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昔話2 弘の話
ποτνια θηρων 4
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「最初に僕がロビンに異界の犬って訊いた通り、一応、基本は犬に関係する怪異だよ。折角、犬の形をした犬神なんだから、それを利用しないなんてもったいないことはしない」
犬は世界に広く分布する動物であり、親疎で言えば、その全てが人に親しい。
それ故に、そのあらゆる面はあらゆる文脈で一定の安定性がある。
「教会の怪物は夜の墓場に現れるとされる犬の姿の怪異で、黒妖犬は夜に出会うと死ぬと言われる黒犬の怪異。シャーロック・ホームズの『バスカヴィル家の犬』の元ネタと言うとわかりやすいかな。ただ、地域によって伝承に揺れがあって、旅人を守る黒妖犬の話もある」
「守ってくれるのも同じ種類の怪異ではあるんですね」
「まあ、日本の送り犬みたいなもんじゃない? あれは転んだり、礼を欠かさなければ、人を家まで送って帰る妖怪だから」
送り犬は日本の各地に伝わる怪異の伝承である
曰く、夜に山を歩いていると、いつの間にか犬がついてくる。家に着くまでに転んでしまうとこの犬に襲われるが、無事に家に着いてから履いていた草履や握り飯をやったり、礼を伝えると帰っていくという。
「妖精犬は妖精達の犬、犬の妖精のこと。妖精猫の方が日本だと有名だけど、その犬版」
「ケット・シーって、そういうものだったんですか……」
何で知ったのかはわからないけど、妖精猫という語は知っていたらしい。
弘は愕然として、そっかあ、と呟いた。
「地獄の猟犬も黒妖犬に近いけど、実際にはその更に上位概念に当たるかな」
「上位概念、ですか?」
「……ああ、そうか、そうだね、骨かじる者、アンヌヴンの猟犬、ブラック・シャックにバーゲスト。これらは善き隣人や『ファウスト』のメフィストフェレスみたいに悪魔として人の魂を奪う犬の姿もある怪物」
やっぱりロビンって僕の隣にいるから霞んでるだけなのでは、と思いつつ頷く。
「そして、おそらくその原形には、北欧神話の冥界ヘルヘイムの番犬ガルムやギリシャ神話の冥府の番犬ケルベロス……つまるところ、その根底にあるのは死者の肉体を喰らい、魂を肉の檻から開放する犬というイメージ。鳥葬ではそれが鳥で代替されるわけだね。ああ、ギリシャ神話の冥界の神といえばハーデースではあるけど、同じく冥界と月と魔術の女神ヘカテーは犬を従えて、いる、とも……」
「センセイ?」
ふと過ぎった考えを追いかけて、舌が止まる。
これいけるんじゃないかな。
「……ヘカテーは、所謂地母神の負の側面を濃縮還元したような女神だ」
「の、濃縮還元?」
「うん。地母神の正の側面は、生むもの、育むもの、母なる大地と豊かなる穣りを人界に齎す神秘からの門、偉大なる母。負の側面は、熟した後の腐敗、育って後の衰え。弥復ちに尽きて満つ月、人の業を超えた尋常ならざる母体という神秘の域、すなわち夜と死を領分とする側面、恐ろしき母。冥界に属し、魔術という神秘を統べ、月としての顔を持つヘカテーはこの負の側面と言える」
様子を窺うような二人の視線が突き刺さる。
「ヘカテーのシンボルには狼や犬が含まれ、後の世にはむしろヘカテー自身が犬の顔を持つなどと言われる。これには三叉路の女神として、三方三面三体のヘカテー像で構成されたヘカタイオンと呼ばれる柱から転じての三面六臂的解釈発生の余地とキリスト教の排他的傾向から付与されたと考えられる異形性ではあるが、その実恐ろしき母という本質を表すに最適な……いや、違う、それの重視は先じゃない、シンボルが先だ」
