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80.解け始めた記憶の糸
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彼女と二人でお茶をするのは、どのくらい振りかしら。親しく見えないよう、学院内でも距離を置いていた。私と仲がいいと思われたら、彼女達が不幸な目に遭うから。珍しくイネスは遅れている。だからリディアと二人で先にお菓子の箱を開けた。
子爵令嬢であるリディアはお菓子を作るのが上手で、いつも楽しみにしているの。今日は細長いケーキだった。ラム酒の香りとナッツ、あとはドライフルーツみたい。クリームを使ったお菓子は、子爵家でお茶をする時だけ。
以前に馬車で運んで、ぐしゃぐしゃに崩れたことがあった。あの時はがっかりしたリディアを慰めて、三人でフォークで突いて食べたわ。切り分ける以前の姿だったんだもの。目の前に出されたパウンドケーキは、綺麗な焼き色が入っていた。
「いつもながら見事ね」
「お母様が好きなので、家族用によく作りますから」
柔らかく微笑んだリディアは、くるんと毛先が丸まった茶色い髪を背中に流す。長く伸ばすと毛先に癖が出るらしく、本人は毎日苦労しているらしい。真っすぐな直毛の私にしたら、羨ましいけれど。
「お待たせいたしました、お嬢様。アルベルダ伯爵令嬢様もご到着です」
「そう? ならサーラも一緒に……」
ぷつりとここで記憶が途絶えた。目の前の光景と記憶が一致せず、混乱する。目を見開いた私を、お父様が心配そうに覗き込んでいた。クラリーチェ様も両手で私の手を握っている。ぱちぱちと瞬きし、現実を認識した私は大きく息を吐いた。
「大丈夫か? 具合が悪いなら休んでもいいぞ」
「そうだ。無理をしているのではないか」
口々に話しかける二人に微笑みかけ、ゆっくり首を横に振った。直接、今回の事件に関わる記憶ではないけれど、少しだけ取り戻せた気がする。こうして時々記憶は戻っていくのかもしれない。劇的に一度で全部が復活するのではなく、繋がっている部分だけ僅かに。
ぽろりと涙が零れた。胸元に落ちた涙に自分で驚き、頬にそっと手を添える。しっとり濡れた頬を辿り、目の縁を指の背で拭った。
「アリーチェ?」
クラリーチェ様の促すような声に、私は顔を上げてサーラを探した。驚いた顔で私を見る彼女は、意図して同じカップに同じお茶を用意したのではない。ただ緑のお茶に黄色いカップが見映えると考えただけ。前回と同じ判断をしたのだろう。
「ありがとう、サーラ」
彼女は侍女として当たり前の仕事をした。だからお礼を言われても意味が分からないだろう。それでも伝えておきたかった。周囲が告げた通り、私とあの二人は友人だった。爵位の垣根を気にせず邸宅に招いてお茶会をするほど……大切な友人。
リディアは殺されてしまった。記憶がなかったとはいえ、私は彼女の死を衝撃としてしか受け止めていない。悲しみや寂しさ、胸の痛みを置き去りにして。それが薄情なことに思えて、ぎゅっと胸元の飾りを握った。
「私、記憶を取り戻したい」
失くした記憶には、忘れてはいけないものが含まれている。それは「アリーチェ・フロレンティーノ」を形作る骨格であり、皮膚であり、感情だ。
「……協力する」
お父様はすぐに同意した。アルベルダ伯爵令嬢イネス嬢を始めとする証人を、この王宮に集める指示が出る。王家に危害を加えられる可能性が消えたこと、国王派の貴族が暴走した場合の命の危険を考慮したこと。圧倒的な戦力差を利用し、貴族派は大きく踏み出した。
子爵令嬢であるリディアはお菓子を作るのが上手で、いつも楽しみにしているの。今日は細長いケーキだった。ラム酒の香りとナッツ、あとはドライフルーツみたい。クリームを使ったお菓子は、子爵家でお茶をする時だけ。
以前に馬車で運んで、ぐしゃぐしゃに崩れたことがあった。あの時はがっかりしたリディアを慰めて、三人でフォークで突いて食べたわ。切り分ける以前の姿だったんだもの。目の前に出されたパウンドケーキは、綺麗な焼き色が入っていた。
「いつもながら見事ね」
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「大丈夫か? 具合が悪いなら休んでもいいぞ」
「そうだ。無理をしているのではないか」
口々に話しかける二人に微笑みかけ、ゆっくり首を横に振った。直接、今回の事件に関わる記憶ではないけれど、少しだけ取り戻せた気がする。こうして時々記憶は戻っていくのかもしれない。劇的に一度で全部が復活するのではなく、繋がっている部分だけ僅かに。
ぽろりと涙が零れた。胸元に落ちた涙に自分で驚き、頬にそっと手を添える。しっとり濡れた頬を辿り、目の縁を指の背で拭った。
「アリーチェ?」
クラリーチェ様の促すような声に、私は顔を上げてサーラを探した。驚いた顔で私を見る彼女は、意図して同じカップに同じお茶を用意したのではない。ただ緑のお茶に黄色いカップが見映えると考えただけ。前回と同じ判断をしたのだろう。
「ありがとう、サーラ」
彼女は侍女として当たり前の仕事をした。だからお礼を言われても意味が分からないだろう。それでも伝えておきたかった。周囲が告げた通り、私とあの二人は友人だった。爵位の垣根を気にせず邸宅に招いてお茶会をするほど……大切な友人。
リディアは殺されてしまった。記憶がなかったとはいえ、私は彼女の死を衝撃としてしか受け止めていない。悲しみや寂しさ、胸の痛みを置き去りにして。それが薄情なことに思えて、ぎゅっと胸元の飾りを握った。
「私、記憶を取り戻したい」
失くした記憶には、忘れてはいけないものが含まれている。それは「アリーチェ・フロレンティーノ」を形作る骨格であり、皮膚であり、感情だ。
「……協力する」
お父様はすぐに同意した。アルベルダ伯爵令嬢イネス嬢を始めとする証人を、この王宮に集める指示が出る。王家に危害を加えられる可能性が消えたこと、国王派の貴族が暴走した場合の命の危険を考慮したこと。圧倒的な戦力差を利用し、貴族派は大きく踏み出した。
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