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望まぬ異動

雑用係

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 二日間の研修期間を終えた私は疲れ切っていた。普段聞き慣れない情報のオンパレードで、頭の中の知識が交通渋滞を起こしている。だが、初日の「四億五千回」のインパクトもあって、研修に関しては真面目に取り組んだ。

 これだけ鉄壁のセキュリティで守られている重大機密を、自分が漏らしたらと考えただけでも肝が冷える。気を引きしめて仕事に取り組まなければならない、という意識はこの二日で高まった気はする。

 だが、研修後の部長面談で、私のやる気は跡形もなく粉砕されたのだ。



「部長秘書なんてご立派な肩書きではあるが、お前ら二人の仕事は雑用係だ。俺のスケジュール管理や経費精算だけでなく、部署の雑務もやってもらう。他の社員から直接指示がきた場合は、なんでも対応しろ」

 ゴツゴツした筋肉の鎧を身に纏った伊藤部長は、身長が高いのもあって、まるで大岩を目の前にしているような凄まじい威圧感がある。初日に簡単に挨拶はしたが、その時はほとんど言葉を交わさなかったので、ここまで人でなしだとは気が付かなかった。

 横目で様子を伺った葛木さんは、困惑の表情は見せていたものの、正面きっては反抗的な態度は見せないようだった。残念ながら血の気が多く、彼女のようにエレガントではいられない私は、一言言わずにはいられない。

「あの、部長、言い方ってもんがあるんじゃないでしょうか。私たちだって、これまで誇りを持って自分の仕事をしてきています。異動で新しい部署に意欲を持って取り組もうとしているところへ、そんな言い方されたら、誰だって凹みます。まるで私たちのキャリアパスなんかないみたいな言い方じゃないですか」

 部長の表情は崩れない。なんとかその場を取り繕おうと、何か言葉を発しようとした山崎さんを手で制し、伊藤部長は地を這うような低音で、睨み上げるようにこちらを見ながら答えた。

「雑用係は雑用係なんだよ」

 もう話すことはないというように、機嫌悪そうに私たちの元を離れていく背中に向かって、私は鋭い眼光で睨みつけた。

「なんですかっ、あれは!」

「まあまあ、山並さん、落ち着いて」

 宥めようとする山崎さんに私は反射的に言い返す。

「これが落ち着いていられますか! 不自然な異動で、それでも、会社の指示だから仕方なく、新しい場所で頑張ろうと思い直したところだったのに。こんな扱い酷すぎませんか?」

 つかみかからんばかりの私の勢いに、怯えて後ずさった山崎さんを見て、ちょっとだけ冷静さを取り戻す。

「……すみません。山崎さんは悪くないのに。失礼が過ぎました」

「さすが、若いわねえ山並さん。まあでも、気持ちはわかるわ。あんなふうに言われちゃあねえ」

 葛木さんもそう言いながら、深いため息をついている。

「お二人とも、すいません。誰に対してもああなんで、あまり気にしないでください。今展示会前の忙しい時期なんで、気が立ってるのもあると思います」

「展示会?」

 防衛産業と展示会が、頭の中で結びつかず、聞き返した。

「はい、毎年DSEJ––––Defense & Security Exhibition Japan という防衛産業に特化した展示会があるんですよ。うちは毎年出展してて。ちょうど今展示内容の打ち合わせとか、当日会場に持っていく資材とかの調整をしているところなんです。政府関係者とのアポも入ったりするので、大忙しで」

 経理畑にいたときはそうしたイベントごととはご縁がなかったので、なんとなく華やかな香りのする「展示会」という言葉に、ちょっとだけ興味が引かれた。あくまで、ちょっとだけ。

「おそらく、御二方のうちどちらか一名は、展示会の際部長に同行いただくことになると思います。でですね、ちょっと展示会関連で、お手伝いいただきたいことが……」

 面白そうな仕事がありそうなことによって、先ほどまでのイライラは、鳴りを潜めた。

 自分でもわがままだと思うが、やっぱり社会人として十年勤めてきているのだ。ある程度スキルを要求される仕事がしたかった。しかも仕事でヘマをしたとか、不正を働いたというわけでもなく、真っ当に働いていて、さっきの部長の話が本当なら、ほぼ左遷のような形でここに来させられている。

 少しウキウキしながら山崎さんの後をついていったのだが、彼に案内された先の扉を開けた瞬間、目の前に広がっていたのは––––今にも雪崩のように崩れてきそうな、パンフレットやら模型やらの、山積みの資材だった。

