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2章
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竹に見送られたアマテラスは、第六感に引っかかる気配を感じ、神経を集中させた。
冬特有の乾いた冷たい風が肌に突き刺さるようだ。
風で竹の枝や葉の擦れ合った音が自然の楽器となっている。
その風の中で1人、精霊の気配を感じた。1ヶ所に留まったまま、動こうとしない。
彼女はまっすぐに竹の間を突っ切っていく。かき分けないと通れないような密集した場所でもするすると。竹が彼女に当たらないよう、避けていた。
彼女は和服ドレスといういかにも動きにくそうな服装からは考えられないほど、素早かった。
かすかだった精霊の気配は濃くなり、この辺りだと確信した瞬間に見つけた。────3年ぶりに会う、萌黄色の髪の娘。花巻山の麓だ。
彼女は故郷で過ごしていた時と何もかもが違った。
髪にリボンをつけている所も、和服でないところも。
そして、地べたで倒れ、左手の薬指が血で真っ赤に染まっている所も。
アマテラスは目を見開いたが声を上げることはせず、横たわる麓に駆け寄った。
背中に手をやると、かすかに上下している、息はある。
(よかった…他の精霊ならいざ知らず、麓だけはちとまずいからの────特に流血は)
アマテラスは安堵した表情で、麓のことを軽々と肩に担ぎあげた。細く小さな身体からは考えられないほどの力量だ。
彼女は麓もろとも、その場から消えた。
しばらく前のこと。麓は傷のことは気にせずに歩き進んでいた。
吹き荒れた風で髪の毛が舞い上がり、それを耳にかきあげた所で気がついた。左手の薬指から血が流れていることに。手を上げた拍子に血は滴り、地に落ちた。
こんなに流血したことはない。軽い傷のつもりだったんだけどな、と訝しんだ。だが、あれこれ考えるより止血するのが先だ。
麓は右手だけでバッグからバンソウコウを取り出そうとした。
しかし、途端にフラついて意識を失い、落ち葉の上に倒れ込んだ。
(…あれ。私────)
目をうっすらと開けると、見慣れた自分の部屋の天井が広がった。
(なんで? さっきまで竹さんの所にいて…あっ)
麓はベッドの上で身を起こし、毛布の中から左手をゴソゴソと出した。
薬指の付け根にはガーゼが少しキツ目に巻かれ、バンソウコウが貼られている。
コンコン、とノックが聴こえドアが開いた。そこには神妙な面持ちの寮長が、湯飲みを載せたお盆を持って立っている。
「麓様、お目覚めになりましたか?」
「はい…あの、なんで私はここに」
「それは────この方に説明して頂きましょう」
「…この方?」
麓が首をかしげると寮長はうなずき、一歩退いて頭を下げた。
急に恭しい態度を取った意味が理解できずに、麓は怪訝な顔でドアの先を見つめた。
そこへ現れたのは、麓も一緒になって頭を下げるべき相手だった。
「ひさしぶりじゃの、麓」
「あ…アマテラス様!? お久しぶりです…」
麓は慌てて蒲団から出ようとしたが、アマテラスがそれを制した。
「よいよい。ぬしはそのまま安静にしていなさい。急に立ち上がったら身体が悲鳴を上げてしまう」
「そんなことはありません。私は至って健康そのものです」
「もし、本当にそうだとしたら、わしは竹藪でぬしに会っておらぬぞ」
「…どういうことですか?」
「実はわしは、あの竹藪に住む精霊に会ってな、その帰りに見つけたのじゃ。指から血を流して倒れているぬしを…」
その間に寮長は椅子を2つ用意し、サイドテーブルも持ってきて湯飲みを置いた。
アマテラスが湯飲みを取って一口含んだ。その姿は少女でありながら、気品にあふれる動作だった。姿勢をしゃんと伸ばし、湯飲みの底に手を添え、目を伏せていた。
「なぜあのような場所にいたのじゃ?」
「竹さんに会いに行きました」
「ほう。ぬしら、知り合いじゃったか」
「いえ、そういうわけではなくて。震さんのことを知りたくて、お邪魔しました」
アマテラスと寮長の顔に緊張が走った。アマテラスはすぐにそれを消したが、寮長は斜め下へ目を伏せた。
「そうか…震のことを…彼女はアホに結晶化された哀れな精霊の1人じゃ」
「え? あの…アホって」
「決まっておる。零のことじゃ。凪がバカなら零はアホ」
「そうですか…」
凪のバカ呼ばわりはどうやらアマテラスも、らしい。彼女は精霊の中の手練れのことをケロッと軽くけなした。
さすがはアマテラス。全知全能の彼女にとって、あの零や凪ですら蟻のようにちっぽけな存在なのかもしれない。
「それよりどうじゃ? 学園での生活は。長いこと入学しなかったことを後悔しているじゃろう」
「うっ…おっしゃる通りです…とても楽しくて、皆さんによくしてもらっています」
「そっかそっか。よかったのう」
アマテラスはにこりとほほえむ。
