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最終章 エガオが笑う時

エガオが笑う時(3)

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 フレンチトーストを食べ終えるとカゲロウはアップルティーを淹れてくれた。
 今日は凄いな。
 私の大好物のオンパレードだ。
 カゲロウの淹れてくれたアップルティーは匂いだけで充分に満足出来るもので、いつまでも嗅いでいたい甘さと酸っぱさ、そして心を豊かにする匂いだ。
「鎧のない生活は慣れないか?」
 カゲロウの言葉に私は顔を上げる。
「なんかずっと戸惑ってるだろう?」
 カゲロウは、本当に凄い。
 何もかもお見通しだ。
「はいっ。私の身体ってこんなに軽かったんだってびっくりしてます。それに・・・」
 私は、きゅっとカップを握る。
「怖い・・・です」
 物心付いた時にはもう鎧と大鉈を持った生活だった。マナに言われなければ寝る時だって鎧を身につけ、大鉈を持っていた。
「どこから私の命を狙ってる誰かがいるかもしれない。罠がどこかに仕掛けられてるかもしれない、寝てる隙、寛いでる隙を狙われてるかもしれない、そう思うだけで怖いです」
 自分でも馬鹿なことを言ってると思う。
 メドレーの隊長だった時ならともかく今の私はもうどこにでもいる十七歳の女になってしまった。そんな小娘を狙う価値なんてどこにもないことは分かってるのにそれでも・・・怖い。
 怖くて仕方ない。
 あるはずのない鎧を求めて触って、あるはずのない大鉈を探して空を握ってしまう。
「それは俺がいても怖いか?」
 私は、思わずキョトンしてしまう。
「カゲロウを怖いと思ったことなんて一度もありませんよ」
 何を言ってるんだろう?
「そうじゃなくて・・・」
 カゲロウは、少し苛立ったように鳥の巣のような髪を掻くと立ち上がって椅子ごと私の隣に座った。
 私は、びっくりして水色の目を大きく開ける。
 髪に隠れたカゲロウの目がじっと私を見ているのを感じる。
「俺が一緒にいても怖いのかって聞いてるんだ」
 えっ?
 私は、意味が分からず戸惑ってしまう。
「俺じゃお前を怖いものから守ってやれないか?」
 カゲロウの目は髪に隠れて見えない。
 しかし、この言葉から、態度から熱い何かが放たれている。
 その熱に打たれたように私の身体は熱くなり、心臓が激しく高鳴る。
 カゲロウの両腕が私の首筋に伸びる。
 固い指先が触れるだけで心地よく感じる。
 両腕が引かれる。
 柔らかく光る物が彼の手に握られている。
 それはあの時貰った花の形の指輪。
 ずっと大切に身につけていた物。
 彼は、私の左手をそっと握って優しく持ち上げる。
 花の指輪が私の薬指にゆっくりとゆっくりと嵌められていく。
「鎧の代わり」
 彼は、少し照れたようにぶっきらぼうに言う。
「えっ?」
「怖いものからは俺が守ってやる。嫌なことあったら俺が助けてやる。だから・・・」
 カゲロウは、私の左手をぐっと引っ張る。
 私の身体はすっぽりと彼の胸の中に収まる。
「ずっと一緒にいろ。もう離れるなよ」
 彼の手が優しく私の髪を撫でる。
 今の私の顔はどんなになってるんだろう?
 きっと涙でくしゃくしゃになってるに違いない。
「はい・・・」
 私は、震える声を絞り出した。
 唇に何かが触れる。
 熱かで柔らかく、少しチクチクする。
 フレンチトーストの甘い香りが鼻腔と口に入り込む。
 それがカゲロウの唇だと認識した瞬間、私も両手を彼の首に回し、彼の唇を求めた。
 恐怖が消えていく。
 温かいもので心が満たされていく。
 幸せだと心の底から感じる。
 唇が離れる。
 寂しさが心を刺す。
「あっ・・・」
 もっと・・・と言おうとした瞬間、石畳を叩く足音が聞こえる。
「客だ」
 カゲロウは、短く答えて身なりを整える。
「エッガオちゃーん!」
「おはよー!」
「やっほー!」
「来たにゃー!」
 四人組の元気な声が公園中に響き渡る。
 私は、定規のように背筋をピンっと伸ばす。
「い・・・いらっしゃい」
 私は、動揺を隠すことが出来ずに震える声で挨拶する。
 当然、勘の良い四人組は訝しげな顔をして私と左手の指輪を見て・・ニヤァと笑う。
「あれーっなんでそんなに顔が赤いのー?」
 サヤが大好物を見つけたように口元に人差し指を当てて眼鏡越しに私の顔を覗き込む。
「その指輪なあに?」
 ディナが三白眼をいやらしく細める。
「なーんか甘い空気が漂ってるなあ。ひょっとして・・」
 イリーナが面白そうに、そして態とらしく鼻をヒクヒク鳴らす。
「ニャンニャンしてたにゃ?」
 チャコは、満面の無邪気な笑顔で両手を大きく広げた。
 ぼんっ!