そう言って自然と俯けていた顔を上げると、困惑と驚愕の間に位置する表情をした弘と、諦め半分の表情をしたロビンが視界に入った。
犬は世界に広く分布する動物であり、親疎で言えば、その全てが人に親しい。
それ故に、そのあらゆる面はあらゆる文脈で一定の安定性がある。
「教会の怪物は夜の墓場に現れるとされる犬の姿の怪異で、黒妖犬は夜に出会うと死ぬと言われる黒犬の怪異。シャーロック・ホームズの『バスカヴィル家の犬』の元ネタと言うとわかりやすいかな。ただ、地域によって伝承に揺れがあって、旅人を守る黒妖犬の話もある」
「守ってくれるのも同じ種類の怪異ではあるんですね」
「まあ、日本の送り犬みたいなもんじゃない? あれは転んだり、礼を欠かさなければ、人を家まで送って帰る妖怪だから」
送り犬は日本の各地に伝わる怪異の伝承である
曰く、夜に山を歩いていると、いつの間にか犬がついてくる。家に着くまでに転んでしまうとこの犬に襲われるが、無事に家に着いてから履いていた草履や握り飯をやったり、礼を伝えると帰っていくという。
「妖精犬は妖精達の犬、犬の妖精のこと。妖精猫の方が日本だと有名だけど、その犬版」
「ケット・シーって、そういうものだったんですか……」
何で知ったのかはわからないけど、妖精猫という語は知っていたらしい。
弘は愕然として、そっかあ、と呟いた。
「地獄の猟犬も黒妖犬に近いけど、実際にはその更に上位概念に当たるかな」
「上位概念、ですか?」
「……ああ、そうか、そうだね、骨かじる者、アンヌヴンの猟犬、ブラック・シャックにバーゲスト。これらは善き隣人や『ファウスト』のメフィストフェレスみたいに悪魔として人の魂を奪う犬の姿もある怪物」
やっぱりロビンって僕の隣にいるから霞んでるだけなのでは、と思いつつ頷く。
「そして、おそらくその原形には、北欧神話の冥界ヘルヘイムの番犬ガルムやギリシャ神話の冥府の番犬ケルベロス……つまるところ、その根底にあるのは死者の肉体を喰らい、魂を肉の檻から開放する犬というイメージ。鳥葬ではそれが鳥で代替されるわけだね。ああ、ギリシャ神話の冥界の神といえばハーデースではあるけど、同じく冥界と月と魔術の女神ヘカテーは犬を従えて、いる、とも……」
「センセイ?」
ふと過ぎった考えを追いかけて、舌が止まる。
これいけるんじゃないかな。
「……ヘカテーは、所謂地母神の負の側面を濃縮還元したような女神だ」
「の、濃縮還元?」
「うん。地母神の正の側面は、生むもの、育むもの、母なる大地と豊かなる穣りを人界に齎す神秘からの門、偉大なる母。負の側面は、熟した後の腐敗、育って後の衰え。弥復ちに尽きて満つ月、人の業を超えた尋常ならざる母体という神秘の域、すなわち夜と死を領分とする側面、恐ろしき母。冥界に属し、魔術という神秘を統べ、月としての顔を持つヘカテーはこの負の側面と言える」
様子を窺うような二人の視線が突き刺さる。
「ヘカテーのシンボルには狼や犬が含まれ、後の世にはむしろヘカテー自身が犬の顔を持つなどと言われる。これには三叉路の女神として、三方三面三体のヘカテー像で構成されたヘカタイオンと呼ばれる柱から転じての三面六臂的解釈発生の余地とキリスト教の排他的傾向から付与されたと考えられる異形性ではあるが、その実恐ろしき母という本質を表すに最適な……いや、違う、それの重視は先じゃない、シンボルが先だ」
そう言って自然と俯けていた顔を上げると、困惑と驚愕の間に位置する表情をした弘と、諦め半分の表情をしたロビンが視界に入った。
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