話題を変えられて違和感があるが、彼女のひだまりの笑顔を見ると、まぁいいかと気が変わる。
寮長も話を合わせてなのか、曖昧にほほえんでいた。
「風紀委員はどうじゃ? 野郎ばっかりじゃが」
「大丈夫です。皆さん、お優しくて。それに寮長さんがいらっしゃるので心強いです」
「ん? …あぁ。そうか」
「どうなさいましたか?」
「いや…寮長のことを忘れておった。こやつは並より強いからの。凪に向かってヘアピンを投げつけるくらいじゃから、あんまり女子だと意識しt」
「アマテラス様?」
声にぞっとする冷気が含まれている。そんな声を出せるのはこの場に1人しかいない。
麓とアマテラスは顔を見合わせてから同時に視線を移動させた。
そこに静かにたたずんでいるのは寮長だ。
彼女は顔はにこやかではあるが、よく見ると頬が引きつっている。
「私はまぎれもなく女ですわよ? アマテラス様でも容赦致しませんが…一戦交えますか?」
「す…すまぬ」
アマテラスは大きな瞳に涙をためながら謝った。完璧に思われがちの彼女だが、この寮長の殺気と怒気が含まれた空気にふれると震えだす。
関係ない麓でも顔を青ざめさせてしまうほどの空気を作り出した寮長は、神相手でも態度を変えることはないらしい。
「…おっほん。麓よ、野郎どもに口説かれてはおらんかのう?」
「口説かれ…たまに戸惑う行動をとられることはあります。特に扇さんと霞さんが」
「あの教師コンビか。仕方ないヤツらじゃのう」
「麓様が来てからというもの皆様が────お分かりになりますでしょ?」
「なるほどな。うむ、分かったぞ」
寮長とアマテラスだけがうなずき合っていて、麓は置いてけぼりをくらった気分だ。
「だがあの2人に振り向くことなんて、あるかのう…?」
「ないと思いますわ。麓様には他にもっといい、精霊が見つかりますわ」
「ほーう…? それはそれで楽しみじゃのう」
「アマテラス様、子どもの成長を喜ぶ母親の目線になっていらっしゃいますわ」
ホホホ…と楽しそうに笑い合うアマテラスと寮長。麓は話の内容についていけず、黙ってお茶を飲みながら2人の顔を交互に見た。
そこで突然、アマテラスが麓のことを見た。
「────だから麓。左手の薬指を大切にするのじゃぞ」
「…? どういうことですか?」
「そういうことじゃ」
「…よく分かりません」
「その内分かるようになるぞ」
アマテラスは意味ありげにニンマリと笑った。隣で寮長もクスクスと楽しそうに笑っている。
「はっきり教えて下さい…。あ、でも指は大事ですよね」
ごく当たり前のことを言ったのに、アマテラスと寮長は腹を抱えて笑った。
冬特有の乾いた冷たい風が肌に突き刺さるようだ。
風で竹の枝や葉の擦れ合った音が自然の楽器となっている。
その風の中で1人、精霊の気配を感じた。1ヶ所に留まったまま、動こうとしない。
彼女はまっすぐに竹の間を突っ切っていく。かき分けないと通れないような密集した場所でもするすると。竹が彼女に当たらないよう、避けていた。
彼女は和服ドレスといういかにも動きにくそうな服装からは考えられないほど、素早かった。
かすかだった精霊の気配は濃くなり、この辺りだと確信した瞬間に見つけた。────3年ぶりに会う、萌黄色の髪の娘。花巻山の麓だ。
彼女は故郷で過ごしていた時と何もかもが違った。
髪にリボンをつけている所も、和服でないところも。
そして、地べたで倒れ、左手の薬指が血で真っ赤に染まっている所も。
アマテラスは目を見開いたが声を上げることはせず、横たわる麓に駆け寄った。
背中に手をやると、かすかに上下している、息はある。
(よかった…他の精霊ならいざ知らず、麓だけはちとまずいからの────特に流血は)
アマテラスは安堵した表情で、麓のことを軽々と肩に担ぎあげた。細く小さな身体からは考えられないほどの力量だ。
彼女は麓もろとも、その場から消えた。
しばらく前のこと。麓は傷のことは気にせずに歩き進んでいた。
吹き荒れた風で髪の毛が舞い上がり、それを耳にかきあげた所で気がついた。左手の薬指から血が流れていることに。手を上げた拍子に血は滴り、地に落ちた。
こんなに流血したことはない。軽い傷のつもりだったんだけどな、と訝しんだ。だが、あれこれ考えるより止血するのが先だ。
麓は右手だけでバッグからバンソウコウを取り出そうとした。
しかし、途端にフラついて意識を失い、落ち葉の上に倒れ込んだ。
(…あれ。私────)
目をうっすらと開けると、見慣れた自分の部屋の天井が広がった。
(なんで? さっきまで竹さんの所にいて…あっ)
麓はベッドの上で身を起こし、毛布の中から左手をゴソゴソと出した。
薬指の付け根にはガーゼが少しキツ目に巻かれ、バンソウコウが貼られている。
コンコン、とノックが聴こえドアが開いた。そこには神妙な面持ちの寮長が、湯飲みを載せたお盆を持って立っている。