 私の頭が羞恥に爆発する。
「いや・・・そそそそそな・・なななな」
 何とか言い訳しようとするが言葉が全く紡げない。
 私は、カゲロウに助けを求めるが苦笑いをを浮かべるだけだ。
 さっき助けてくれるっていったのに・・・。
 四人組は、そんな私の反応を見て明らかに楽しみながら合いの手を打ち出す。
「ニャンニャンニャンニャン!夫婦、夫婦、夫婦、夫婦」
 4人組は、楽しそうに笑いながら私とカゲロウの周りを両手を綺麗に動かして踊り出す。
 私は、羞恥に羞恥が高まって「止めてー!」と叫ぼうとする。
「あら、何がニャンニャンで何が夫婦なのかしら?」
 四人の踊りが止まる。
 空気が氷点下まで下がる。
 私もカゲロウも、四人組も表情を固まらせて声の方を見る。
 穏やかで上品な笑みを浮かべて直立するマダムがそこにいた。
 とても品の良い佇まい。
 なのにそこから溢れる迫力は怒り狂う獣のよう。
 マダムは、穏やかで優しい笑みを浮かべたまま薄く目を光らせる。
「エガオちゃん」
「はいっ・・・」
「お母さん、いつ結婚を許したかしら?」
 その声から発せられる一言一言がこの世のどんな殺意や恐怖を上回っていた。
 私は、カタカタと身体を震わせる。
 マダムの目がカゲロウに向く。
 その目に宿っているのは・・・。
「カゲロウ君」
「はいっ」
「命日は今日でいい?」
 この時、私は命日が指定出来るものなんだと初めて知った。
 四人組は、一目散に走ってスーちゃんの後ろに隠れる。
 スーちゃんもマダムと目を合わせないよう赤い目を震わせて顔を隠す。
 私とカゲロウは、蛇に睨まれた蛙のように動くことが出来なかった。
 その時だ。
「エガオ様・・・」
 その声に私の胸が大きく跳ねる。
 その声はマダムの後ろから聞こえてきた。
 マダムも声に気づいて目の光が薄くなる。
「あら嫌だ。ごめんなさいね」
 マダムは、恥ずかしそうに左の頬を触りながら右に下がる。
 現れたのは薄い水色のブラウスを着た白と黒の水玉模様の浮かんだショートヘアに墨を落としたような黒い鼻の可愛らしい女の子・・。
「マナ・・・」
 私は、声が震えるのを抑えられない。
「エガオ様・・」
 マナの大きな目に涙が溜まっている。
「今日、退院したのよ」
 マダムは、口元に笑みを浮かべてマナの肩に優しく手を置く。
「そして今日からうちで働くことになったの。住み込みで」
 マダムの言葉に私は驚いて目を瞠る。
 マダムの話しによるとマナは現在、執行猶予中の状態らしい。
 騎士崩れに唆されたとはいえマナは自分からは反乱テロに加担し、多くの人を傷つけた。その罪を免れることは出来ない。
 しかし、情状酌量の余地もまた十分にあるとされ、信頼出来る貴族、つまりグリフィン家で奉公と言う名の監視を受けることになったのだ。
「今回の事件は下々にまで起きるであろう要因を予測し、対処しなかった国の失態よ。この子もその犠牲者。その責任は貴族が、大人が取らないといけないの」
 そう言ってマダムは私を見る。
 マダムの目の奥に小さい頃の私の姿が見えた気がした。
 もうニ度と、戦争で苦しむ子どもを作らない。
 そんな決意が感じられた。
「今頃、夫がこの子の罪を軽くしようと孤軍奮闘中よ」
 マダムは、何が可笑しいのか?くすりっと笑う。
「これ以上失敗したら本当に私とエガオちゃんから嫌われちゃうからね」
 そう言って笑うマダムはまるで小悪魔のようであった。
「すげえ」
「旦那を見事に手玉に取ってる」
「これが大人の女・・」
「痺れるにゃあ」
 いつの間にかこちらに戻ってきた4人組が羨望の眼差しでマダムを見る。
「あの・・,エガオ様」
 マナは、ゆっくりと前に進み私の前に立つ。
「この度は本当に申し訳ありませんでした」
 マナは、目を潤ませて深く頭を下げる。
「私・・何も考えもしないでエガオ様に酷いことをしました。痛い思いをさせました。本当に申し訳ありませんでした。私・・・私・・」
 私は、言葉に詰まるマナをそっと抱きしめた。
「貴方が元気ならそれでいいのよ。マナ」
 私が耳元でそう言うとマナは小さく身体を震わせ、泣いた。
「また、いつでもお店に来てね」
 私は、優しくマナの背中を摩った。
 マナは、大きな声で泣いた。
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