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20.ずいぶん、情熱的だな

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「ほら、もう開くわ。ルーイったら怖がりなのね」

 エリシェルの言葉通り、ドアが静かに開いた。がくんとエレベーターが揺れた瞬間、オレはリューアを離して一人だけ安全なフロアに降り立つ。57階の床はしっかりとした感触で受け止めてくれた。

 助かった。優秀な護衛の皆さんのお仕事に感謝、感激だ。ランクレー家当主の座を狙う連中が多いのは知ってるが、何もオレを巻き込まなくてもいいじゃねえか。狙うなら、奴ひとりの時にしてくれ。

 エレベーターの隣にある観葉植物脇のベンチに懐き、オレはやっと強張った身体から力を抜いた。別に狙撃されたってここまで驚かないが、一番嫌いなエレベーターで落とされるのは絶対に御免だった。そんな最悪な死に方したくない。

「あらあら」

 笑いながらリューアに続いて降りたエリシェルが手を差し伸べるより早く、リューアが冷たい表情で近づいた。もしかして…オレがリューアを突き飛ばすようにして降りたのが気に入らない、とか!?

「ルーイ!」

 びくっとしたのは、その声の厳しさだ。人前だから「リヴィ」と呼ばれなかったことも、余計に恐怖を煽る。だが奴は別のことで怒っていたらしく。

「むやみに他人に懐くな」

 声にせず唇を動かしただけの言葉を読み取ってしまい、オレは一瞬呼吸が止まるかと思った。お気に入りのペットが他人に懐くのがおもしろくないのはわかるが、こんなに他人がいる場所で口にする(?)ことか。

 そうっと気付かれないように見回した先で、ボディーガードだけでも2桁はいる。エレベーターの中は2人しか乗せなかったから、他の連中は先に配置されていたのだろう。どれだけ護衛を用意したんだ? それだけ事前情報が煙たかったという意味か。

 60階にいる筈の招待客の一部が、騒動の野次馬らしく集まってきていた。少なく見積もっても30人以上の人間がこのエレベーターホール周辺にいる。

「あのな~、人前でそういう…っ」

 ぐいっと肩を引き寄せられ、整った顔が近づいた。この場で暴れてリューアを突き飛ばすか、諦めて好きにさせるか。迷った一瞬が命取りだった。

 唇に柔らかな感触があり、続いて舌がぬるりと入り込む。人前で何するんだ! 抗議を含めてリューアの胸元を叩くと、不躾な舌が外へ出て行った。ほっとしたところに、唇をぺろりと舐められる。

 背筋がぞくっとした。ヤバイ、思い出すじゃないか。連れ帰られて好き勝手貪られた記憶は、まだ頭の中でも身体でも生々しく残っている。

「…っ、リューア!」

 赤くなりそうな顔を背けて、必死に呼吸を整える。

「大人しくしていろ」

 素っ気無い物言いだが、奴の口元は緩んでいた。機嫌がいいのだ、なんてわやりやすい奴。他人からは無表情の人形みたいだと表現されるが、オレにとって凄くわかりやすい。リューアの感情なんて、目元と口元に完全にあふれ出してるじゃないか。他の連中は何を見ているんだろう。

 抱き締められたままの格好は人目を引くが、この腕を振り解いたら機嫌が悪くなるのは目に見えていた。あまり機嫌を損ねると、帰ると言い出しかねない。それはエリシェルを含めた部下達や、この会場に集まった面々に迷惑がかかるだろう。

 肩を抱き寄せられるくらいは我慢することにした。

「ルーイ、いくぞ」

 どうやらボディーガードから何か合図が送られたようだ。リューアが小さく頷いた動きが、肩からオレに伝わった。別に行くのはいいんだけど……。

「―――まさか、アレ?」

 エレベーターは全部で3つ。うち1つは先ほどの騒動で封鎖してるから、残る2つをわるわる指差した。まさか、乗るとか言わないよな?

 絶対に嫌だぞ!

 明確な意思を込めて見上げると、蒼い瞳を瞬いたリューアは少し考えるように眉を寄せた。ほんの僅かな動きのあと、彼は満面の笑みを浮かべる。すごく嫌な笑みだ。「やめろ」と頼んでも聞いてもらえなかったときの、あの表情に似ている。

 反射的に後ろに下がろうとしたオレの耳元で、リューアは意地悪を開始した。

「乗りたいのか?」

「ヤダっ!」

 耳に息を吹きかけながらの低い声に、腰の辺りがざわざわするのを耐える。ここで流されたら、空いてる部屋に連れ込まれかねない。

 ざわめく周囲の声が聞こえて、我に返った。このまま流されたら、明日のゴシップ誌一面はオレとリューアの写真が飾ることになる。連れ込まれてパーティー欠席なんて事態は、絶対に避けなくちゃならない! 両手を突っ張って離れようとした。

「そんなに嫌か?」

 どの意味で聞いたのか、リューアの顔をじっくり見つめる。楽しそうな飼い主の瞳に、揶揄からかわれたのだと知った。

「冗談だ、階段を使う」

 ほっとすると同時に腹が立つ。本気で嫌がってる事柄でからかうのは最低の行為だぞ。

「ほら、来い」

 そう言われて差し出された手を素直に取ると、ぐいっと引き寄せて顔を近づける。首筋に顔を寄せ、飾りの透かしが入った襟の脇にキスマークを残した。取引先や集まった客の連中にからかわれればいいさ。そう思ったが、毛並みのいい血統書つきは野良猫より賢かった。

「ずいぶん、情熱的だな」

 オレが想定した嫌そうな顔じゃなく、心底嬉しそうに微笑んで頬や額にキスを降らされた。

 くそっ、やられた!!

「おいで」

 女性をエスコートする際の優雅な仕草で引っ張られ、オレは肩を落として素直に従う。オレのする嫌がらせを喜ばれてしまったら、もう何も打つ手がない。これ以上ゴシップ好きな連中の好奇心を満たす玩具になる気はないので、大人しくリューアの隣を歩いた。

 ここの客は階段なんて使わないだろうに、豪華で柔らかな絨毯が敷かれている。見えないところも手を抜かないといえば聞こえはいいが、過剰包装みたいなもんだ。不要な部分は多少手を抜けばいいのに……。生活に困った孤児の頃の貧乏性な考えが過ぎる。

「ルーイったら、そんなに頬を膨らまして」

 くすくす笑う姉のようなエリシェルは、ピンヒールで後ろをついてくる。歩きづらそうな様子はないが、女性が履くあのハイヒールは身体に良くないと思う。現実逃避をかねて関係ない考察を続けながら、階段で3階分を上り続けた。
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