上 下
156 / 530
第10章 因果は巡る黒真珠騒動

154.絶対に惚れてはいけない顔だけの悪魔降臨

しおりを挟む
「いいか、イヴ。アスタロトはダメだ。あれは悪魔に違いない。絶対に惚れてはいけない。顔だけだからな」

 愛娘を抱き上げ、呪文のようにアスタロトを否定する魔王。書類を運んで扉を開けたアベルは一度止まり、そっと扉を閉めた。いけない物を見てしまった気がする。だが手にした書類に気づいてノックした。そうだ、ノックを忘れて開けた所為に違いない。今度はまともな魔王がいるはず。

 期待して開いた扉の先は同じ光景が広がっていた。大公女達と会合というお茶会があるリリスはおらず、執務室は珍しく人が少なかった。魔王ルシファーと娘イヴのみだ。いや、よく見たら足元で敷物のように平たくなって気配を消すフェンリルがいた。

「ヤンさん……」

 可哀想なくらい平らだ。尻尾や耳はぺたりと床に張り付き、手足もぺたりと伸ばしていた。存在感や魔力はほぼ感じられない。獣の気配を消す能力の高さに感心してしまった。

「ん? アベル。どうした」

「書類をお届けに来ました。ここに置きますね。では」

 丁寧に説明して未処理の書類を机に置き、急いで踵を返す。本能が叫んでいる。この場に残るのは危険だと! アベルは己の本能が命じるまま、大急ぎで扉にたどり着き……絶望した。目の前に立っているのは大公アスタロトである。それも何やら黒い気配を纏っていた。

「ルシファー様」

「アスタロト? 書類はこれからだぞ」

 けろりと明るい声で返すルシファーは気づいていないらしい。こんなに顕著に機嫌が悪いと示されているのに、無視できるなんて……これが最強の魔王の所以か! アベルが青ざめ震えた。ごめん、ルカ。俺は無事に帰れないかも知れない。心の中で妻に謝罪していると、義父に当たるアスタロトに押しのけられた。

 完全に視野に入っていないようだ。邪魔だからどかしたという態度だった。それでも命拾いにほっとする、が……どこまでも運が悪い男アベルは顔を引き攣らせた。この部屋の出口である扉を、アスタロトが塞いでいる。

 すり抜けるには隙間が狭い。ぶつかったら睨まれそうだし、そんな勇気もなかった。震えながら元勇者は息をひそめる。ちらりと視線を向けた先で、ヤンと目が合った。あ、仲間がいる。お互いの目がそう語っていた。かくして、アベルは置物のフリを始めた。

「分かっておりますとも」

 声の響きがいつもと違うことに気づき、ルシファーはようやくアスタロトをじっくりと眺めた。手にした書類とペン、整った顔は気味が悪いほど満面の笑みだ。普段は見られない状況に、何か失敗をしたかと反芻し始める。

 真珠騒動の前は特に異常がなかったから、それ以降か。うーん、心当たりがない。ルシファーは早々に考えるのを放棄した。

「機嫌が悪いのか」

「いいえ。最高の気分ですよ。絶対に惚れてはいけない顔だけの悪魔でございますから」

 全部聞かれていた。そう気づいたルシファーが顔色をなくす。置物のアベルと敷物のヤンが目配せし合った。この部屋で気配を殺していても危険だ。外へ逃げよう、二人の意見は一致した。ソロソロと這って移動を始めるヤン、一気に動くとバレてしまう。手招きしながら屈んだアベル。

 こそこそと二人はアスタロトの足元を抜けた。幸いにも息をひそめて気配を消した二人を、アスタロトは咎めない。外へ出てすぐにアベルが扉を閉め、そこに背を預けてずるずると座り込んだ。

「あっぶなかったぁ」

「助かりましたな、アベル殿」

「本当だよ、ルカには甘いけど……あの人……」

 文句を言いかけたアベルが、ひっと息を詰めて口を押さえる。万が一にも聞こえたらと首を竦めた彼の頭上すれすれを、何かが飛んで行った。ヤンの鼻先を掠めて、短剣が壁に突き刺さる。

「逃げるぞ」

「待って」

 腰が抜けたアベルの襟首を咥え、ヤンは一目散に廊下を走り階段を駆け下りた。一階まで逃げた事実に安堵するヤンは、アベルを床の上に下ろした。体中傷だらけだが生きている。

「助かった……ありがと、恩にきる」

 死ななくて良かった。愛しい妻ルーサルカ、今から君のところへ帰るよ。しかし、まだ腰が抜けたままのアベルは自力で立てず、義母アデーレによって妻の元へ届けられた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに

千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」 「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」 許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。 許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。 上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。 言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。 絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、 「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」 何故か求婚されることに。 困りながらも巻き込まれる騒動を通じて ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。 こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。

