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01.何も覚えていないの
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ふわりと意識が浮上する。快適な目覚めには程遠く、気分の悪さが残った。目を開いて、一度閉じる。柔らかそうな薄布で囲われたベッドの周りに、誰かいた。緊張しながらゆっくり、音を立てないように様子を窺った。動いたら起きていることがバレる。なぜか、それが悪いことに思えた。
前触れもなく、天蓋の布が開かれ……びくりと肩を揺らしてしまった。
「っ、起きておられたのですね。失礼いたしました」
柔らかな女性の声に薄く目を開けて確認する。紺色のワンピースの上に白いエプロン姿の女性は、黒髪の頭を下げた。その後ろに、男性が数人いる。
「起きたのか? アリーチェ、悪かった。愚かな父を許してくれ」
「リチェ? 僕だ。顔を見せてほしい」
謝罪と要望、どちらも怖いと感じた。がっちりした筋肉を纏う男性は、父と名乗った。胸に階級章らしき飾りが揺れている。隣はもっと若い。
何か言った方がいい? でも何も分からない。困惑して沈黙を選んだ。その様子に何かを確認し合うように二人は頷く。それからベッド脇に膝をついた。先ほどのエプロンの女性は後ろの壁際まで下がってしまう。
「俺を恨むのは当然だが、話をさせてくれないか?」
謙るような父と名乗った男性、その隣で若い男性も似たような言葉を発した。
「兄なのに、リチェを疑ってしまった。償いがしたいんだ」
父と兄、ならば私の家族なの? アリーチェって私の名前? リチェは愛称だとして、なぜ謝っているのかしら。混乱はさらに深まるばかりだった。震える手で上掛けを引っ張る。その手首はやたらと細く、骨や筋が浮き出た状態だった。
力がうまく入らない。ぐっと拳を握った手の爪は長く、手入れが行き届いているとは言えなかった。肌の色も悪い。判断基準も分からないのに、どうしてか……健康状態が悪いと感じた。逃げるようにベッドの上を下がった結果、すぐに息が切れる。
「アリーチェ……」
縋るように名を呼ぶ父らしき男性に、おずおずと口を開いた。けれど喉が乾いて痛み、ごくりと唾をのむ。その仕草に若い男性が指示を出し、エプロンの女性が近づいた。コップを手渡され、水を確認して口を付ける。
一口、飲むたびに潤っていくのが分かる。体中が乾燥して水を求めていたのだと、沁み渡る感じが伝わってきた。一気に飲み干したい気持ちと裏腹に、一口含んだだけで動悸がする。ゆっくり時間をかけて、味わうように飲んだ。
「っ……だ、れ?」
絞り出した声はしわがれ、年寄りのようだった。その声に、兄だという若い男性が涙をこぼす。尋ねた言葉の意味を理解し、父と思われる男性が目を見開いた。
「覚えて……いない?」
こくんと首を縦に振る。その動きに、二人は顔を歪めた。申し訳ない気持ちが浮かぶが、本当に何も覚えていない。二人が家族だという認識や記憶も、私がいる部屋も……何も分からなかった。
「安心しろ、もう二度と傷つけさせない! 俺達が守る」
言い切られた言葉に、頷くことも出来ない。私に何があったのだろう、そしてアリーチェという名前は本当に私の物なの? ベッドの上の私に、二人は泣きながら謝り続けた。謝られた事情が分からないので許すことも出来ず、私はただ痩せた手を預けたまま謝罪を聞くだけ。
天蓋の布の向こう、暗闇の窓が目に入った。ぶるりと身を震わせる。闇をとても恐ろしく感じた。
前触れもなく、天蓋の布が開かれ……びくりと肩を揺らしてしまった。
「っ、起きておられたのですね。失礼いたしました」
柔らかな女性の声に薄く目を開けて確認する。紺色のワンピースの上に白いエプロン姿の女性は、黒髪の頭を下げた。その後ろに、男性が数人いる。
「起きたのか? アリーチェ、悪かった。愚かな父を許してくれ」
「リチェ? 僕だ。顔を見せてほしい」
謝罪と要望、どちらも怖いと感じた。がっちりした筋肉を纏う男性は、父と名乗った。胸に階級章らしき飾りが揺れている。隣はもっと若い。
何か言った方がいい? でも何も分からない。困惑して沈黙を選んだ。その様子に何かを確認し合うように二人は頷く。それからベッド脇に膝をついた。先ほどのエプロンの女性は後ろの壁際まで下がってしまう。
「俺を恨むのは当然だが、話をさせてくれないか?」
謙るような父と名乗った男性、その隣で若い男性も似たような言葉を発した。
「兄なのに、リチェを疑ってしまった。償いがしたいんだ」
父と兄、ならば私の家族なの? アリーチェって私の名前? リチェは愛称だとして、なぜ謝っているのかしら。混乱はさらに深まるばかりだった。震える手で上掛けを引っ張る。その手首はやたらと細く、骨や筋が浮き出た状態だった。
力がうまく入らない。ぐっと拳を握った手の爪は長く、手入れが行き届いているとは言えなかった。肌の色も悪い。判断基準も分からないのに、どうしてか……健康状態が悪いと感じた。逃げるようにベッドの上を下がった結果、すぐに息が切れる。
「アリーチェ……」
縋るように名を呼ぶ父らしき男性に、おずおずと口を開いた。けれど喉が乾いて痛み、ごくりと唾をのむ。その仕草に若い男性が指示を出し、エプロンの女性が近づいた。コップを手渡され、水を確認して口を付ける。
一口、飲むたびに潤っていくのが分かる。体中が乾燥して水を求めていたのだと、沁み渡る感じが伝わってきた。一気に飲み干したい気持ちと裏腹に、一口含んだだけで動悸がする。ゆっくり時間をかけて、味わうように飲んだ。
「っ……だ、れ?」
絞り出した声はしわがれ、年寄りのようだった。その声に、兄だという若い男性が涙をこぼす。尋ねた言葉の意味を理解し、父と思われる男性が目を見開いた。
「覚えて……いない?」
こくんと首を縦に振る。その動きに、二人は顔を歪めた。申し訳ない気持ちが浮かぶが、本当に何も覚えていない。二人が家族だという認識や記憶も、私がいる部屋も……何も分からなかった。
「安心しろ、もう二度と傷つけさせない! 俺達が守る」
言い切られた言葉に、頷くことも出来ない。私に何があったのだろう、そしてアリーチェという名前は本当に私の物なの? ベッドの上の私に、二人は泣きながら謝り続けた。謝られた事情が分からないので許すことも出来ず、私はただ痩せた手を預けたまま謝罪を聞くだけ。
天蓋の布の向こう、暗闇の窓が目に入った。ぶるりと身を震わせる。闇をとても恐ろしく感じた。
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