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動き出す
筋道
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「Hey dude, what’s up!」
「日本語で話せよ、うっとおしい」
「通じればどっちでもいいだろ」
あちこちに積み上げられた本、食べかけのルームサービス。おそらくどこからか取り寄せたのであろうホワイトボードには、点描画の如くさまざまな色彩の四角い付箋が張り巡らされていた。豪奢なホテルのスイートルームが、ここまで混沌としている様は、他ではみられないだろう。
バレエでも踊っているかのような指先が、キーボードの上を滑る。まだ二十歳かも達していないであろう幼さの残る風貌の男は、訪問者には構わずパソコンに向かっていた。
彫りの深い顔立ちに、アッシュグレーの髪をした男は、その姿を見て鼻を鳴らす。
「しかしこれ、本買いすぎだろ。日本滞在中にこんなに読まねえじゃん」
「読み切るよ」
「どうやって」
明らかに面倒臭そうに、軽くため息をつきながら、若い男はデスクチェアを回す。アッシュグレーの男の方に向いたかと思うと、手近にあった本を手に取った。パラパラと本を捲りながら、めくっている本の中心に視点を落としている。そして勢いよく本を締めると、あどけない笑顔で微笑んだ。
「こうやって読むんだよ」
「ただパラパラやってただけじゃねえか。テツ、お前ふざけてんだろ」
不満げな男の声に、テツは困った顔で応える。
「知識を得る目的なら、本は全文読む必要ないだろ。こうやって、本の中心に視点を落としたまま、ザーッと本をめくるとね。ざっくりと要旨だけは捉えられるんだ。こうすれば、例えばこの程度の厚さの本だったら、僕は十分で読み切れる。一冊十分て考えたら、読み切れるでしょ」
さも当然と答えるテツに、濃い眉をぎゅっと寄せながら、男は呆れたような声を出した。
「お前、ほんとバケモンだな。一回お前の頭の中、解体して見せてほしいくらだわ」
「それが人類のためなら、いくらでも。あ、ただ、死んだあとにしてね」
そのセリフには、男はもう答えなかった。いや、なんと返答したら良いのかわからなかった、というのが正しい表現かもしれない。
「時間は有限なんだ。僕は一秒たりとも無駄にしたくない。それなのにこの国は老害に国の運命を任せたまま、のんびりと暮らしている。耐えられないよね、こんなの。若者は搾取され、馬鹿にされ、批判され、政治の世界にも受け入れられない。年功序列? くそくらえだ」
「……そうだな」
若干苛立ったような表情を一旦収めて、テツは優雅に革張りのデスクチェアに背を預ける。
「さあ、打ち合わせを始めようか。ゴールはそう遠くない。兵器への道筋は見えているからね」
男を見上げるテツの瞳には、鬱屈とした感情を爆発させたかのような静かな闘志が宿っていた。
⌘
虎ノ門の事務所を出て、すぐ近くにある煉瓦造りの広場に到着すると、俺はスマートフォンを取り出した。こうなってしまった以上、とにかく山並美冬に会って事情を話さなければならない。だがなんと切り出すべきか。
エリコには頼りたくない、というのが本音だ。初めて自分が主体になったプロジェクトだ。できれば自分の手で成功への筋道を作りたい。
––––だが。
(失敗はできねえもんな。これは単なるビジネスじゃない。国防の要となるプロジェクトなんだし)
エリコを交えて話す場を持とう、そう、決意した時だった。
緑色のメッセージの通知が浮かんだ。差出人は山並美冬。そしてその下に記載されていた文字にぎょっとした。
『あなたは一体何者?』
焦ってメッセージを開く。すると矢継ぎ早に山並からのメッセージが届いた。
『ミサから連絡があって。彼女、ブランドデートなんてセッティングしてないって』
『アカウント乗っ取られてて、私の連絡先さえ分かってなかった』
『杉原っていうのも偽名? 一体どこの誰なのあなたは』
背筋が凍る、というのはこういうことを言うのだろうと思った。真夏に向かってじわじわと暑くなっているこの時期に、俺はじっとりと冷や汗をかいていた。