召喚されたら聖女が二人!? 私はお呼びじゃないようなので好きに生きます

かずきりり
ファンタジー
旧題:召喚された二人の聖女~私はお呼びじゃないようなので好きに生きます~ 【第14回ファンタジー小説大賞エントリー】 奨励賞受賞 ●聖女編● いきなり召喚された上に、ババァ発言。 挙句、偽聖女だと。 確かに女子高生の方が聖女らしいでしょう、そうでしょう。 だったら好きに生きさせてもらいます。 脱社畜! ハッピースローライフ! ご都合主義万歳! ノリで生きて何が悪い! ●勇者編● え?勇者? うん?勇者? そもそも召喚って何か知ってますか? またやらかしたのかバカ王子ー! ●魔界編● いきおくれって分かってるわー! それよりも、クロを探しに魔界へ! 魔界という場所は……とてつもなかった そしてクロはクロだった。 魔界でも見事になしてみせようスローライフ! 邪魔するなら排除します! -------------- 恋愛はスローペース 物事を組み立てる、という訓練のため三部作長編を予定しております。

異世界道中ゆめうつつ! 転生したら虚弱令嬢でした。チート能力なしでたのしい健康スローライフ!

マーニー
ファンタジー
※ほのぼの日常系です 病弱で閉鎖的な生活を送る、伯爵令嬢の美少女ニコル(10歳)。対して、亡くなった両親が残した借金地獄から抜け出すため、忙殺状態の限界社会人サラ(22歳)。 ある日、同日同時刻に、体力の限界で息を引き取った2人だったが、なんとサラはニコルの体に転生していたのだった。 「こういうときって、神様のチート能力とかあるんじゃないのぉ?涙」 異世界転生お約束の神様登場も特別スキルもなく、ただただ、不健康でひ弱な美少女に転生してしまったサラ。 「せっかく忙殺の日々から解放されたんだから…楽しむしかない。ぜっっったいにスローライフを満喫する!」 ―――異世界と健康への不安が募りつつ 憧れのスローライフ実現のためまずは健康体になることを決意したが、果たしてどうなるのか? 魔法に魔物、お貴族様。 夢と現実の狭間のような日々の中で、 転生者サラが自身の夢を叶えるために 新ニコルとして我が道をつきすすむ! 『目指せ健康体!美味しいご飯と楽しい仲間たちと夢のスローライフを叶えていくお話』 ※はじめは健康生活。そのうちお料理したり、旅に出たりもします。日常ほのぼの系です。 ※非現実色強めな内容です。 ※溺愛親バカと、あたおか要素があるのでご注意です。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

異世界転移した私と極光竜(オーロラドラゴン)の秘宝

饕餮
恋愛
その日、体調を崩して会社を早退した私は、病院から帰ってくると自宅マンションで父と兄に遭遇した。 話があるというので中へと通し、彼らの話を聞いていた時だった。建物が揺れ、室内が突然光ったのだ。 混乱しているうちに身体が浮かびあがり、気づいたときには森の中にいて……。 そこで出会った人たちに保護されたけれど、彼が大事にしていた髪飾りが飛んできて私の髪にくっつくとなぜかそれが溶けて髪の色が変わっちゃったからさあ大変! どうなっちゃうの?! 異世界トリップしたヒロインと彼女を拾ったヒーローの恋愛と、彼女の父と兄との家族再生のお話。 ★掲載しているファンアートは黒杉くろん様からいただいたもので、くろんさんの許可を得て掲載しています。 ★サブタイトルの後ろに★がついているものは、いただいたファンアートをページの最後に載せています。 ★カクヨム、ツギクルにも掲載しています。

「デブは出て行け!」と追放されたので、チートスキル【マイホーム】で異世界生活を満喫します。

亜綺羅もも
ファンタジー
旧題:「デブは出て行け!」と追放されたので、チートスキル【マイホーム】で異世界生活を満喫します。今更戻って来いと言われても旦那が許してくれません! いきなり異世界に召喚された江藤里奈(18)。 突然のことに戸惑っていたが、彼女と一緒に召喚された結城姫奈の顔を見て愕然とする。 里奈は姫奈にイジメられて引きこもりをしていたのだ。 そんな二人と同じく召喚された下柳勝也。 三人はメロディア国王から魔族王を倒してほしいと相談される。 だがその話し合いの最中、里奈のことをとことんまでバカにする姫奈。 とうとう周囲の人間も里奈のことをバカにし始め、極めつけには彼女のスキルが【マイホーム】という名前だったことで完全に見下されるのであった。 いたたまれなくなった里奈はその場を飛び出し、目的もなく町の外を歩く。 町の住人が近寄ってはいけないという崖があり、里奈はそこに行きついた時、不意に落下してしまう。 落下した先には邪龍ヴォイドドラゴンがおり、彼は里奈のことを助けてくれる。 そこからどうするか迷っていた里奈は、スキルである【マイホーム】を使用してみることにした。 すると【マイホーム】にはとんでもない能力が秘められていることが判明し、彼女の人生が大きく変化していくのであった。 ヴォイドドラゴンは里奈からイドというあだ名をつけられ彼女と一緒に生活をし、そして里奈の旦那となる。 姫奈は冒険に出るも、自身の力を過信しすぎて大ピンチに陥っていた。 そんなある日、現在の里奈の話を聞いた姫奈は、彼女のもとに押しかけるのであった…… これは里奈がイドとのんびり幸せに暮らしていく、そんな物語。 ※ざまぁまで時間かかります。 ファンタジー部門ランキング一位 HOTランキング 一位 総合ランキング一位 ありがとうございます!

