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第五章 河童の大相撲
トラブル
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「おい人……じゃなくて下っ端! さっさと来いよ、遅えよ。そっちじゃねえ、こっちだ、プレス受付もわかんねえのか、お前は!」
「す……すみません」
佐和子が連れてこられたのはどこかの山の頂上付近で、かなり空気が薄い。おまけにあやかしの世界でのタクシーである、「火車」というものは、火を纏った大きな車輪がついた籠のような形のあやかしだったのだが、上下左右にとんでもなく揺れたのだ。
会場に到着するまでに何度も吐きそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。結果、佐和子はフラフラだった。
真っ青な顔の佐和子に呆れ顔を向けつつ、宗太郎はテキパキと受付を済ませていく。
「あやかし瓦版」以外にも、あやかし界にはメディアがあるというのは永徳から聞いていたが。報道関係者専用の受付であるプレス受付には、ざっと見ても二十名以上が並んでいた。
受付名簿をチラリと盗み見れば、「テレビ局」「新聞社」「雑誌社」「オンラインニュース」と、人間の世界同様、さまざまな媒体があることがわかる。
––––こんなにたくさんあるんだ。びっくり。
意外な事実に感心していると、横にいたはずの宗太郎の姿がもう消えている。慌てて視線を泳がせると、遥か先を進んでいるのが見えた。
「ぼやっとすんな! 場所取りだ。走れ!」
「ちょ……ちょっと待ってください……!」
「待てるかぁ、この野郎! 場所取りが命なんだよ、死ぬ気で走れ!」
よれよれの佐和子を気にすることなく、宗太郎は凄まじい勢いで疾走していく。
彼が特別せっかちなのかと思いきや、他の報道関係者らしきあやかしたちも三脚を持って走っているので、「場所取りが命」というのは嘘ではないらしい。佐和子がようやく宗太郎に追いつく頃には、各々が確保した場所で慌ただしくビデオカメラの準備を進めていた。
準備を手伝おうとしたのだが、「お前はもういい! 邪魔んならないところで待ってろ!」と怒鳴られてしまったので、佐和子はひとり、会場に視線を巡らせる。
「立派な土俵だなあ……」
しっかりと塗り固められ、美しく整えられた土俵は、この大会のために新たに作られたものらしい。
公平を期すため大会の会場が毎回変わるので、開催地が決まってから「河童相撲組合」なる団体が開催日の直前に土俵を作るそうだ。ぼんやりと土俵に見惚れていた佐和子を見て、隣にいた別の報道機関のカメラマンがそう解説してくれた。
「おい下っ端、俺がメモをとりながら写真を取るから、お前がビデオカメラを守れ。いいか、失敗すんじゃねえぞ」
それだけ言い残すと、首から一眼レフカメラを下げた宗太郎は、他の記者たちの合間を縫ってどこかへ行ってしまった。
「守れって言われても……ビデオはもう土俵全体が映るアングルで固定されてるし、これ、特にやることないよね? まあ、盗まれたりしないように、見張ってろってことかな? 下手にズームとか、引きとか、私がいじらないほうがいいよね?」
ひとりそう呟いた瞬間、観客席の方から一斉に歓声が上がった。どうやら力士が土俵入りを始めるらしい。
「いやあ、楽しみだなあ。今年はやはり沖縄の潮騒が優勝か」
「いやいや、和歌山の津野山もかなり仕上げてきていると聞いているぞ」
「まあ、今年は潮騒と津野山の一騎討ちだろうなあ。他に目立った力士は聞いておらんし」
佐和子の周りにいる他メディアの記者たちが、やんややんやと議論を交わしている。どうやら今回の試合の見どころは、沖縄の潮騒と、和歌山の津野山の試合のようだ。
盛り上がる初回戦を眺めつつ、佐和子はビデオカメラのディスプレイを覗き込む。狐面が邪魔だったので、顔の側面にずらして装着し直した。
––––よし、ちゃんと録れてる。これなら大丈夫かな。
河童の力士たちは人間の世界の力士ほど皆体格が良いわけではなく、引き締まった体をしていた。
しかし力は非常に強いようで、相手の体を頭上に持ち上げて投げたり、まわしを掴んでぐるぐる回した上、場外へ放り投げたりと、激しい戦いを見せている。いつの間にか佐和子も、取り組みに夢中になっていった。
「宗太郎さんが毎年力を入れているのも頷けるな。……ん? あれ」
ふと目をやった観客席の方に、揃いの白い装束に身を包んだ団体客がいるのが見えた。遠目でよく見えないが、明らかにそこだけ同じ色味で統一されているので、独特の存在感を放っている。
「あのあやかしたち、なんだろう」
「ぎゃあああああ!」
佐和子のつぶやきに被せるようにして、あたりに響き渡るような凄まじい悲鳴が上がった。
一瞬静まり返った会場だったが。すぐに相撲へと注目が戻り、騒がしさを取り戻した。観客の声援に混じり、悲痛な呼び声が佐和子の耳を捉える。
「おい! 下っ端! 助けてくれ、頼む」
その声は、宗太郎のものだった。
先ほどまでの威勢の良さはどこへいったのか、痛みを堪えるように苦しそうな声だ。
––––なにがあったの?
