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31.なぜセイルに固執するのですか

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 悪魔を前に、仮にも教皇の立場にある青年は優雅に一礼して見せた。

「はじめまして」

 名を呼ばないのは名乗られていないから。自らの名も聞かれていないので名乗らない。悪魔を相手にすることがない教皇へ、最低限の注意を言い聞かせたオレはほっと息をついた。

「そんなに心配するな、セイル」

 にっこりと邪気のない笑みを浮かべる悪魔に、「どうやったら安心できるんだ?」と心の中だけで呟く。これがクルスから言い出した話でなければ、罠の可能性を考えて反対した。しかしクルスを支えるリリトの予言でさえ、アモルとの顔合わせは必然と出たらしく……結局誰も止められないまま顔合わせが実現してしまった。

「そうですよ、セイル。何も心配なんてありません」

「……オレは心配で禿げそうだよ」

「禿げは嫌だ」

 眉を顰めて嘆くアモルは、大げさに不快感を示す。苦笑いしたクルスが「意外と似合ったりして」と不穏な発言を重ねるに至り、オレはどうやら自分が格好の緩衝材扱いされていることに気付いた。

 クルスはアモルと歩み寄る気があるようだが、アモルはクルスに興味はない。それが教皇であれ、まったく価値を見出していないようだった。

 たかだか『一悪魔祓い』に執着するくせに、『頂点に立つ教皇』は要らないという。アモルが何をもって判断するのか、基準がわからない。ため息を吐いたオレがお手上げを仕草で示した。

「オレをダシにしてないで、さっさと話せよ……クルス」

 言外にあまり時間はないと示せば、やっとクルスが口を開く。

「聞いてみたかったのです。ここまでセイルを求める理由を」

「ほう……なぜ俺がセイルを欲すると思う? 揶揄っているだけの可能性もあるだろう」

「おや誤魔化すのですか? リリトの力を知っているでしょう。あなたは彼が欲しい――堕とすことなく、殺さずに……ッ!」

 続けようとした言葉の先が凍りつく。

 ふわりと風を纏ったアモルの眼差しが冷たい色を刷いた。睨みつけられたクルスの喉が、恐怖からごくりと動く。これ以上何か口にしたら殺されるのではないか、そんな恐怖が部屋の空気を支配した。

 ひどく緊張した空間に、オレはあっさりと割って入る。

「はいはい、なんだか知らないけど……本人を目の前にして殺気立たないでくれ。まったく、迷惑なんだよな」

 ぶつぶつ言いながらクルスを背に庇い、アモルへ無造作に手を伸ばした。普段はアモルから触れてくることが多いが、いつもされているように右手でアモルの頬を包む。柔らかく触れた感触に我に返ったのか、アモルは舌打ちしそうな表情で目を伏せた。

「意外と感情豊かだな……アモル。ここで引いてくれ」

「わかった」

 渋々と言った口調ながら、素直に了承した悪魔の頬をなでて手を離す。振り返って、青ざめたクルスの頬を軽く叩いた。

「おい、しっかりしろ。代償も交渉もなしで悪魔に応えてもらおうなんて、無茶が過ぎるぞ」

 忠告がてら釘を刺したオレは肩を竦める。無防備に悪魔に背を向けているが、襲われる心配はしなかった。信頼や信用とは違う感覚だが、彼が自分を攻撃するとは思わない。

「セイル、義務は果たしたぞ」

 教皇に会ってくれ。それがオレの条件だった。アモルが交換条件はさほど難しいものではなく、いまだ果たされていない権利を匂わせる悪魔はどこか愉しそうだ。

「わかってる」

「……何を契約したの?」

 心配そうなクルスがオレのローブをぎゅっと握る。その震える手をそっと解いて、オレはウィンクして一歩下がった。

「大丈夫、全然問題ない範囲の契約だから」

 ハデスがいたら反対しただろうか……。
 あれきり呼んでいない相棒の忠告が一瞬脳裏をよぎる。しかし瞬きひとつで振り切った。

 魔王の手にあったことを隠し、指摘されても肯定しなかった。その態度が不信感を募らせるのだ。素直に言ってくれたらよかった。長く生きている武器だと知っているから、偶然人間の手に収まったけれど……かつては魔王の武器だったと言ってくれたら。

 疑わずに受け入れたのに。

 唇を噛んだオレは軽く首を振って、アモルへ手を差し出す。振り返らずに伸ばされた手を見つめ、アモルはひとつ瞬きして己の手を上に重ねた。
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