フェンリルに育てられた転生幼女は『創作魔法』で異世界を満喫したい!

荒井竜馬
ファンタジー
旧題:フェンリルに育てられた転生幼女。その幼女はフェンリル譲りの魔力と力を片手に、『創作魔法』で料理をして異世界を満喫する。  赤ちゃんの頃にフェンリルに拾われたアン。ある日、彼女は冒険者のエルドと出会って自分が人間であることを知る。  アンは自分のことを本気でフェンリルだと思い込んでいたらしく、自分がフェンリルではなかったことに強い衝撃を受けて前世の記憶を思い出した。そして、自分が異世界からの転生者であることに気づく。  その記憶を思い出したと同時に、昔はなかったはずの転生特典のようなスキルを手に入れたアンは人間として生きていくために、エルドと共に人里に降りることを決める。  そして、そこには育ての父であるフェンリルのシキも同伴することになり、アンは育ての父であるフェンリルのシキと従魔契約をすることになる。  街に下りたアンは、そこで異世界の食事がシンプル過ぎることに着眼して、『創作魔法』を使って故郷の調味料を使った料理を作ることに。  しかし、その調味料は魔法を使って作ったこともあり、アンの作った調味料を使った料理は特別な効果をもたらす料理になってしまう。  魔法の調味料を使った料理で一儲け、温かい特別な料理で人助け。  フェンリルに育てられた転生幼女が、気ままに異世界を満喫するそんなお話。  ※ツギクルなどにも掲載しております。

【HIDE LEVELING】転生者は咎人だと言われました〜転生者ってバレたら殺されるらしいから、実力を隠しながらレベルアップしていきます〜

久遠ノト@マクド物書き
ファンタジー
【ステータス1の最弱主人公が送るゆるやか異世界転生ライフ】✕【バレたら殺される世界でハイドレベリング】✕【異世界人達と織り成すヒューマンドラマ】 毎日更新を再開しました。 20時に更新をさせていただきます。 第四創造世界『ARCUS』は単純なファンタジーの世界、だった。 しかし、【転生者】という要素を追加してしまってから、世界のパワーバランスが崩壊をし始めていた。挙句の果てに、この世界で転生者は罪人であり、素性が知られたら殺されてしまう程憎まれているときた! こんな世界オワコンだ! 終末までまっしぐら――と思っていたトコロ。  ▽『彼』が『初期ステータス』の状態で転生をさせられてしまった! 「こんな世界で、成長物語だって? ふざけるな!」と叫びたいところですが、『彼』はめげずに順調に協力者を獲得していき、ぐんぐんと力を伸ばしていきます。 時には強敵に負け、挫折し、泣きもします。その道は決して幸せではありません。 ですが、周りの人達に支えられ、また大きく羽ばたいていくことでしょう。弱い『彼』は努力しかできないのです。 一章:少年が異世界に馴染んでいく過程の複雑な感情を描いた章 二章:冒険者として活動し、仲間と力を得ていく成長を描いた章 三章:一人の少年が世界の理不尽に立ち向かい、理解者を得る章 四章:救いを求めている一人の少女が、歪な縁で少年と出会う章 ──四章後、『彼』が強敵に勝てるほど強くなり始めます── 【お知らせ】 他サイトで総合PVが20万行った作品の加筆修正版です 第一回小説大賞ファンタジー部門、一次審査突破(感謝) 【作者からのコメント】 成長系スキルにステータス全振りの最弱の主人公が【転生者であることがバレたら殺される世界】でレベルアップしていき、やがて無双ができるまでの成長過程を描いた超長編物語です。 力をつけていく過程をゆっくりと描いて行きますので「はやく強くなって!」と思われるかもしれませんが、第四章終わりまでお待ち下さい。 第四章までは主人公の成長と葛藤などをメインで描いた【ヒューマンドラマ】 第五章からは主人公が頭角を現していくバトル等がメインの【成り上がり期】 という構成でしています。 『クラディス』という少年の異世界ライフを描いた作品ですので、お付き合い頂けたら幸いです。 ※ヒューマンドラマがメインのファンタジーバトル作品です。 ※設定自体重めなのでシリアスな描写を含みます。 ※ゆるやか異世界転生ライフですが、ストレスフルな展開があります。 ※ハッピーエンドにするように頑張ります。(最終プロットまで作成済み) ※カクヨムでも更新中

処理中です...