「麓様、お目覚めになりましたか?」
「はい…あの、なんで私はここに」
「それは────この方に説明して頂きましょう」
「…この方?」
麓が首をかしげると寮長はうなずき、一歩退いて頭を下げた。
急に恭しい態度を取った意味が理解できずに、麓は怪訝な顔でドアの先を見つめた。
そこへ現れたのは、麓も一緒になって頭を下げるべき相手だった。
「ひさしぶりじゃの、麓」
「あ…アマテラス様!? お久しぶりです…」
麓は慌てて蒲団から出ようとしたが、アマテラスがそれを制した。
「よいよい。ぬしはそのまま安静にしていなさい。急に立ち上がったら身体が悲鳴を上げてしまう」
「そんなことはありません。私は至って健康そのものです」
「もし、本当にそうだとしたら、わしは竹藪でぬしに会っておらぬぞ」
「…どういうことですか?」
「実はわしは、あの竹藪に住む精霊に会ってな、その帰りに見つけたのじゃ。指から血を流して倒れているぬしを…」
その間に寮長は椅子を2つ用意し、サイドテーブルも持ってきて湯飲みを置いた。
アマテラスが湯飲みを取って一口含んだ。その姿は少女でありながら、気品にあふれる動作だった。姿勢をしゃんと伸ばし、湯飲みの底に手を添え、目を伏せていた。
「なぜあのような場所にいたのじゃ?」
「竹さんに会いに行きました」
「ほう。ぬしら、知り合いじゃったか」
「いえ、そういうわけではなくて。震さんのことを知りたくて、お邪魔しました」
アマテラスと寮長の顔に緊張が走った。アマテラスはすぐにそれを消したが、寮長は斜め下へ目を伏せた。
「そうか…震のことを…彼女はアホに結晶化された哀れな精霊の1人じゃ」
「え? あの…アホって」
「決まっておる。零のことじゃ。凪がバカなら零はアホ」
「そうですか…」
凪のバカ呼ばわりはどうやらアマテラスも、らしい。彼女は精霊の中の手練れのことをケロッと軽くけなした。
さすがはアマテラス。全知全能の彼女にとって、あの零や凪ですら蟻のようにちっぽけな存在なのかもしれない。
「それよりどうじゃ? 学園での生活は。長いこと入学しなかったことを後悔しているじゃろう」
「うっ…おっしゃる通りです…とても楽しくて、皆さんによくしてもらっています」
「そっかそっか。よかったのう」
アマテラスはにこりとほほえむ。
話題を変えられて違和感があるが、彼女のひだまりの笑顔を見ると、まぁいいかと気が変わる。
寮長も話を合わせてなのか、曖昧にほほえんでいた。
「風紀委員はどうじゃ? 野郎ばっかりじゃが」
「大丈夫です。皆さん、お優しくて。それに寮長さんがいらっしゃるので心強いです」
「ん? …あぁ。そうか」
「どうなさいましたか?」
「いや…寮長のことを忘れておった。こやつは並より強いからの。凪に向かってヘアピンを投げつけるくらいじゃから、あんまり女子だと意識しt」
「アマテラス様?」
声にぞっとする冷気が含まれている。そんな声を出せるのはこの場に1人しかいない。
麓とアマテラスは顔を見合わせてから同時に視線を移動させた。
そこに静かにたたずんでいるのは寮長だ。
彼女は顔はにこやかではあるが、よく見ると頬が引きつっている。
「私はまぎれもなく女ですわよ? アマテラス様でも容赦致しませんが…一戦交えますか?」
「す…すまぬ」
アマテラスは大きな瞳に涙をためながら謝った。完璧に思われがちの彼女だが、この寮長の殺気と怒気が含まれた空気にふれると震えだす。
関係ない麓でも顔を青ざめさせてしまうほどの空気を作り出した寮長は、神相手でも態度を変えることはないらしい。
「…おっほん。麓よ、野郎どもに口説かれてはおらんかのう?」
「口説かれ…たまに戸惑う行動をとられることはあります。特に扇さんと霞さんが」
「あの教師コンビか。仕方ないヤツらじゃのう」
「麓様が来てからというもの皆様が────お分かりになりますでしょ?」
「なるほどな。うむ、分かったぞ」
寮長とアマテラスだけがうなずき合っていて、麓は置いてけぼりをくらった気分だ。
「だがあの2人に振り向くことなんて、あるかのう…?」
「ないと思いますわ。麓様には他にもっといい、精霊が見つかりますわ」
「ほーう…? それはそれで楽しみじゃのう」
「アマテラス様、子どもの成長を喜ぶ母親の目線になっていらっしゃいますわ」
ホホホ…と楽しそうに笑い合うアマテラスと寮長。麓は話の内容についていけず、黙ってお茶を飲みながら2人の顔を交互に見た。
そこで突然、アマテラスが麓のことを見た。
「────だから麓。左手の薬指を大切にするのじゃぞ」
「…? どういうことですか?」
「そういうことじゃ」
「…よく分かりません」
「その内分かるようになるぞ」
アマテラスは意味ありげにニンマリと笑った。隣で寮長もクスクスと楽しそうに笑っている。
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