上 下
1 / 137

01.何も覚えていないの

しおりを挟む
 ふわりと意識が浮上する。快適な目覚めには程遠く、気分の悪さが残った。目を開いて、一度閉じる。柔らかそうな薄布で囲われたベッドの周りに、誰かいた。緊張しながらゆっくり、音を立てないように様子を窺った。動いたら起きていることがバレる。なぜか、それが悪いことに思えた。

 前触れもなく、天蓋の布が開かれ……びくりと肩を揺らしてしまった。

「っ、起きておられたのですね。失礼いたしました」

 柔らかな女性の声に薄く目を開けて確認する。紺色のワンピースの上に白いエプロン姿の女性は、黒髪の頭を下げた。その後ろに、男性が数人いる。

「起きたのか? アリーチェ、悪かった。愚かな父を許してくれ」

「リチェ? 僕だ。顔を見せてほしい」

 謝罪と要望、どちらも怖いと感じた。がっちりした筋肉を纏う男性は、父と名乗った。胸に階級章らしき飾りが揺れている。隣はもっと若い。

 何か言った方がいい? でも何も分からない。困惑して沈黙を選んだ。その様子に何かを確認し合うように二人は頷く。それからベッド脇に膝をついた。先ほどのエプロンの女性は後ろの壁際まで下がってしまう。

「俺を恨むのは当然だが、話をさせてくれないか?」

 謙るような父と名乗った男性、その隣で若い男性も似たような言葉を発した。

「兄なのに、リチェを疑ってしまった。償いがしたいんだ」

 父と兄、ならば私の家族なの? アリーチェって私の名前? リチェは愛称だとして、なぜ謝っているのかしら。混乱はさらに深まるばかりだった。震える手で上掛けを引っ張る。その手首はやたらと細く、骨や筋が浮き出た状態だった。

 力がうまく入らない。ぐっと拳を握った手の爪は長く、手入れが行き届いているとは言えなかった。肌の色も悪い。判断基準も分からないのに、どうしてか……健康状態が悪いと感じた。逃げるようにベッドの上を下がった結果、すぐに息が切れる。

「アリーチェ……」

 縋るように名を呼ぶ父らしき男性に、おずおずと口を開いた。けれど喉が乾いて痛み、ごくりと唾をのむ。その仕草に若い男性が指示を出し、エプロンの女性が近づいた。コップを手渡され、水を確認して口を付ける。

 一口、飲むたびに潤っていくのが分かる。体中が乾燥して水を求めていたのだと、沁み渡る感じが伝わってきた。一気に飲み干したい気持ちと裏腹に、一口含んだだけで動悸がする。ゆっくり時間をかけて、味わうように飲んだ。

「っ……だ、れ?」

 絞り出した声はしわがれ、年寄りのようだった。その声に、兄だという若い男性が涙をこぼす。尋ねた言葉の意味を理解し、父と思われる男性が目を見開いた。

「覚えて……いない?」

 こくんと首を縦に振る。その動きに、二人は顔を歪めた。申し訳ない気持ちが浮かぶが、本当に何も覚えていない。二人が家族だという認識や記憶も、私がいる部屋も……何も分からなかった。

「安心しろ、もう二度と傷つけさせない! 俺達が守る」

 言い切られた言葉に、頷くことも出来ない。私に何があったのだろう、そしてアリーチェという名前は本当に私の物なの? ベッドの上の私に、二人は泣きながら謝り続けた。謝られた事情が分からないので許すことも出来ず、私はただ痩せた手を預けたまま謝罪を聞くだけ。

 天蓋の布の向こう、暗闇の窓が目に入った。ぶるりと身を震わせる。闇をとても恐ろしく感じた。
しおりを挟む
感想 402

あなたにおすすめの小説

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください

シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。 国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。 溺愛する女性がいるとの噂も! それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。 それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから! そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー 最後まで書きあがっていますので、随時更新します。 表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。

居場所を奪われ続けた私はどこに行けばいいのでしょうか?

gacchi
恋愛
桃色の髪と赤い目を持って生まれたリゼットは、なぜか母親から嫌われている。 みっともない色だと叱られないように、五歳からは黒いカツラと目の色を隠す眼鏡をして、なるべく会わないようにして過ごしていた。 黒髪黒目は闇属性だと誤解され、そのせいで妹たちにも見下されていたが、母親に怒鳴られるよりはましだと思っていた。 十歳になった頃、三姉妹しかいない伯爵家を継ぐのは長女のリゼットだと父親から言われ、王都で勉強することになる。 家族から必要だと認められたいリゼットは領地を継ぐための仕事を覚え、伯爵令息のダミアンと婚約もしたのだが…。 奪われ続けても負けないリゼットを認めてくれる人が現れた一方で、奪うことしかしてこなかった者にはそれ相当の未来が待っていた。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

【本編完結】ただの平凡令嬢なので、姉に婚約者を取られました。

138ネコ@書籍化&コミカライズしました
ファンタジー
「誰にも出来ないような事は求めないから、せめて人並みになってくれ」  お父様にそう言われ、平凡になるためにたゆまぬ努力をしたつもりです。  賢者様が使ったとされる神級魔法を会得し、復活した魔王をかつての勇者様のように倒し、領民に慕われた名領主のように領地を治めました。  誰にも出来ないような事は、私には出来ません。私に出来るのは、誰かがやれる事を平凡に努めてきただけ。  そんな平凡な私だから、非凡な姉に婚約者を奪われてしまうのは、仕方がない事なのです。  諦めきれない私は、せめて平凡なりに仕返しをしてみようと思います。

処理中です...