上 下
28 / 29
動き出す

恋人らしさ

しおりを挟む
 一通り、私が知っておくべき範囲の「囮作戦」の概要を聞いた後、さまざまな誓約書やら秘密保持情報契約書やらにサインをすることになった。書類を書きながら説明の内容を頭の中で反芻したが、やはり現実感がない。

 そして目下、受け入れなければいけない設定の一つに、私は明らかな不快感をあらわにしていた。––––「杉原尚史を『恋人役』として、身辺に置くこと」。確かに恋人なら、四六時中一緒にいたとしても怪しまれないし、キンバリーの目の前で彼氏発言をしてしまっているので、彼が演じるしかないのだけれど。

 初手でうっかり軽率な行動をしてくるような男だし。この先また同じことがないとも言えない。協力する手前、安全のためにも、敵組織に向けたポーズとしても、この設定を受け入れなければならないのだが、どうにもスッキリ受け入れられない自分がいた。

「じゃあ、とりあえず、これで説明は以上になりますので。早速、デートにでも行ってらっしゃい!」

 お節介おばさんを前面に押し出したような華やかな笹嶋さんの笑顔に、私はゲンナリした。

「笹嶋さん、これ、本当に必要ですか? 恋人設定。SPみたいな人たちにこっそり張り付いてもらったりすることはできないんですか」

 不服そうな私の反応に、彼女は形だけ申し訳なさそうなお詫びのポーズを作った。

「ごめんねええ。でも、でもよ? 罠の周りに明らかに包囲網が張られている状況下で、ホシが飛び込んでくると思う? 思わないでしょ?」

「そりゃあ、まあ……」

「いいことを教えてあげましょう」

にっこりといやらしい笑みを浮かべた笹嶋さんは、こっそりと私に耳打ちした。

「デート費用、多少贅沢しても経費で落ちるわよ」

「……本当ですか?」

「最重要案件ですから」

 経費で落ちる、というパワーワードに、私の頭はもう反論するというコマンドをとることをやめた。それっぽく見せながら、公費でちょっとした贅沢を楽しめるというなら、コスパは悪くないと思ったのだ。

(断じて税金の無駄遣いじゃないわ。だって、身の危険を冒して任務に取り組んでるんだもの!)

 途端にやる気を見せた私を見て、杉原さんは呆気に取られた様子で、私の顔と笹嶋さんの顔を見比べていた。この二人の関係性を詳しく説明されていないからわからないが、彼女の方がだいぶベテランで、おそらくこの人の方が経験が浅いのだろう。

「じゃあ……行きますか」

 遠慮がちにそう言った杉原さんは、おずおずと私の前に手を差し出した。初対面の時のカッコつけたいけすかないイケメンの演技はどこへ行ったのか、なんだか若干自信なさげで、それが奇妙な気恥ずかしさを生んでいた。

「いや、ちょっと、手は」

 躊躇っていると、笹嶋さんは私たちの手首をそれぞれ掴んで、無理矢理にガッチリと握り合わせた。

「はい! 恋人役なんでしょ。国家予算をかけているんだから、しっかりね!」

 どうやら笹嶋さんは、私を動かすためには「お金」を前面に出した方がいいと思ったようで。「予算」を強調しながら、不自然に握手を交わした格好の私と杉原さんの背中を、強引に警視庁本庁舎の裏口に向けて押し出した。

「杉! しっかり美冬ちゃんをエスコートするのよ!」

 まるで親戚のおばさんにお見合いを応援されるような形で庁舎を追い出された私は、なんとも言えないいづらさを感じていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

女官になるはずだった妃

夜空 筒
恋愛
女官になる。 そう聞いていたはずなのに。 あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。 しかし、皇帝のお迎えもなく 「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」 そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。 秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。 朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。 そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。 皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。 縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。 誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。 更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。 多分…

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

家に帰ると夫が不倫していたので、両家の家族を呼んで大復讐をしたいと思います。

春木ハル
恋愛
私は夫と共働きで生活している人間なのですが、出張から帰ると夫が不倫の痕跡を残したまま寝ていました。 それに腹が立った私は法律で定められている罰なんかじゃ物足りず、自分自身でも復讐をすることにしました。その結果、思っていた通りの修羅場に…。その時のお話を聞いてください。 にちゃんねる風創作小説をお楽しみください。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...