上 下
2 / 33

2

しおりを挟む
「おまたせ、レミさん」

「あら……」

 さっきから視線を向けていたくせに、まるで今気づいたように振り返る。下手な芝居を気づかないフリで隣に座り、ほっそりした腰に手を回した。

「今日はゆっくり出来るんだろ?」

 抱き寄せて自分へ寄りかからせると、耳元で低く囁く。この声で腰砕けになる女性は多く、一部、男性ファンも獲得している。サリエルの紫藍の眼差しを独り占めしている優越感から、レミは笑みを浮かべて頷いた。

「失礼します。ジンです」

「カイトです」

 2人のホストが声を掛けて座る。レミを挟んで右側にサリエルが、左側にジンが座り、正面でカイトがボトルを開けた。新しいボトルを無断で頼んだのは、サリエルの指示だ。それを気づかない訳がないのに、彼女はうっとりと見つめているだけで咎めなかった。

「それじゃ、レミさんの美しさに乾杯」

 歯の浮くようなセリフを真顔で吐いて、サリエルは高級ブランデーのグラスを、彼女のカクテルと合わせた。カチンと音がしたグラスに口を付けるレミの前へ、次々とフルーツやつまみが運ばれて来る。

「もっと頼んでいいのよ、サリエル」

「ホント? ちょうどお腹空いてたんだ」

 白々しい嘘を吐きながら、机を挟んで向かいに座るカイトへ指示を出す。まだ幼く見えるカイトが頷き、数本のボトルと食べ物を用意させた。

 シャンパンタワーの30万円など目ではない、百数十万のブランデーを開封していく。あまりの散財振りに、周囲のテーブルが驚いていた。しかし、ヘルプについたカイトやジンにしてみれば、見慣れた光景のひとつでしかない。

 そして数時間後の一悶着と、彼女の泣き顔すら……想像がつく未来でしかなかった。

 楽しい時間は、瞬く間に過ぎる。

 まさしく泡沫の夢……男の心は金で手に入らないのだと、どうして彼女は気づけないのか。正気に返れば「バカだった」と嘆くのに、それでも夢を見させるのがホストの仕事だった。

「サリエル、次の指名が入った」

 耳元で囁くジャックの声に、サリエルは口元を歪めた。

 このレミとは比べ物にならない金額を落とす次の客、入り口でエスコートを待つお嬢様へ視線を向ける。流し目に顔を赤らめる女性は、30代半ばだろう。毛皮のコートも、その身を包むドレスも、アクセサリーさえ……すべてが最上級の品だった。

「悪いね、レミさん。次の指名が入った」

 立ち上がろうとするサリエルを引きとめようと、レミは必死に腕を掴んだ。

「待って! お金なら払うから」

「無理だと思うぜ」

 そっけなく告げると、ジンが彼女に何かを囁いた。途端に顔色を変えて目を見開く。

「手、離してくれる?」

 止めを刺すサリエルの冷たい声に、レミは震える手を引いて拳を握る。ジンから聞かされたのは、とんでもない情報だった。

 普段のレミが使う金額は100万円前後で、今日は200万円用意していた。それを上回る金額をバラまくライバルの出現は、ここ1時間ほどの彼女の優越感を打ち砕くのに十分過ぎる。

 なんとかして、お金を用意しなくちゃ……。

 そう考える彼女の前に差し出された伝票には、188万円の請求額が記されていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

鬼ごっこ

ハタセ
BL
年下からのイジメにより精神が摩耗していく年上平凡受けと そんな平凡を歪んだ愛情で追いかける年下攻めのお話です。

その日君は笑った

mahiro
BL
大学で知り合った友人たちが恋人のことで泣く姿を嫌でも見ていた。 それを見ながらそんな風に感情を露に出来る程人を好きなるなんて良いなと思っていたが、まさか平凡な俺が彼らと同じようになるなんて。 最初に書いた作品「泣くなといい聞かせて」の登場人物が出てきます。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。 拙い文章でもお付き合いいただけたこと、誠に感謝申し上げます。 今後ともよろしくお願い致します。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

闇を照らす愛

モカ
BL
いつも満たされていなかった。僕の中身は空っぽだ。 与えられていないから、与えることもできなくて。結局いつまで経っても満たされないまま。 どれほど渇望しても手に入らないから、手に入れることを諦めた。 抜け殻のままでも生きていけてしまう。…こんな意味のない人生は、早く終わらないかなぁ。

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

帰宅

papiko
BL
遊んでばかりいた養子の長男と実子の双子の次男たち。 双子を庇い、拐われた長男のその後のおはなし。 書きたいところだけ書いた。作者が読みたいだけです。

処理中です...