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第3章 デート

デート(5)

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 オーク材で造られたアーチ型の品の良いドアに備え付けられたモザイクのガラスから灯りが漏れている。
 カゲロウは、真鍮の取手を握りゆっくりとドアを開けると橙色の優しい灯りの賑やかな声が飛んでくる。
 豪奢ではないが思わず目を引いてしまうシャンデリアの電灯、磨かれたようなドアと同じオーク材の屋根と床、汚れ一つないテーブルクロスを掛けられた沢山のテーブルにそれを埋め尽くすたくさんの人、そして料理を持って動き回る黒いタキシードを着たスタッフ達。
 まるで違う世界に迷い込んでしまったかのような空間に私は圧倒される。
 テーブルに着いたスーツやドレスを着た客達は運ばれてきた豪奢な料理に目を輝かせ、フォークとナイフ、そしてスプーンを器用に駆使して口に運んでいた。
 私は、あまりに場違いな雰囲気にカゲロウの後ろに隠れてしまう。
 タキシードを着た白い髪をオールバックにした男性スタッフが私達に近寄ってくる。
「ご来店ありがとうございます」
 スタッフは、深々と頭を下げる。私がキッチン馬車でする挨拶なんかよりも遥かに丁寧で柔らかい。
「当店は初めてでございましょうか?」
 スタッフの質問にカゲロウは、小さく頷く。
「テラス席空いてる?この娘が賑やかなのが苦手なんだ」
 カゲロウが言うとスタッフはカゲロウの背中に隠れている私を見る。
 顔は動かさず視線だけを動かしている。
 なんか値踏みをされているようでわたしはさらに縮こまる。
 しかし、スタッフはただ優しく微笑み、「ご案内します」と右手を前に差し伸べて歩き出した。
 その後をカゲロウが歩き、私はさらにその後ろを付いて行く。他の客やスタッフ達が案内される私達を興味深げに見る。確かに鎧と大鉈を持った女がこんな上品な店の中を歩いていたら目を引くだろう。
 ガラス張りの扉を抜けると店の中にあるものよりいくらか小さなテーブルが置かれ、観葉植物がところ狭しと並べられ、白い柵に囲まれた屋外へと出る。
 これがテラス席か。
 柵の向こうは街道となっているが観葉植物が壁となっていてあちらからは見えない。
 私達は、空いている席に座るとスタッフがお水とメニューが運ばれてくる。
 私は、緊張した面持ちでメニューを開き、絶望する。
 その様子に気づいたカゲロウが口元を釣り上げて「一緒に見るか」と言ってくれた。
 カゲロウは、メニューを上から一つ一つ丁寧に読んでくれる。しかし、メニューを聞いても"〇〇海の△△仕立て"とか"季節の⬜︎⬜︎三種盛り"とかまるで想像が出来ないがカゲロウがその料理がどんな物かゆっくりと説明してくれ、悩んだ結果、鶏肉と野菜のパスタとパン、そして紅茶にした。
 スタッフは、「畏まりました」と和かに微笑んで去っていく。
 私は、気持ちを落ち着けようと氷の浮かんだ水を口にする。
「悪いな。無理やり誘っちまって」
 カゲロウがそう言って頬を掻く。
「新しい店が出来たって聞いて一度敵情視察で来て見たかったんだけど流石に1人はハードルが高くてな」
 そう言って苦笑いを浮かべる。
 確かにこんな豪奢で上品な店に1人で来て遜色ないのはマダムくらいだろう。
「今日は、賄いも作ってやれなかったから夕飯代わりと思って付き合ってくれ」
 夕飯・・・。
 喉通るかな?
 そうこう悩んでるうちにメニューがやってくる。
 私の前にはパスタとパンと紅茶。
 カゲロウの前には大きなステーキが置かれる。
 私達は、頂きますと手を合わせて食事を口にする。
 スタッフがパンはオリーブオイルにつけてお食べくださいと言われたのでそれに従い、食べてみるが・・。
「無理しなくていいぞ」
 私の顔を見て察したのか、カゲロウが優しく声をかけてくれる。
 私は、こくんっと素直に頷く。
 大人の味は私にはまだ早かったようだ。
 パスタは、トマト風味で酸味の効いたソースと野菜の甘味が上品に口に広がる。パスタとの相性もバッチリだ、鶏肉も肉汁が噛めば噛むほど出てくる。
 紅茶も澄み切って濁りなく舌を通る。
 この全ての味を総評するなら間違いなく美味・・なのだろう。なのだろうが・・・。
「どうした?」
 私の様子に気づいてカゲロウがフォークを動かす手を止める。
「ひょっとして・・・口に合わなかったか?他の物頼むか?」
 カゲロウが心配そうに声を掛けてくる。
 私は、首を横に振る。
「ううんっ美味しいです。とてもとても美味しいです」
 私の言葉にカゲロウは、訳が分からず顎に皺を寄せる。
「でも・・・」
 私は、両手を組んで指を揉むように絡ませる。
「カゲロウの作るご飯の方が美味しいです」
 私がそう口にするとカゲロウの頬が炙られたように赤くなる。
 カゲロウは、珍しく肩を縮ませて左に顔を背ける。
「あ・・・ありがとう」
 ぼそりと呟く。
 その様子がとても可愛らしく見えた。
 それから私達は食事を食べ終え、スタッフが私に紅茶のおかわりとカゲロウにコーヒーを運んでくる。
 私は、紅茶に口に付けるとカゲロウが口を開く。
「何を悩んでるんだ?」
 カゲロウの言葉に私はカップから口を離す。
「前の上司のおっさんが来てからずっと悩んでるだろう?」
 私は、心臓が大きく高鳴るのを感じた。
 何で分かったのだろう?
 そんなに分かりやすく顔に出てた?
 私は、思わず自分の頬を触る。
 カゲロウは、そんな私の姿を見て苦笑する。
「メドレーだっけ?そこに戻りたくなったか?」
 カゲロウの問いに私は、直ぐに答えることが出来なかった。
 私は、紅茶のカップを置き、自分の両手を見る。
「私は・・・必要ですか?」
 私の質問にカゲロウは、顎に皺を寄せる。
「私は愛想良く笑うことが出来ません。エガオって名前の癖に笑うことが出来ません。学もないから常識も知らないし、計算も出来ないし、字だって簡単なものしか読めません」
「別に気にしてない。常識も文字も計算もこれから覚えればいい。慌てる必要なんてない。顔も・・前に比べれば穏やかだ」
 最後の方は少し恥ずかしげに言う。
「それに・・・私の手は穢れています」
 私は、きゅっと両手を握る。
「国の為と言いながらたくさんの人をこの手で傷つけてきました。血だってたくさん浴びてきました。命だって・・・。そんな私がそんな私が・・・」
 水色の目から自然に涙が溢れ、紅茶とテーブルクロスの上に落ちる。
「あんな綺麗で輝かしい場所にいていいんでしょうか?必要とされるんでしょうか?」
 あそこには血の匂いなんてない。
 敵意も殺意もない。
 あるのは美味しいご飯に明るい日差し、そして眩しいくらいに優しい人たち・・・。
 そんなところに・・そんなところに・・・。
「本当に私はいていいの?」
 私は、気がついたら泣いていた。
 自分でも何が悲しくて泣いているのか分からなかった。
 ただ、涙が溢れて止まらなかった。
 スタッフが私が泣いていることに気づき狼狽出す。
 カゲロウは、顎に皺を寄せたまま私を見る。
「エガオ・・・俺は・・」
 カゲロウが何かを言いかけた時だ。
 街道から女性の悲鳴が聞こえた。
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