出た。

「主犯の一部なら、まだ残っておりますよ」

「本当か!?」

 預けた瞬間に抹殺されると思っていたので、彼に尋ねる選択肢がなかったルシファーは意外さに声を上げる。大きな声にびっくりしたリリスが印章を手から落とした。

「パパ、うるさい! 落としちゃった!」

 転がり落ちた印章を持ち上げると書類の真ん中に、薄く印影がついている。そこに魔力を流して無効化しながら、機嫌を損ねたリリスの黒髪、額、頬、鼻の順にキスを落とした。

「ゴメンな、オレのお姫様。もう一度お手伝いをお願いできるかな?」

「うん……手伝う」

 笑ったリリスは、頭上で繰り広げられた物騒な話の意味を理解していない。お願いすると同時にルシファーが取り出した一口チョコを口に放り込み、ご機嫌で鼻歌を始めた。その音やリズムは微妙にずれていた。
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