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第7章 幼子は小さな暴君である
96.育児は戦争、ここは戦場だった
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新しい柵が届いたので、設置して子ども達を遊ばせる。幼子は魔法を無意識に使うことも多いため、がっちり結界で覆った。これで安全だろう。
ルシファーは昨日に残した書類作業に入った。視線の端では、幼子達が這いずり回って奇声を上げている。このままでは仕事にならないので、ベルゼビュートの夫エリゴスが応援に入った。
リリスや大公女達は学校関連の視察で留守にしている。その間に預かった子を安全に遊ばせるため、魔王の執務室は格好の場所だ。警備が厳しく外から入ってくる者が限られ、管理されている。誘拐や拉致の心配は激減した。
イヴも大人ばかりの状況で育てるより、同年代の子と遊んだ方がいいだろう。リリスもそうだったが、幼いうちに遊びを通して学んでいくのは大切だ。我が侭姫のリリスが、保育園二日目で「おもちゃを譲る」ことを覚えた。あの経験は、ルシファーにも糧となった。
子が育てば親も育つ。エリゴスは自ら結界の内側に入り、子ども達の世話を始めた。何を思ったのか、今日は魔獣姿だ。護衛のヤンが気の毒そうに呻き声を漏らした。
「あれは……酷い目に遭いますぞ」
「そうなのか?」
ルシファーは生返事をしながら書類を捲った。これは申請書だが、後回しでよさそうだ。次の報告書の方が対策を急がねばならない。処理する順番を考えながら書類を並べ替えた。
「あ、尻尾はやめ……うわっ、そこはやめて!」
まるで襲われたような声が響き、ルシファーは手を止める。振り返った先で、エリゴスがえらいことになっていた。息子ジルが尻尾を掴んで引っ張り、後ろ足へ黄金竜ゴルティーが噛み付く。蹲ってやり過ごそうとするエリゴスの耳を、イヴが「あぶぅ」と言いながら掴んで引っ張る。あ、口に入れた。
「イヴ、ぺっして。ばっちい」
イヴに注意する。魔獣の耳は毛に覆われているし、洗った手とは違うのだ。口に入れてはいけないし、万が一にもしゃぶったりしたら。
「魔王様、ひどい」
「悪い、そういう意味じゃない」
汚いと言われてエリゴスが落ち込む。真顔で謝罪した。これが侍女の手だったとしても、「ぺっして」は発せられただろう。単に洗ってない何かを口に入れるなという意味だが、確かに誤解を招く表現だった。ここはお詫びして、真意を伝えるのが正しい。
首を傾げたイヴは生えてきた歯が痒いらしい。何かを噛んで痒みを誤魔化すのは、魔獣の子にもよく見られる症状だった。おしゃぶりを取り出して近づき、揺らして見せる。目を輝かせたイヴがよいせと向きを変えて、這い這いでルシファーを目指す。にっこり笑って柵を乗り越えようとした魔王は……すっかり忘れていた。
厳重に張った己の結界に躓き、後ろに転ぶ。即座に大型犬サイズのヤンが滑り込み、尻餅をついたルシファーを受け止めた。
「っ、助かった」
手前で浮遊魔法が間に合ったのだが、ヤンに礼を言って立ち上がる。結界を解除し、イヴにおしゃぶりを渡した。もちろん浄化済みである。咥えたおしゃぶりを齧るイヴはご機嫌で、その間にエリゴスを助けた。
「大丈夫か?」
「尻尾の毛が……禿げてるぅ」
「治癒で治してやるから」
宥めながら立派な尻尾を治す魔王の後ろで、今度はヤンが悲鳴をあげた。
「うぎゃっ、何を……痛っ」
引っぺがした黄金竜は、新たなターゲットにヤンを選んだ。小さな羽を器用に動かし、危険な飛行をしてヤンの耳を掴む。子どもは手加減を知らないため、思い切り引っ張った。その間にイヴが脱出し、後ろに続くリン。
混乱した現場で、ルシファーははたと気づく。さきほど、浮遊魔法を室内で使った。あれは結界の解除前だったか、後だったか。そもそも柵より外側なのでは? 青ざめたルシファーがふらふらと書類へ手を伸ばし、消えた押印に「ひっ」と奇妙な声を溢す。
「うわぁああ!」
今度はなんだ! 苛立ちも露わな魔王の目に映ったのは、マーリーンにおしゃぶりを奪われた愛娘であった。
「わかった……育児は戦争だ。つまり戦場なら、専門の指揮官が必要なのだ。オレの采配が甘かった」
ぶつぶつぼやき、侍女や侍従で手の空いている者が招集された。
「2時間でいい。大人しくさせておいてくれ」
おもちゃや絵本で子ども達を操る侍従達を横目に、ルシファーは過去最速と思われるスピードで書類を処理し終えた。
