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105.私の侍女はどこですか
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やや遅い時間に目が覚め、慌てる。昨夜の入浴を手伝った侍女達が、手早く身支度を整えてくれた。伯母様達は朝食を終えたかしら。
焦る私の準備を待っていたように、ノックの音が響く。入室許可を出したのは、訪れた人がお父様だからだ。まだ髪を留めている最中だが、家族なら問題なかった。
「お父様、おはようございます。昨夜は……」
「おはよう、アリーチェ。朝食を一緒に食べようか」
昨夜は騒いでごめんなさい、そう続ける私に、お父様は言葉を被せた。気遣いに微笑みを返す。侍女は手早く髪留めをつけた。鏡越しに目を合わせた父が、さっと手を差し出す。
エスコートの手を取って、立ち上がった。この離宮に来る際、ドレスはすべて置いてきた。裾の長いワンピースにショールを羽織った私は、踵の低い靴でお父様の隣に立つ。元から大柄なお父様との身長差が、さらに開いた。
「皆様は?」
「食堂だ」
待たせてしまったのかしら。申し訳ないわ。そう思いながら、食堂へ向かった。扉を開ければ、伯母様は長椅子で寛いでいる。フェルナン卿は伯母様に膝枕をしていた。夫婦だと知っていても驚きの光景だった。
「おお! おはよう、アリー。わしの孫娘は今日も美人だ」
「お祖父様」
壁際に立っているのかと思ったら、お祖父様は逆立ちしていた。鍛えているのかも。ふっと一息吐いて、上下逆の姿勢を戻す。その身軽さに驚いた。若いけれど、私では到底無理だわ。
「あの……」
「昨夜の話がしたければ、まずは朝食を食べろ。体を大切にしないといかん」
お祖父様のもっともな言葉に頷き、全員が食卓についた。長いテーブルに向かい合った形で、正面に伯母様夫婦、隣にお父様とお祖父様だ。
「お兄様はどうなさったの」
「すみません、遅れました」
着替えてきたと思われる姿で、お兄様は食堂に飛び込んだ。お祖父様によれば、鍛錬をしていたらしい。厳しい訓練内容だったと苦笑いする兄が、フェルナン卿の隣に座った。
家族が揃ったところで、運ばれてきたのは豪華な食事だ。朝食は本来もっとシンプルで、量も少ない。フェリノスは夕食の量が多く、その分だけ朝昼の食事は減らすのが一般的だった。ロベルディでは朝食が一番豪華だという。昼は軽めにし、軽食を挟んで、夕食で量を調整する。晩餐でもなければ、夕食は質素なメニューが多かった。
雑談混じりにそんな違いを聞き、感心しながら口に運ぶ。吐き気はない。気持ち悪さも感じなかった。大丈夫、私は何でもない。きっと昨夜は不意打ちで驚いただけよ。自分に言い聞かせながら、やや重い朝食を飲み込んだ。
「珈琲がいい。薄めに頼む」
伯母様の要望に、フェルナン卿が準備を始めた。ロベルディの慣習で、仕事は昼からが主流だ。午前中はゆっくり寛ぎ、午後から仕事を始める。夕方に解散するフェリノスと違い、夜は書類整理に追われるのが日常だった。そのため、朝食後にすぐ動いたり仕事を始めたりしないのだ。
「昨夜のことだが……」
「はい」
「絨毯の上にカップが落ちていた。その隣にアリーチェが倒れているので、まず毒を疑った。だが……あれは虫に驚いたのだな?」
「……はい」
濁りが沈んだ緑茶の奥に、黒い何かがいた。それが虫だと気づいて、悲鳴が凍りつく。揺れた動きでお茶を泳ぐ虫に、今度こそ悲鳴が迸った。状況を端的に説明し、反応を窺う。
「アリーチェ、犯人は分かっている。どうしたい?」
