勇気をください。

橘 志摩

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31.決意と勇気

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 考える時間をもらったのは、自分に勇気がないせいだ。
 月村さんの言葉を信じてるし、ちゃんと、私が私自身で答えを出して、一歩踏み出して変わる勇気をしたと言ったら、彼は本当にその手伝いをしてくれるのだろう。

 それがわかったから、わかったからこそ、怖気づいた。
 今、自分が変わることに躊躇していてはこの先も変われないだろうと思う。きっと月村さんが言うようにこれはチャンスなんだろう。

 変われたつもりで変われてなかった。そんなことは十分に自覚していて、この先ちゃんと自分自身で前を見て生きて行きたいと望むなら、彼の提案に乗っかるべきなんだ。

 わかっているのに、頷けずに迷うのは、怖い。
 私が変わることで、月村さんとの関係も変わってしまうことが、とても怖い。

 彼の傍にいられなくなることも怖いけれど、変わった後の私を見て、月村さんがその関係を変えてしまうのがとても怖いのだ。

 だけど春花は言った。私は何かのとっかかりを見つけてるはずだと。
 津田島さんは私が気持ちに鈍感なのかなと不思議そうだった。

 私は何かに気がついているはずなのに、気がついていないのだろうか。

 月村さんのことは、守りたい。ずっと一緒にいたい。そう思うけれど。

 家で一人、体育座りをしたまま深い溜息をついてしまう。
 生きていくには難しいことばかりで、決断を迫られることが幾度もある。それはある意味知識として知っていたけれど、いざこんなふうに迫られると決断することがとても苦しい。

 私が勇気を出すべきなんてわかってる。
 わかってるけど、怖い。
 こんなふうに、いつまでもうじうじしてたって仕方ないのもちゃんと理解してる。
 それでも、勇気が出せない。

 自分に何が足りないのか、もう少しで届きそうなのに指先ひとつ分届かなくて捕まえられない。

 勇気が足りないせいでそこに届かないのだというなら、勇気が欲しいと心からそう思った。

 それを認めるだけの、勇気をくださいと、誰かに切実に頼み込みたかった。

 恋愛感情なんて知らない。
 恋する女の子の気持ちなんてわからない。

 ヤキモチを焼く女の子の感情なんて、経験したことがないのだから理解できない。

 誰かを、―――月村さんを、他の女の子に取られたくないという感情だけは、理解できないのに、私は理解しているような気がした。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 その日もなんとか仕事をこなして、退社をタイムカードに打刻した。
 口をついて溢れるのはため息ばかりだ。
 仕事中もいまいち集中できなくて、凡ミスばかりが増えてしまう。この状況はよろしくないと思うが、どうにも解消できないでいる。

 早く決断しなければと気持ちだけが逸って、結局何も決められていない。
 あれからもう2週間。月村さんはいつもと変わらず、私がメールを送れば返事をくれるし、遊びにだって誘ってくれる。
 会っている間も、そうでない時も、私に答えを迫って来ることはない。気持ちが整うまで待ってくれているのだろう。
 そんな優しさが嬉しいのに、心のどこかでは強引にことを運んでくれたらいいのにと我儘を言う。
 これは自分自身で決めなければいけないことなのに、人の責任にしたい弱い心が何度も顔を出して、その度にそうじゃないと否定するのももう習慣になりかけてしまっている。

 ロッカールームからエレベーターで一回まで降りて、また溜息をつきながらビルのエントランスをとおり、自動ドアを抜けると、頬を冷たい風が撫でていく。

 その寒さに早く帰ろうと駅へと足を向けようとしたその瞬間、後ろから名前を呼び止められた。

「――そんな急いで帰んなくてもいいじゃん。私のことにも気がつかないなんて、なんか急いでるわけ?」
「……っ……か……川崎さん……っ!? ど、どうして……っ」

 かけられた声に反応して振り返った私の視界に写ったのは、会いたくなかったその人で、心が緊張で固まった。

 どうやら私を待っていたらしい彼女は、過去の記憶を掘り起こすには十分な笑みを浮かべていて、私をじっと見ていた。

「ちょっと話あるんだけどさぁ。急いでるところ悪いけど、ちょっと時間くれない?」

 彼女はこないだ再会した時と完璧なキャリアウーマンの格好をしているのに、笑顔だけは昔の面影を残していて、私の恐怖心を煽る。
 なぜここにいるのか、どうして私の勤め先を知っているのか、気になることはたくさんあるのに、そのひとつも口にできない。
 彼女に逆らうこともできなくて 、ただ大人しく、彼女の後ろをついて歩くことしか出来なかった。

 連れて行かれたのは近くの公園で、人気はない。
 どうしてこんなところに連れてこられたのだろうと、思考はそれだけしか考えていない。恐怖も怯えも心を埋め尽くしていて、冷や汗が絶えず身体を流れ落ちていた。

「―――ねえ、あんたさ。本当に月村さんと付き合ってるわけ?」
「……ぅ……うん……そ、そうだけど……」
「へぇー。まぁ、あんた、大学時代、昔から比べたら相当変わったらしいし? 今も……色気づいちゃって、バッカみたいだしね。まぁ本当なのかもね」
「……っ……ど、どうして……し、知ってるの、私の、勤め先も……大学のことだって……っ」
「私の情報網使っただけよ。私の友達にたまたま、あんたと同じ大学に通ってた子がいて、その子があんたとも繋がりがあったってだけの話。世間は狭いわよね? 中学卒業して、私から逃げられたと思ったんだろうに、残念だこと」

 クスクス笑った彼女に、背筋を寒気が走り抜けていく。
 だけどここで負けたら、何のために月村さんが私の前に立ってくれたのか、その意味がなくなってしまう。
 拳を握って、ぐっと唇を噛み締めた。

「……そ、そう、なんだ……。べ、別に、残念だとは、思ってないよ。……でも、なんで会社にまできたの? 私はともかく、川崎さんは、私に用事なんて、なかったはずじゃ……」
「そんなの決まってるでしょ? 月村さんと別れてっていいに来たの」
「……っど、どうして……っ」
「私が彼を欲しいからよ。綺麗でかっこいいし、今をときめく売れっ子ジュエリーデザイナー。彼氏にするには十分なスペックじゃない?」

 そう言ってにっこり笑った川崎さんに、私は全身に鳥肌が立ったのを感じた。
 別に彼が好きなわけでもなんでもないと、そう思った。
 彼の肩書きに魅力を感じて、その見た目を欲しいと思っただけだと、その言葉だけで気がついた。

 それは、少しでも私が成長した証なんだろうか。それとも生きるために培ってきた処世術のおかげで気が付けたのか。

 今はそのどっちでもいいと思った。



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