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38.なんて、穢らわしいの

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 王太子という立場の人が婚約者でもない女性と口付けを交わした。今の私なら、さらりと受け止めて事務的に流せる。けれど、当時の私は婚約者だった。王太子と繋がりがあり、将来は夫となる男性が浮気する場面を目撃する。

 この涙の跡から想像しても、悲しかったし悔しかったでしょう。この日記の文面は感情的で、状況は掴めない。わざと見せつけるために行ったのか、偶然覗いてしまったのか。判断に迷って保留した。決めつければ、後で修正が利かなくなる。自分の思考を狭めてしまうわ。

 ひとつ深呼吸して翌日を捲った。授業の内容を飛ばそうとして、不自然な記述に気づいた。この小さな印は何かしら。この頁に新しい栞を挟み、前後の記載を確認した。いくつか散らばっている。

「サーラ、紙とペンをお願い」

「かしこまりました」

 用意されたガラスペンにインクを吸わせ、日付と授業を記していく。すぐに規則性が見つかった。地理、歴史、他国の文化を学ぶ授業だ。しかし、同じ授業でも印のない日もあった。他にも法則がありそう。

 推理を必要とする謎に、私は夢中になった。時間潰しというより、こういった話が好きなのね。あちこちの頁から拾い出した印に潜む法則……なんて事はない授業のはず。平凡な日の日記も読み、どんどんとハマっていく。

「あっ! 解けたわ」

「お嬢様? 何か解いていらしたのですか」

 サーラは新しいお茶を注ぎながら首を傾げた。いつの間にかカップも変更され、温かな緑のお茶が注がれている。いい香りがするわ。

「このお茶は?」

「以前、奥様がお好きだったお茶です。隣国ロベルディでは日常的に飲んでおられました」

 ここで、思わぬ暴露があった。不思議な言い回しは、まるで隣国出身のよう。そう尋ねると、サーラはあっさり肯定した。

「隠したわけではございません。以前のお嬢様はご存知でしたので、伝え忘れておりました。アリッシア王女殿下が嫁がれる際、私もフェリノス国へ同行しました」

 お母様の侍女……まだ若く見えるけれど、実際はひとまわりくらい上? 失礼だけれど、最初に浮かんだのは年齢差だった。お母様よりひとまわりは若く見える。王族の専属侍女なら、幼馴染や乳姉妹が多い。一般的には年上か同年代なのに。

「私は姉と共にお仕えしておりました」

「ごめんなさい」

 そんなにジロジロ見たつもりはないけれど、気づかれてしまったのね。付け加えられた情報に納得した。姉妹で仕えていて、何らかの事情で妹のサーラだけ同行したんだわ。

「私は亡き奥様とお約束しました。ですから今度こそ、この身に代えてもお嬢様をお守りします。どこへでもお連れください」

「……っ、ありがとう」

 絶対的な味方である。そう示されて、疑わなくて済む。それだけで安堵が広がった。母と同郷、それだけで心強かった。頬が緩む。

「あ、続きを……その。この印に心当たりあるかしら」

 星とも違う、不思議な形だった。悩んでいた印を示せば、サーラはぱちくりと瞬いた後、あっさり答えを口にする。

「これは、誰かの不在を示していますね。授業でしたら教師でしょうか……これでは、ほとんど授業をしていないことになりますけれど」

 言われて頻度の高さと時間帯を確認した。不在を示しているなら、誰がいなかったの? 過去の私が気にして記すとしたら……。

「婚約者の、不在」

「こんなにたくさん、ですか?」

 呟いた私の言葉に、サーラは驚く。そう、歴史と地理、他国の歴史は王族ならすでに履修済みよ。だからサボっても影響が出にくい。試験で成績が下がる可能性も低かった。

 この時間、彼はいつも何をしていたのか……印がつき始めたのは、浮気が発覚する少し前から。つまり、浮気にこの時間を当てていた!

「なんて、穢らわしいの」

 ばさりと日記を閉じた。汚い、最低だわ。貴族女性は口付けどころか、未婚の男性と二人で部屋にいるだけで罵られるのに。口付けを済ませた浮気相手と、どこで何をしていたのよ! 吐き捨てた言葉以上に、ぞっとした。 
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