慌てて電話番号のリストを開き、「マリン」をタップする。
イライラしながら耳元でコールが鳴り終わるのを待つと、いつものふざけた調子で彼女が電話に出た。
「なになに? こんな夜更けになんのよぉ?」
「今、ターゲットから電話があった。お前、ミサのSNSアカウント全部乗っ取ったんじゃなかったのかよ?」
「え、なんかあったのぉ?」
「ターゲットに、俺たちが仕組んだことが全部バレてるぞ!」
思わず怒鳴ってしまい、しまった、と口を抑えた。電話の向こうのマリンも動揺している様子で、「ちょっと待って」と言うと、タイピングの音が聞こえてきた。
しばらく待っていると、再びマリンが電話口に出てきた。
「ごめん! っていうか、これは正直防ぎようがないんだけどぉ……あっ、でも私がモニターしとけば防げたかっ」
「いいから状況を説明しろ!」
「わぁかったってば! アカウント乗っ取ったあとに、ミサが新しくアカウント取得してて、そっちの投稿を今調べてたんだけどぉ。どうやら彼女、旦那と喧嘩して今、実家に帰ってきてるらしいの。それでね、今日昔の仲間との飲み会の写真をSNSにアップしてて、その中に、どうやら、美冬ちゃんと共通の知り合いがいたのよぉ」
「……マジかよ」
「たぶん……ノリでそいつの携帯を借りて通話なりメッセージなりしたんじゃないかなぁ。ミサと美冬ちゃんが直接接触する可能性は徹底的に潰してたしぃ」
画面を山並美冬のメッセージに戻す。彼女からの追加のメッセージは来ていない。一番避けたい状況は、このまま完全にブロックされてしまうことだ。
この最悪の状況から、どうすればあの疑り深い彼女の信頼を得られるだろうか。煉瓦造りの広場から離れ、頭をかきむしりながら早歩きで歩いていく。立ち止まっていては、何もアイデアが浮かびそうもなかったからだ。
日比谷方面へ向けて、未だ煌々と光を放つ省庁の合間を、ただひたすらに歩いた。すると目の前にあるものが飛び込んできた。それを見た瞬間、閃いた。
(これだ……これしかない!)
俺はスマートフォンを取り出し、鉄の女への返信をうち始めた。
「日本語で話せよ、うっとおしい」
「通じればどっちでもいいだろ」
あちこちに積み上げられた本、食べかけのルームサービス。おそらくどこからか取り寄せたのであろうホワイトボードには、点描画の如くさまざまな色彩の四角い付箋が張り巡らされていた。豪奢なホテルのスイートルームが、ここまで混沌としている様は、他ではみられないだろう。
バレエでも踊っているかのような指先が、キーボードの上を滑る。まだ二十歳かも達していないであろう幼さの残る風貌の男は、訪問者には構わずパソコンに向かっていた。
彫りの深い顔立ちに、アッシュグレーの髪をした男は、その姿を見て鼻を鳴らす。
「しかしこれ、本買いすぎだろ。日本滞在中にこんなに読まねえじゃん」
「読み切るよ」
「どうやって」
明らかに面倒臭そうに、軽くため息をつきながら、若い男はデスクチェアを回す。アッシュグレーの男の方に向いたかと思うと、手近にあった本を手に取った。パラパラと本を捲りながら、めくっている本の中心に視点を落としている。そして勢いよく本を締めると、あどけない笑顔で微笑んだ。
「こうやって読むんだよ」
「ただパラパラやってただけじゃねえか。テツ、お前ふざけてんだろ」
不満げな男の声に、テツは困った顔で応える。
「知識を得る目的なら、本は全文読む必要ないだろ。こうやって、本の中心に視点を落としたまま、ザーッと本をめくるとね。ざっくりと要旨だけは捉えられるんだ。こうすれば、例えばこの程度の厚さの本だったら、僕は十分で読み切れる。一冊十分て考えたら、読み切れるでしょ」
さも当然と答えるテツに、濃い眉をぎゅっと寄せながら、男は呆れたような声を出した。
「お前、ほんとバケモンだな。一回お前の頭の中、解体して見せてほしいくらだわ」
「それが人類のためなら、いくらでも。あ、ただ、死んだあとにしてね」
そのセリフには、男はもう答えなかった。いや、なんと返答したら良いのかわからなかった、というのが正しい表現かもしれない。
