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82.解けた糸は次の記憶を呼び起こす
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「調子に乗りすぎなのよ、あんた」
「公爵令嬢を名乗ったところで、蛮国の血が混じっているくせに」
「格下の令嬢に婚約者を奪われる程度の女よ?」
くすくす笑いながら続けられる悪口を、私は聞こえないフリで無視した。反応したら、言葉尻を捉えて罵倒されるだけ。どう聞いても、私に関する話ではないと思うし。王太子と不仲だからといって、私を蔑ろにしてよい理由はないのに、愚かすぎるわ。
まず調子に乗った覚えはないわ。それから蛮国にも心当たりがない。圧倒的な武勇を誇るお祖父様や、外交能力に長けた伯母様はいるけれど。婚約者も奪われたんじゃなく、単に浮気性の男が婚約者だっただけの話。それも私が望んだ縁ではないし、愛してもいない。
たとえ未来の王であろうと、地位だけで愛せるわけがないの。浮気相手はどうか知らないけれど……格下ってトーラゴ伯爵令嬢のことよね? そうじゃなければ、リベジェス公爵令嬢を嘲笑った不敬罪に問える。だって彼女も浮気相手だもの。
他国の王族に嫁ぐ身でありながら、自国の王太子にしなだれかかって猫撫で声で物を強請る。嫁ぎ先に知られたら、まず純潔を疑われるわね。やたら近い距離と、だらしない王太子の顔を見る限りでは……もう遅い気がした。
はぁ……大きく溜め息が漏れる。この国は早々に滅びそうなのに、王太子妃候補だなんて迷惑なこと。早く婚約を解消して自由になりたかった。ロベルディへ亡命しようかしら。
それも悪くないわ。伯母様なら歓迎してくれるでしょうし、ロベルディの貴族に嫁ぐのも検討しよう。考えたら楽しくなって、口角が自然と持ち上がった。それをどう捉えたのか、頭の上から水を掛けられる。
「気持ち悪いのよ!」
花瓶を置いて怒鳴ったのは、ドゥラン侯爵令嬢だった。反射的に花瓶を奪って……。
ああ、嫌な場面を思い出したわ。せっかくの貴重なチャンスなのに、この女の嫌がらせの記憶が戻ってくるなんて。可能なら捨ててしまいたい。
眉を寄せた私が額を押さえたことで、お父様は察してくれたみたい。記憶が戻ったのか? と小声で確認された。
「少しだけ」
小さく答える。あの花瓶は床に叩きつけて割った。その後で片付けた後味の悪さも思い出す。今なら、彼女の頭に叩きつけたでしょうね。フロレンティーノ公爵家の体面を考え、評判と今後の騒動を天秤にかけて。あの頃の私は呑み込んでいた。
そのせいで、家に帰ると熱を出すことも多かったわ。かなり追い詰められていたの。いっそ破綻して、お父様やお兄様が気づいてくれたら……そう思う反面、情けないと失望されるのが嫌で隠した。サーラはそんな弱い私を責めず、優しく寄り添ってくれた。
連想するように浮かぶ記憶に、泣き叫びたくなる。全て吐き出して、淑女の仮面を放り投げ、何もかも壊したかった。その衝動を、私が顔を上げて進む糧にする。殺されたリディアの仇を討つ。死にかけた私の痛みと苦しみをお返しして、新しくやり直したい。
「アリーチェ」
「大丈夫ですわ、伯母様」
わざとクラリーチェ様と呼ばなかった。その響きに目を見開き、伯母様は柔らかな表情で頷く。連想して思い出せた部分に、伯母様やサーラの優しい記憶が混じっていて良かった。ドゥラン侯爵家についてはまだ調べの途中のため、判断は保留となった。少なくとも、令嬢と嫡男の罪は確定ね。
「公爵令嬢を名乗ったところで、蛮国の血が混じっているくせに」
「格下の令嬢に婚約者を奪われる程度の女よ?」
くすくす笑いながら続けられる悪口を、私は聞こえないフリで無視した。反応したら、言葉尻を捉えて罵倒されるだけ。どう聞いても、私に関する話ではないと思うし。王太子と不仲だからといって、私を蔑ろにしてよい理由はないのに、愚かすぎるわ。
まず調子に乗った覚えはないわ。それから蛮国にも心当たりがない。圧倒的な武勇を誇るお祖父様や、外交能力に長けた伯母様はいるけれど。婚約者も奪われたんじゃなく、単に浮気性の男が婚約者だっただけの話。それも私が望んだ縁ではないし、愛してもいない。
たとえ未来の王であろうと、地位だけで愛せるわけがないの。浮気相手はどうか知らないけれど……格下ってトーラゴ伯爵令嬢のことよね? そうじゃなければ、リベジェス公爵令嬢を嘲笑った不敬罪に問える。だって彼女も浮気相手だもの。
他国の王族に嫁ぐ身でありながら、自国の王太子にしなだれかかって猫撫で声で物を強請る。嫁ぎ先に知られたら、まず純潔を疑われるわね。やたら近い距離と、だらしない王太子の顔を見る限りでは……もう遅い気がした。
はぁ……大きく溜め息が漏れる。この国は早々に滅びそうなのに、王太子妃候補だなんて迷惑なこと。早く婚約を解消して自由になりたかった。ロベルディへ亡命しようかしら。
それも悪くないわ。伯母様なら歓迎してくれるでしょうし、ロベルディの貴族に嫁ぐのも検討しよう。考えたら楽しくなって、口角が自然と持ち上がった。それをどう捉えたのか、頭の上から水を掛けられる。
「気持ち悪いのよ!」
花瓶を置いて怒鳴ったのは、ドゥラン侯爵令嬢だった。反射的に花瓶を奪って……。
ああ、嫌な場面を思い出したわ。せっかくの貴重なチャンスなのに、この女の嫌がらせの記憶が戻ってくるなんて。可能なら捨ててしまいたい。
眉を寄せた私が額を押さえたことで、お父様は察してくれたみたい。記憶が戻ったのか? と小声で確認された。
「少しだけ」
小さく答える。あの花瓶は床に叩きつけて割った。その後で片付けた後味の悪さも思い出す。今なら、彼女の頭に叩きつけたでしょうね。フロレンティーノ公爵家の体面を考え、評判と今後の騒動を天秤にかけて。あの頃の私は呑み込んでいた。
そのせいで、家に帰ると熱を出すことも多かったわ。かなり追い詰められていたの。いっそ破綻して、お父様やお兄様が気づいてくれたら……そう思う反面、情けないと失望されるのが嫌で隠した。サーラはそんな弱い私を責めず、優しく寄り添ってくれた。
連想するように浮かぶ記憶に、泣き叫びたくなる。全て吐き出して、淑女の仮面を放り投げ、何もかも壊したかった。その衝動を、私が顔を上げて進む糧にする。殺されたリディアの仇を討つ。死にかけた私の痛みと苦しみをお返しして、新しくやり直したい。
「アリーチェ」
「大丈夫ですわ、伯母様」
わざとクラリーチェ様と呼ばなかった。その響きに目を見開き、伯母様は柔らかな表情で頷く。連想して思い出せた部分に、伯母様やサーラの優しい記憶が混じっていて良かった。ドゥラン侯爵家についてはまだ調べの途中のため、判断は保留となった。少なくとも、令嬢と嫡男の罪は確定ね。
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