ビデオカメラをそのまま置いていっていいものか迷ったが、「助けてくれ」と言われて無視するわけにもいかない。佐和子は群衆をかき分けて声のする方向へ向かう。
土俵際最前列に着くと、土に汚れた緑色の体が倒れているのが目に入った。
「そ、宗太郎さん? なにがあったんですか?」
宗太郎の真横にしゃがみ、声をかける。喋ることはできるようだが、体から力が抜けてしまっていて、立ち上がることができないようだ。
「ライバル社のやつに、尻子玉を取られた! あんのやろう、とっ捕まえたらタダじゃおかねえ」
「尻子玉……?」
「去年場所取りの時に突き飛ばしたのを根に持ってやがったんだ。とにかくお前、代わりに撮影しろ! 俺はこの状態じゃ動けねえ」
––––それ、自業自得では……。
そう思いつつも。佐和子は慌てて宗太郎からカメラを受け取り、首にかける。とにかく今は、記事に使える写真を撮ることが最優先だ。近くの係の人に椅子を借り、宗太郎に肩を貸して、彼が試合を見られるように座らせた。
「メモは取れそうですか」
「手が痺れて動けねえ。でも書けなくても、試合さえ見られればあとでなんとでもできる。とにかく、写真を、頼む」
半泣きの顔でそう言われて、佐和子はカメラを握りしめた。
––––こうなった経緯はともかく、宗太郎さんは、この仕事に命かけてるんだもんね。
それは彼が書いた記事を見て、彼が撮った写真を見て、理解していた。
佐和子はカメラのレンズを土俵上の力士に向ける。
先日の川天狗の祭りの際、簡単に撮り方は教わったが、動き回る被写体を撮影する技術なんて持ち合わせていない。
––––でも、とにかく、撮らないと。でもこのまま同じ場所で撮り続けていいものかな。躍動感的に、なんだか足りない気も……。
緊張感で、手にはぐっしょりと汗をかいていた。
うまくやらなければ、と思えば思うほど、身動きが取れなくなる。
「佐和子、困っているようだな」
「うわっ」
集中している最中に、真横から声をかけられて飛び上がった。
山伏の格好に、朱塗りの天狗面、そしてこの地鳴りのような声。
佐和子のそばに立っていたのは、なんと黒羽だった。
「す……すみません」
佐和子が連れてこられたのはどこかの山の頂上付近で、かなり空気が薄い。おまけにあやかしの世界でのタクシーである、「火車」というものは、火を纏った大きな車輪がついた籠のような形のあやかしだったのだが、上下左右にとんでもなく揺れたのだ。
会場に到着するまでに何度も吐きそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。結果、佐和子はフラフラだった。
真っ青な顔の佐和子に呆れ顔を向けつつ、宗太郎はテキパキと受付を済ませていく。
「あやかし瓦版」以外にも、あやかし界にはメディアがあるというのは永徳から聞いていたが。報道関係者専用の受付であるプレス受付には、ざっと見ても二十名以上が並んでいた。
受付名簿をチラリと盗み見れば、「テレビ局」「新聞社」「雑誌社」「オンラインニュース」と、人間の世界同様、さまざまな媒体があることがわかる。
––––こんなにたくさんあるんだ。びっくり。
意外な事実に感心していると、横にいたはずの宗太郎の姿がもう消えている。慌てて視線を泳がせると、遥か先を進んでいるのが見えた。
「ぼやっとすんな! 場所取りだ。走れ!」
「ちょ……ちょっと待ってください……!」
「待てるかぁ、この野郎! 場所取りが命なんだよ、死ぬ気で走れ!」
よれよれの佐和子を気にすることなく、宗太郎は凄まじい勢いで疾走していく。
彼が特別せっかちなのかと思いきや、他の報道関係者らしきあやかしたちも三脚を持って走っているので、「場所取りが命」というのは嘘ではないらしい。佐和子がようやく宗太郎に追いつく頃には、各々が確保した場所で慌ただしくビデオカメラの準備を進めていた。
準備を手伝おうとしたのだが、「お前はもういい! 邪魔んならないところで待ってろ!」と怒鳴られてしまったので、佐和子はひとり、会場に視線を巡らせる。
「立派な土俵だなあ……」
しっかりと塗り固められ、美しく整えられた土俵は、この大会のために新たに作られたものらしい。
公平を期すため大会の会場が毎回変わるので、開催地が決まってから「河童相撲組合」なる団体が開催日の直前に土俵を作るそうだ。ぼんやりと土俵に見惚れていた佐和子を見て、隣にいた別の報道機関のカメラマンがそう解説してくれた。
「おい下っ端、俺がメモをとりながら写真を取るから、お前がビデオカメラを守れ。いいか、失敗すんじゃねえぞ」