「時間は有限なんだ。僕は一秒たりとも無駄にしたくない。それなのにこの国は老害に国の運命を任せたまま、のんびりと暮らしている。耐えられないよね、こんなの。若者は搾取され、馬鹿にされ、批判され、政治の世界にも受け入れられない。年功序列? くそくらえだ」
「……そうだな」
若干苛立ったような表情を一旦収めて、テツは優雅に革張りのデスクチェアに背を預ける。
「さあ、打ち合わせを始めようか。ゴールはそう遠くない。兵器への道筋は見えているからね」
男を見上げるテツの瞳には、鬱屈とした感情を爆発させたかのような静かな闘志が宿っていた。
⌘
虎ノ門の事務所を出て、すぐ近くにある煉瓦造りの広場に到着すると、俺はスマートフォンを取り出した。こうなってしまった以上、とにかく山並美冬に会って事情を話さなければならない。だがなんと切り出すべきか。
エリコには頼りたくない、というのが本音だ。初めて自分が主体になったプロジェクトだ。できれば自分の手で成功への筋道を作りたい。
––––だが。
(失敗はできねえもんな。これは単なるビジネスじゃない。国防の要となるプロジェクトなんだし)
エリコを交えて話す場を持とう、そう、決意した時だった。
緑色のメッセージの通知が浮かんだ。差出人は山並美冬。そしてその下に記載されていた文字にぎょっとした。
『あなたは一体何者?』
焦ってメッセージを開く。すると矢継ぎ早に山並からのメッセージが届いた。
『ミサから連絡があって。彼女、ブランドデートなんてセッティングしてないって』
『アカウント乗っ取られてて、私の連絡先さえ分かってなかった』
『杉原っていうのも偽名? 一体どこの誰なのあなたは』
背筋が凍る、というのはこういうことを言うのだろうと思った。真夏に向かってじわじわと暑くなっているこの時期に、俺はじっとりと冷や汗をかいていた。
慌てて電話番号のリストを開き、「マリン」をタップする。
イライラしながら耳元でコールが鳴り終わるのを待つと、いつものふざけた調子で彼女が電話に出た。
「なになに? こんな夜更けになんのよぉ?」
「今、ターゲットから電話があった。お前、ミサのSNSアカウント全部乗っ取ったんじゃなかったのかよ?」
「え、なんかあったのぉ?」
「ターゲットに、俺たちが仕組んだことが全部バレてるぞ!」
思わず怒鳴ってしまい、しまった、と口を抑えた。電話の向こうのマリンも動揺している様子で、「ちょっと待って」と言うと、タイピングの音が聞こえてきた。
しばらく待っていると、再びマリンが電話口に出てきた。
「ごめん! っていうか、これは正直防ぎようがないんだけどぉ……あっ、でも私がモニターしとけば防げたかっ」
「いいから状況を説明しろ!」
「わぁかったってば! アカウント乗っ取ったあとに、ミサが新しくアカウント取得してて、そっちの投稿を今調べてたんだけどぉ。どうやら彼女、旦那と喧嘩して今、実家に帰ってきてるらしいの。それでね、今日昔の仲間との飲み会の写真をSNSにアップしてて、その中に、どうやら、美冬ちゃんと共通の知り合いがいたのよぉ」
「……マジかよ」
「たぶん……ノリでそいつの携帯を借りて通話なりメッセージなりしたんじゃないかなぁ。ミサと美冬ちゃんが直接接触する可能性は徹底的に潰してたしぃ」
画面を山並美冬のメッセージに戻す。彼女からの追加のメッセージは来ていない。一番避けたい状況は、このまま完全にブロックされてしまうことだ。
この最悪の状況から、どうすればあの疑り深い彼女の信頼を得られるだろうか。煉瓦造りの広場から離れ、頭をかきむしりながら早歩きで歩いていく。立ち止まっていては、何もアイデアが浮かびそうもなかったからだ。
日比谷方面へ向けて、未だ煌々と光を放つ省庁の合間を、ただひたすらに歩いた。すると目の前にあるものが飛び込んできた。それを見た瞬間、閃いた。
(これだ……これしかない!)
俺はスマートフォンを取り出し、鉄の女への返信をうち始めた。
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