「明日からどうしようか」
毎日これでは身が持たない。我が子イヴは、取り返したおしゃぶりを齧る。逞しく育つだろうが、成長する前に親が倒れそうだった。
ルシファーは昨日に残した書類作業に入った。視線の端では、幼子達が這いずり回って奇声を上げている。このままでは仕事にならないので、ベルゼビュートの夫エリゴスが応援に入った。
リリスや大公女達は学校関連の視察で留守にしている。その間に預かった子を安全に遊ばせるため、魔王の執務室は格好の場所だ。警備が厳しく外から入ってくる者が限られ、管理されている。誘拐や拉致の心配は激減した。
イヴも大人ばかりの状況で育てるより、同年代の子と遊んだ方がいいだろう。リリスもそうだったが、幼いうちに遊びを通して学んでいくのは大切だ。我が侭姫のリリスが、保育園二日目で「おもちゃを譲る」ことを覚えた。あの経験は、ルシファーにも糧となった。
子が育てば親も育つ。エリゴスは自ら結界の内側に入り、子ども達の世話を始めた。何を思ったのか、今日は魔獣姿だ。護衛のヤンが気の毒そうに呻き声を漏らした。
「あれは……酷い目に遭いますぞ」
「そうなのか?」
ルシファーは生返事をしながら書類を捲った。これは申請書だが、後回しでよさそうだ。次の報告書の方が対策を急がねばならない。処理する順番を考えながら書類を並べ替えた。
「あ、尻尾はやめ……うわっ、そこはやめて!」
まるで襲われたような声が響き、ルシファーは手を止める。振り返った先で、エリゴスがえらいことになっていた。息子ジルが尻尾を掴んで引っ張り、後ろ足へ黄金竜ゴルティーが噛み付く。蹲ってやり過ごそうとするエリゴスの耳を、イヴが「あぶぅ」と言いながら掴んで引っ張る。あ、口に入れた。
「イヴ、ぺっして。ばっちい」
イヴに注意する。魔獣の耳は毛に覆われているし、洗った手とは違うのだ。口に入れてはいけないし、万が一にもしゃぶったりしたら。
「魔王様、ひどい」
「悪い、そういう意味じゃない」
汚いと言われてエリゴスが落ち込む。真顔で謝罪した。これが侍女の手だったとしても、「ぺっして」は発せられただろう。単に洗ってない何かを口に入れるなという意味だが、確かに誤解を招く表現だった。ここはお詫びして、真意を伝えるのが正しい。
首を傾げたイヴは生えてきた歯が痒いらしい。何かを噛んで痒みを誤魔化すのは、魔獣の子にもよく見られる症状だった。おしゃぶりを取り出して近づき、揺らして見せる。目を輝かせたイヴがよいせと向きを変えて、這い這いでルシファーを目指す。にっこり笑って柵を乗り越えようとした魔王は……すっかり忘れていた。
厳重に張った己の結界に躓き、後ろに転ぶ。即座に大型犬サイズのヤンが滑り込み、尻餅をついたルシファーを受け止めた。
「っ、助かった」
手前で浮遊魔法が間に合ったのだが、ヤンに礼を言って立ち上がる。結界を解除し、イヴにおしゃぶりを渡した。もちろん浄化済みである。咥えたおしゃぶりを齧るイヴはご機嫌で、その間にエリゴスを助けた。
「大丈夫か?」
「尻尾の毛が……禿げてるぅ」
「治癒で治してやるから」
宥めながら立派な尻尾を治す魔王の後ろで、今度はヤンが悲鳴をあげた。
「うぎゃっ、何を……痛っ」
引っぺがした黄金竜は、新たなターゲットにヤンを選んだ。小さな羽を器用に動かし、危険な飛行をしてヤンの耳を掴む。子どもは手加減を知らないため、思い切り引っ張った。その間にイヴが脱出し、後ろに続くリン。
混乱した現場で、ルシファーははたと気づく。さきほど、浮遊魔法を室内で使った。あれは結界の解除前だったか、後だったか。そもそも柵より外側なのでは? 青ざめたルシファーがふらふらと書類へ手を伸ばし、消えた押印に「ひっ」と奇妙な声を溢す。
「うわぁああ!」
今度はなんだ! 苛立ちも露わな魔王の目に映ったのは、マーリーンにおしゃぶりを奪われた愛娘であった。
「わかった……育児は戦争だ。つまり戦場なら、専門の指揮官が必要なのだ。オレの采配が甘かった」
ぶつぶつぼやき、侍女や侍従で手の空いている者が招集された。
「2時間でいい。大人しくさせておいてくれ」
おもちゃや絵本で子ども達を操る侍従達を横目に、ルシファーは過去最速と思われるスピードで書類を処理し終えた。
「明日からどうしようか」
毎日これでは身が持たない。我が子イヴは、取り返したおしゃぶりを齧る。逞しく育つだろうが、成長する前に親が倒れそうだった。
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