それだけ言い残すと、首から一眼レフカメラを下げた宗太郎は、他の記者たちの合間を縫ってどこかへ行ってしまった。
「守れって言われても……ビデオはもう土俵全体が映るアングルで固定されてるし、これ、特にやることないよね? まあ、盗まれたりしないように、見張ってろってことかな? 下手にズームとか、引きとか、私がいじらないほうがいいよね?」
ひとりそう呟いた瞬間、観客席の方から一斉に歓声が上がった。どうやら力士が土俵入りを始めるらしい。
「いやあ、楽しみだなあ。今年はやはり沖縄の潮騒が優勝か」
「いやいや、和歌山の津野山もかなり仕上げてきていると聞いているぞ」
「まあ、今年は潮騒と津野山の一騎討ちだろうなあ。他に目立った力士は聞いておらんし」
佐和子の周りにいる他メディアの記者たちが、やんややんやと議論を交わしている。どうやら今回の試合の見どころは、沖縄の潮騒と、和歌山の津野山の試合のようだ。
盛り上がる初回戦を眺めつつ、佐和子はビデオカメラのディスプレイを覗き込む。狐面が邪魔だったので、顔の側面にずらして装着し直した。
––––よし、ちゃんと録れてる。これなら大丈夫かな。
河童の力士たちは人間の世界の力士ほど皆体格が良いわけではなく、引き締まった体をしていた。
しかし力は非常に強いようで、相手の体を頭上に持ち上げて投げたり、まわしを掴んでぐるぐる回した上、場外へ放り投げたりと、激しい戦いを見せている。いつの間にか佐和子も、取り組みに夢中になっていった。
「宗太郎さんが毎年力を入れているのも頷けるな。……ん? あれ」
ふと目をやった観客席の方に、揃いの白い装束に身を包んだ団体客がいるのが見えた。遠目でよく見えないが、明らかにそこだけ同じ色味で統一されているので、独特の存在感を放っている。
「あのあやかしたち、なんだろう」
「ぎゃあああああ!」
佐和子のつぶやきに被せるようにして、あたりに響き渡るような凄まじい悲鳴が上がった。
一瞬静まり返った会場だったが。すぐに相撲へと注目が戻り、騒がしさを取り戻した。観客の声援に混じり、悲痛な呼び声が佐和子の耳を捉える。
「おい! 下っ端! 助けてくれ、頼む」
その声は、宗太郎のものだった。
先ほどまでの威勢の良さはどこへいったのか、痛みを堪えるように苦しそうな声だ。
––––なにがあったの?
ビデオカメラをそのまま置いていっていいものか迷ったが、「助けてくれ」と言われて無視するわけにもいかない。佐和子は群衆をかき分けて声のする方向へ向かう。
土俵際最前列に着くと、土に汚れた緑色の体が倒れているのが目に入った。
「そ、宗太郎さん? なにがあったんですか?」
宗太郎の真横にしゃがみ、声をかける。喋ることはできるようだが、体から力が抜けてしまっていて、立ち上がることができないようだ。
「ライバル社のやつに、尻子玉を取られた! あんのやろう、とっ捕まえたらタダじゃおかねえ」
「尻子玉……?」
「去年場所取りの時に突き飛ばしたのを根に持ってやがったんだ。とにかくお前、代わりに撮影しろ! 俺はこの状態じゃ動けねえ」
––––それ、自業自得では……。
そう思いつつも。佐和子は慌てて宗太郎からカメラを受け取り、首にかける。とにかく今は、記事に使える写真を撮ることが最優先だ。近くの係の人に椅子を借り、宗太郎に肩を貸して、彼が試合を見られるように座らせた。
「メモは取れそうですか」
「手が痺れて動けねえ。でも書けなくても、試合さえ見られればあとでなんとでもできる。とにかく、写真を、頼む」
半泣きの顔でそう言われて、佐和子はカメラを握りしめた。
––––こうなった経緯はともかく、宗太郎さんは、この仕事に命かけてるんだもんね。
それは彼が書いた記事を見て、彼が撮った写真を見て、理解していた。
佐和子はカメラのレンズを土俵上の力士に向ける。
先日の川天狗の祭りの際、簡単に撮り方は教わったが、動き回る被写体を撮影する技術なんて持ち合わせていない。
––––でも、とにかく、撮らないと。でもこのまま同じ場所で撮り続けていいものかな。躍動感的に、なんだか足りない気も……。
緊張感で、手にはぐっしょりと汗をかいていた。
うまくやらなければ、と思えば思うほど、身動きが取れなくなる。
「佐和子、困っているようだな」
「うわっ」
集中している最中に、真横から声をかけられて飛び上がった。
山伏の格好に、朱塗りの天狗面、そしてこの地鳴りのような声。
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