犯人は分かって? どうして、いつ、なぜ……様々な疑問が頭を駆け巡り、最後に一つになった。
「サーラは、どこですか」
焦る私の準備を待っていたように、ノックの音が響く。入室許可を出したのは、訪れた人がお父様だからだ。まだ髪を留めている最中だが、家族なら問題なかった。
「お父様、おはようございます。昨夜は……」
「おはよう、アリーチェ。朝食を一緒に食べようか」
昨夜は騒いでごめんなさい、そう続ける私に、お父様は言葉を被せた。気遣いに微笑みを返す。侍女は手早く髪留めをつけた。鏡越しに目を合わせた父が、さっと手を差し出す。
エスコートの手を取って、立ち上がった。この離宮に来る際、ドレスはすべて置いてきた。裾の長いワンピースにショールを羽織った私は、踵の低い靴でお父様の隣に立つ。元から大柄なお父様との身長差が、さらに開いた。
「皆様は?」
「食堂だ」
待たせてしまったのかしら。申し訳ないわ。そう思いながら、食堂へ向かった。扉を開ければ、伯母様は長椅子で寛いでいる。フェルナン卿は伯母様に膝枕をしていた。夫婦だと知っていても驚きの光景だった。
「おお! おはよう、アリー。わしの孫娘は今日も美人だ」
「お祖父様」
壁際に立っているのかと思ったら、お祖父様は逆立ちしていた。鍛えているのかも。ふっと一息吐いて、上下逆の姿勢を戻す。その身軽さに驚いた。若いけれど、私では到底無理だわ。
「あの……」
「昨夜の話がしたければ、まずは朝食を食べろ。体を大切にしないといかん」
お祖父様のもっともな言葉に頷き、全員が食卓についた。長いテーブルに向かい合った形で、正面に伯母様夫婦、隣にお父様とお祖父様だ。
「お兄様はどうなさったの」
「すみません、遅れました」
着替えてきたと思われる姿で、お兄様は食堂に飛び込んだ。お祖父様によれば、鍛錬をしていたらしい。厳しい訓練内容だったと苦笑いする兄が、フェルナン卿の隣に座った。
家族が揃ったところで、運ばれてきたのは豪華な食事だ。朝食は本来もっとシンプルで、量も少ない。フェリノスは夕食の量が多く、その分だけ朝昼の食事は減らすのが一般的だった。ロベルディでは朝食が一番豪華だという。昼は軽めにし、軽食を挟んで、夕食で量を調整する。晩餐でもなければ、夕食は質素なメニューが多かった。
雑談混じりにそんな違いを聞き、感心しながら口に運ぶ。吐き気はない。気持ち悪さも感じなかった。大丈夫、私は何でもない。きっと昨夜は不意打ちで驚いただけよ。自分に言い聞かせながら、やや重い朝食を飲み込んだ。
「珈琲がいい。薄めに頼む」
伯母様の要望に、フェルナン卿が準備を始めた。ロベルディの慣習で、仕事は昼からが主流だ。午前中はゆっくり寛ぎ、午後から仕事を始める。夕方に解散するフェリノスと違い、夜は書類整理に追われるのが日常だった。そのため、朝食後にすぐ動いたり仕事を始めたりしないのだ。
「昨夜のことだが……」
「はい」
「絨毯の上にカップが落ちていた。その隣にアリーチェが倒れているので、まず毒を疑った。だが……あれは虫に驚いたのだな?」
「……はい」
濁りが沈んだ緑茶の奥に、黒い何かがいた。それが虫だと気づいて、悲鳴が凍りつく。揺れた動きでお茶を泳ぐ虫に、今度こそ悲鳴が迸った。状況を端的に説明し、反応を窺う。
「アリーチェ、犯人は分かっている。どうしたい?」
犯人は分かって? どうして、いつ、なぜ……様々な疑問が頭を駆け巡り、最後に一つになった。
「サーラは、どこですか」
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