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03.情報を集めて手繰り寄せる
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最初に目覚めてから、もう半月近く経った。ようやく屋敷の二階は歩き回れるようになり、体力も僅かに戻った気がする。出された食事は出来るだけ多く食べ、歩いて足が弱るのを防ぐ。簡単なことばかりだけど、今の私には重労働だった。
護衛に怯えた話が伝わったのか、彼らは離れて警護する。見える位置にいるけれど、手を差し出されることはなくなった。転んだ時に驚いた声が聞こえたことはあっても、普段から話しかけたりもしない。その距離感が安心できた。触れるなんて怖い。
初めて廊下を歩いたあの日、私は大きな男性の手に怯えた。近づかないで、触れないで、私をどうするつもりなの……そう心で叫んだの。つまり、記憶にない昔の私に危害を加えた騎士がいるという意味。大柄な体で押さえつけられたのか、殴られたのか。詳細は不明だった。
訪ねてきた父や兄に尋ねても、首を横に振るだけ。ならばと、別の情報を集める。私の名はアリーチェ、記憶がない。ここは貴族の屋敷で、侍女を雇う余裕がある。少なくとも伯爵家以上かしら。生活に必要な知識に欠けはなく、部屋の本を読むことも出来た。読んだ内容も思い出せる。記憶能力に問題はなさそうね。
これらの情報を纏めると、それなりの家格の貴族令嬢である私は、騎士かそれに類する大柄な男に危害を加えられた経験があり、記憶をなくした。記憶の喪失と危害の間の因果関係は不明。生活に関する能力や記憶はあり、骨が浮くほど痩せた状態だったことから監禁された?
食事に嫌悪はなかったし、食べても吐き戻そうとしなかった。だから自分で食事を拒んだ可能性は低いと思う。纏めたことを日記に記した。この日記は、侍女サーラに頼んだら用意してくれたの。新品を――ね。
すごく意味深よね。新しい日記帳を手にした私は「これは違う」と感じた。つまり元々私が付けていた日記帳ではない。どこへ片付けられたのか、紛失したのか。問おうとして口を噤んだ。もしかしたら、私に読ませたくない内容が書かれていたのかも。言及して処分されたら困る。
今日の散策……廊下の往復を終わらせた私は、日記帳を広げた。赤い表紙に金色の装飾が施されている。豪華な装丁から感じるのは、この家がさほどお金に困っていないこと。インクを付けたガラスペンを手に、さらさらと記載していく。
文字も書けるし読める。文法もおそらく問題ないでしょうね。少し装飾の多い文字は若い女性特有の癖かしら。私はこういう文字は好まない気がする。違和感を覚えたら、すぐにそれも記載した。後になると忘れてしまう。
「お嬢様、旦那様が夕食をご一緒したいと仰せです」
「……そう、ね。行くわ」
昨日まで断っていたけれど、現状維持をしてもこれ以上新しい情報は手に入らない。ならば一歩ずつ外へ踏み出すしかないわ。怖いけれど、どうしてもダメならサーラが助けてくれるはず。不安を滲ませた視線を向ければ、彼女はほわりと微笑んだ。
「ご安心ください、近くに控えております」
この笑顔に嘘はないと思う。いいえ、思いたい。だって誰一人信頼できないなら、それは悲しいことだから。私は夕食用の着替えを選ぶサーラの後ろ姿を見ながら、ぐっと拳を握った。
大丈夫、私は頑張れる。だって――だもの。ふと浮かんだその言葉はするりと溶けてしまい、慌ててかき集めても戻らない。いま、なんて思ったの? 自問自答する私の前に青紫のドレスが運ばれてきた。
「こちらはいかがでしょう」
じっと見つめて頷く。ああ、さっきの言葉は消えてしまった。淡雪のように一瞬で、跡形もなく。
護衛に怯えた話が伝わったのか、彼らは離れて警護する。見える位置にいるけれど、手を差し出されることはなくなった。転んだ時に驚いた声が聞こえたことはあっても、普段から話しかけたりもしない。その距離感が安心できた。触れるなんて怖い。
初めて廊下を歩いたあの日、私は大きな男性の手に怯えた。近づかないで、触れないで、私をどうするつもりなの……そう心で叫んだの。つまり、記憶にない昔の私に危害を加えた騎士がいるという意味。大柄な体で押さえつけられたのか、殴られたのか。詳細は不明だった。
訪ねてきた父や兄に尋ねても、首を横に振るだけ。ならばと、別の情報を集める。私の名はアリーチェ、記憶がない。ここは貴族の屋敷で、侍女を雇う余裕がある。少なくとも伯爵家以上かしら。生活に必要な知識に欠けはなく、部屋の本を読むことも出来た。読んだ内容も思い出せる。記憶能力に問題はなさそうね。
これらの情報を纏めると、それなりの家格の貴族令嬢である私は、騎士かそれに類する大柄な男に危害を加えられた経験があり、記憶をなくした。記憶の喪失と危害の間の因果関係は不明。生活に関する能力や記憶はあり、骨が浮くほど痩せた状態だったことから監禁された?
食事に嫌悪はなかったし、食べても吐き戻そうとしなかった。だから自分で食事を拒んだ可能性は低いと思う。纏めたことを日記に記した。この日記は、侍女サーラに頼んだら用意してくれたの。新品を――ね。
すごく意味深よね。新しい日記帳を手にした私は「これは違う」と感じた。つまり元々私が付けていた日記帳ではない。どこへ片付けられたのか、紛失したのか。問おうとして口を噤んだ。もしかしたら、私に読ませたくない内容が書かれていたのかも。言及して処分されたら困る。
今日の散策……廊下の往復を終わらせた私は、日記帳を広げた。赤い表紙に金色の装飾が施されている。豪華な装丁から感じるのは、この家がさほどお金に困っていないこと。インクを付けたガラスペンを手に、さらさらと記載していく。
文字も書けるし読める。文法もおそらく問題ないでしょうね。少し装飾の多い文字は若い女性特有の癖かしら。私はこういう文字は好まない気がする。違和感を覚えたら、すぐにそれも記載した。後になると忘れてしまう。
「お嬢様、旦那様が夕食をご一緒したいと仰せです」
「……そう、ね。行くわ」
昨日まで断っていたけれど、現状維持をしてもこれ以上新しい情報は手に入らない。ならば一歩ずつ外へ踏み出すしかないわ。怖いけれど、どうしてもダメならサーラが助けてくれるはず。不安を滲ませた視線を向ければ、彼女はほわりと微笑んだ。
「ご安心ください、近くに控えております」
この笑顔に嘘はないと思う。いいえ、思いたい。だって誰一人信頼できないなら、それは悲しいことだから。私は夕食用の着替えを選ぶサーラの後ろ姿を見ながら、ぐっと拳を握った。
大丈夫、私は頑張れる。だって――だもの。ふと浮かんだその言葉はするりと溶けてしまい、慌ててかき集めても戻らない。いま、なんて思ったの? 自問自答する私の前に青紫のドレスが運ばれてきた。
「こちらはいかがでしょう」
じっと見つめて頷く。ああ、さっきの言葉は消えてしまった。淡雪のように一瞬で、跡形もなく。
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