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第4章 無敵

無敵(6)

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「あの時・・・私は何も感じなかった」
 マナの両親と思われる騎士達が死んでるのを見ても、メドレーの部下達が死に絶え、苦しんでるのを見ても何とも思わなかった。
 戦場で仲間の命が失われること。
 それはもう私の中の日常であったから。
 私の中にあったのはあの魔法騎士を取り逃したという後悔だけだった。
「あの時・・・私が戦いに夢中になっていなかったら、もっと周りを見ていたら、ううんっそれよりも何よりももっと部下や周りの人たちに意識を向けていたらあの魔法騎士に対してもっと違う対処ができたかもしれない。マナの・・マナの両親が死ぬことはなかったのかもしれない」
 私の目から涙が一筋伝う。
 私がもっと上手く動いていたら、感情を持って動いていたら、マナの両親は死ななかったかもしれない。
 マナは、今も両親と過ごせていたのかもしれない。
 家を奪われることもなかった。
 行方不明になって孤児にもならなかった。
 メドレーでなんて働かずに四人組のように学校に通えて幸せで楽しい生活を送れていたのかも知らない。
「マナの両親を・・・マナの人生を奪ったのは私です」
 私の水色の目から涙が行く筋も頬を伝う。
 頭の中にマナの可愛らしい笑顔が浮かぶ。
 ねえ、マナ。
 貴方は何を想ってそんなに笑えていたの?
 手から温もりが消える。
 その変わりに首筋辺りからカゲロウの両腕が伸びてきてぎゅっと私を抱きしめる。
 私は、息を飲む。
 優しい温もりが首筋と背中を通して伝わる。
 静まり返って冷たくなっていた私の心臓が再び激しく高鳴りだす。
「お前は悪くない」
 カゲロウの声が耳朶を打つ。
「えっ?」
 私は、思わず声を漏らす。
「お前はお前のやれることをやったんだ。お前が背負いこむ必要なんてない」
 その声は、その言葉は清水が真綿に染み込むように私の心に入り込んでくる。
 私は、身体が震えるのを止めることが出来ない。
 そんな私の身体をカゲロウは、さらに強く、優しく抱きしめる。
「お前が・・生きててくれてよかった」
 その瞬間、私の心は、堰が崩れたように感情が溢れかえった。
 マナへの想い、葛藤、懺悔。
 そしてマナの両親を死なせて自分だけが生き残ってしまった後悔。
 それらの私の思いをカゲロウの言葉が1つ1つを救ってくれる。
 私に生きてていいんだ、と思わせてくれる。
 私は、自分を抱きしめる彼の手にそっと自分の手を重ねた。
 地鳴りがする。
 草原が痺れるように震え、黄金牛タウロス達が一斉に顔を上げて同じ方向を向く。
 私とカゲロウも同じ方向を見る。
 小山のように大きな、歪に曲がった2本の角を携えた黄金牛タウロスがそこに立っていた。
 大きな目を怒りに激らせ、岩のような黒い鼻から突風のような熱い鼻息を漏らして興奮し、巨大な蹄で地面を何度も抉り、黒い土を掻き出す。
 その足元には小さな黄金牛タウロスが何十匹も絡みつくように歩いている。
 黄金牛タウロスの雄だと直ぐに分かった。
 そして私たちに対して燃えて灰になるような怒りを向ける。
 自分の率いる群れの中に入り込んだ異物に敵意と殺意を剥き出している。
「カゲロウ」
 私は、カゲロウの手をはそっと剥がすと草の上に沈めた大鉈を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。
「下がってて」
 私は、革の鞘を外し、コの字に曲がった柄を伸ばす。
 濡れたような銀色の刃が揺らめき、戦乙女ワルキューレの彫られた黄金のカバーが煌めく。
 私は、切先を雄に向ける。
 私から放たれる気迫を感じ取り、雄は低い唸り声を上げ、身を低く構え、鋭い角の先端を私に向ける。
 あの角で刺されたら私の板金鎧プレートメイルなど紙のように破れることだろう。
 私は、大鉈を構えながら戦略を考える。
 いかに相手の命を奪わずに倒すことが出来るかを考える。
 四肢を砕いて動きを封じる。
 二本の角を破砕し、頭蓋を叩きつける。
 心臓に衝撃を与えて一時的に仮死状態にする。
 様々な戦略が浮かぶがそのどれもが至難の技だ。
 命を奪わずに戦うと言うことがこんなにも難しいものだなんて思わなかった。
 でも・・・やらないと!
 もうこの手を決して穢さないと決めたのだ。
 そして・・・この人を絶対に傷つけさせはしない!
 私は、大鉈を地面に擦れるくらいまで低く構える。
 狙いは前足!そして次に後ろ足!
 雄も私の考えを読み取ったようにさらに身を低く構える。
 私は、大地を蹴り上げ、飛び掛かる。
「いやあ!悪い悪い!」
 背後から緊迫した空気に水をかけるような場違いな明るい声が飛ぶ。
 カゲロウだ。
 私は、飛び出しかけた足を止める。
 雄も驚いたように目を剥く。
 カゲロウは、鳥の巣のような髪を掻きながら私の横を通り過ぎ、雄へと歩み寄っていく。
「カゲロウ!」
 私は、声を張り上げて彼の名を呼ぶ。
 カゲロウは、歩みを止め、私の方を向くと唇に人差し指を立てて静かにするようにジェスチャーした。
 カゲロウは、ゆっくりとゆっくりと雄への近寄る。
 雄は、怒りとった目でカゲロウを睨むも何故か角を突きつけようとも脚で蹴り上げようともしない。
 敵意がないから?
 殺意がないから?
 カゲロウの背中からは戦場に必ずある恐怖も怒りも敵意も殺意もない。
 いつも通りのぶっきらぼうで優しいカゲロウのまま歩み寄っていく。
 そして気がつけば雄の鼻先までその身を近づけていた。
「貴方の奥さんからミルクを分けてもらった」
 そう言うとカゲロウは、ゆっくりと頭を下げる。
「感謝する」
 その瞬間、蝋燭に息を吹きかけたように雄の目から怒りが消えた。
 私は、驚きを隠すことが出来ず、目を大きく開ける。
「お礼といっては何だが栄養価の高い藁を用意してきた。育ち盛りの子ども達に食べさせてやってくれ」
 雄がゆっくりと岩のような黒い鼻を彼に近づける。
 鼻息が彼の髪と服を波立たせる。
 赤く長い舌が伸び、その先がカゲロウの頬に触れる。
「・・・ありがとう」
 カゲロウは、唇の端を吊り上げ、雄の鼻先を撫でる。
 私は、何を見ているのだろう。
 ついさっきまでどちらかの命が無くなるか動けなくならないと終わる事のない敵意がこの場を支配していた。
 少なくても今まで私が経験してきた戦場はそうであった。
 それなのに消えた。
 口に入れて咀嚼するように敵意が消えた。
 私の戸惑いを感じたかのようにカゲロウが私の方を振り返る。
 カゲロウは、優しく笑みを浮かべる。
 胸がとくんっと高鳴る。
 私も・・私もいつかあんな風になれるのだろうか?
 穢れなんてものから縁遠い、彼のような存在に。
 無敵の存在に。
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