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第8章 赤い月の洗礼

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 昼間でも海月くらげのように浮かぶ白い幻月が、ゆっくり色を纏う。夕焼けの色を反映してオレンジ色に、夜は毒々しいほどの赤に染まった。

 満月の美しい清浄な光を裏切る赤い月は、禍々しさを演出しながら天上に君臨していた。

「……始まる」

 忌々しそうに呟いたシリルの鋭敏な感覚に、ざわめく同胞達の気配が届く。頭の内側を爪で引っかくような不快さを纏わりつかせ、狂宴の時間が訪れた。

「シリル」

 名を呼ぶリスキアの声が、愉悦の色を滲ませる。抑えようとして抑え切れない、本能的な興奮が全身を満たしていくのを感じながら、シリルは紅い瞳を空へ向けた。

 輝く月は赤く濁り、その色を写し取ったように2人の瞳も血色に染まる。

「狩りの時間だ」

 呟いたシリルの表情に、もう憂いはなかった。完全に開放された本能とさがせめぎ合い、理性を押しやってしまう。

 500年に一度の”狂宴”は、吸血鬼の血を持つ者なら抗うことは出来ない。純血種であるシリルや、血の濃いリスキアはさらに強く束縛された。うっそり笑う顔は、人外に相応しい残虐さと冷淡さを秘めている。
 ゆったり進んだ先に見える村は、普段のシリルなら近づこうとしない筈の場所だった。

 人間の浅ましさや欲深さを嫌う彼の目に映るのは、若い獲物達が息を潜める姿だけ。村外れの大木の下に、白い衣装を着せられた数名の男女が繋がれていた。逃げられないように手足を縛り、その綱の先を大木に結わえられている様は、『生贄』でしかない。

 赤い月が浮かんだら魔物へ生贄を捧げる――人間達の間に伝わる伝承は、今も途絶えていなかった。昔話より古い口伝を守った村人は、これで全滅を免れるのだ。本能が開放される赤い月の夜だけ、吸血鬼達は普段と比べ物にならないほど残虐になる。

 もし生贄を用意しなければ、村全体がターゲットとなり、全員を殺し尽くすまで止まれない。それ故に、過去の人間が恐怖と共に伝えた言霊は、今も村人の全滅を防ぐ防波堤の役目を果たしていた。

「さて、どれを望む?」

 リスキアの尋ねに、シリルは黒髪を揺らして小首を傾げた。白い指を赤い唇に押し当てた姿は、お菓子を前に迷う子供のようだ。少しして、シリルは口元の笑みを深めた。

「……アレを」

 指差した先に、脅える少女が蹲っていた。艶の足りない黒髪を揺らす彼女の白い肌に、シリルが唇を湿らせる。ごくりと喉が動いて、乾きを潤す命水を求めて目を細めた。

 森から足を踏み出し、2人は月光の下に姿を現す。
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