「今日の僕たちの仕事は、過去の展示会の資材の整理と廃棄作業です。男所帯なもので……こういう面倒臭い仕事は、溜まりがちなんですよね」

 私は再び、魂が抜けたようにがっくりとその場で項垂れた。






「ぜんっぜん終わらない……! 全く、こういうのは定期的に整理しなさいっての」

 片付けても片付けても終わらない資料の整理に、嫌気が差していた。午前中は山崎さんも手伝ってくれていたが、午後は会議が詰まっているらしく、二人での作業となった。

 大体、数が多すぎる。十年くらい前のものから溜まっているようなのだが、直近の一年間は全ての製品ラインのパンフレットが大量にあった。

「この辺とかまだまだ新しいのに。どうして全部捨てるんでしょう」

 私の疑問に対して、部屋の反対側で作業していた葛木さんが答えてくれた。ずっと下を向いて作業をしているせいか、いつも美しい彼女の顔にも疲れが見える。

「一昨年、ブランド変更があったから。それで多分、パンフレット類も一新しなきゃいけなくなったのね」

「ブランド変更? ああ、ロゴとかなんか会社指定の色味みたいなのが変わったあれ……って、え? あれに合わせてカタログ全部一新したってことですか?! 紙がもったいない!」

 困った顔をして「そうよねえ」と同意の意を示しながら、葛木さんはカタログから一枚ずつより分けていく。山崎さんから、「広報部が周年事業とかで過去のパンフを欲しがるから、各種類一枚ずつは取っておいてくれ」と言われているのだ。

「まあ、ブランドロゴとかカラーとかって、会社のイメージを作る顔みたいなものだから。制作物のデザインは期限までには揃えないとダメなのよ。作る側は大変だし、整理する側も大変だけどね」

 葛木さんがより分けた束を見て、私はため息をつく。

「私も広報部とか、華やかな部署に異動してみたかった……」

「あそこはあそこで大変よ。防衛事業を扱ってることもあって、報道機関の目は厳しいし、華やかなことなんてほとんどなくて、意外と書類仕事が多いのよ、あの部署は。イベントとか、芸能人を使ったプロモーションとかが華やかな仕事っていうのであれば、そういう仕事はマーケティング部の方ができるわよ」

 黙々と作業をしながらそう言った彼女の横顔は、どこか寂しげだった。本当だったら、その華やかな仕事の側にいるはずの人だったのだ。

 私の場合は異動の理由が自分でははっきりとわからない。だけど彼女は「子育てと仕事の両立ができない」という見立てから左遷されたと考えてるようだった。その点で、きっと私とは別の葛藤とかやるせ無い思いがあるんだろう。

 戦闘機やヘリコプター、ミサイル、防弾チョッキ、あらゆる武器や防具のカタログに囲まれながら、自分達の処遇に対する憤りが募って、動かす手が止まってしまう。

 雑用って言ったって、これだって大事な仕事で。会社として誰かがやらなくてはいけない仕事ではあるということはわかっている。

 でも、私個人として、本当にこのままでいいんだろうか? 
 ここにいてこの先の未来はあるの?
 この先ずっと、定年までこのままだったら。

 暗い方へ暗い方へと、思考が落ちていく。なんだか泣きそうになってきた。

 私の様子を察してか、葛木さんも作業の手を止め、私の作業場所の近くまで来てくれた。真っ白で細身で、だけど暖かい手が私の肩をぽんぽん、と叩く。

「私も悔しいし、元の仕事への未練もある。だけど、どこかで、子どものためを思ったら、今の部署の方がいいのかもしれないっていう考えもあるの。でもあなたは違うわ。まだ若いし、やる気に満ち溢れている。転職っていう選択肢もあると思うの。いろいろ見て見て、自分がどうしたいかを考えてみたら」

「そう……ですよね」

 この異動があった時点で、頭の片隅にはあった考えではあった。だけどまずは新しい部署で頑張ってみて、それから考えるべき選択肢だと考えていた。

 だけど今の状況を考えたら、自分のキャリアパスを考えるなら、具体的に進めてみる方がいいのかもしれない。

「もし、転職サイトまで登録して、ガツガツ活動するっていう気にならないのなら、ビジネスSNSに経歴を登録するのもありだと思うわ。経歴を見て、適切なポジションの提案をヘッドハンターからしてもらえるケースもあるし」

 ビジネスSNS。最近はバイリンガルの新卒の学生の間でも就活で使われるビジネス上の交流に特化したソーシャルメディアだ。これまでの経歴を公開しておくことで、ヘッドハンターからオファーがもらえたり、仕事上でつながっている人との情報交換ができる便利なもの。

 流行り始めた時に登録はしておいたものの、ほとんど更新しておらず、活用もしていなかった。

「そうですね……まだ転職サイトに登録するまでのモチベーションが上がらないので、いいかもしれないです、ビジネスSNS」

 ちょっぴり涙が滲んだ目頭を、ハンカチで抑えて。再び目の前のパンフレットの海に、私は体を向き合わせた。



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