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第一話
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「たいちゃん、いらっしゃーい」
「いらさーい」
子どもたちが、パタパタと玄関へ向かっていく。客人は元気のいいお迎えに若干押されつつも、くしゃくしゃの笑顔で答えている。
「壮司、またでっかくなってね? 美々はお姉さんになったな」
お姉さんになった、の一言が嬉しかったのか、長女の得意げな背中がみえる。
「たいちゃんはおじさんになったね」
「お前……遠慮もクソもねえな」
無神経な5歳児の発言に少しだけ傷ついた表情を見せた客人に、私も遅れて挨拶をした。
「いらっしゃい。珍しく時間通りだね。まだもうちょいかかるけどいい?」
「全然。てか、俺手伝うし」
「いいよ、子どもの相手しててよ。揚げ物やるから、みててくれた方が助かる」
「わかった」
言われた通りに子どもたちのところへ向かう彼のうしろ姿は、前回会った時に比べてまた逞しくなった気がする。
(たいちゃんももう25歳か。私がおばさんになるわけだ)
彼は私の母方の従兄弟。叔母が外出する時などに、たいちゃんをうちで預かることがよくあった。
一人っ子の私にとって、10歳離れた彼は可愛い弟のようなもので。お姉さんぶって一生懸命世話をした。大きくなってくると、彼にはそれがうざったくなってきたようだけど。
「沙織、仕事はどうなの。子育てしながらフルタイムじゃ大変じゃね」
「今は頑張りどきなのよ……離婚したんだし。やめやめ、この話はやめよ。っていうか、私あなたより10も上なんだから、沙織はやめなさいよ、沙織は」
「……沙織は沙織だろ」
たいちゃんは中学の時、ぐれてしまった時期があった。おば夫婦は共働きで、家にいることが少なかった。その寂しさからか、それともつるんでいた仲間のせいかはわからないけど。タバコを吸ったり、喧嘩に明け暮れたり、夜中に徘徊したり。目につく限りでそれだったから、もっと悪いこともしていたかもしれない。
「何笑ってんの」
たいちゃんの不良時代を思い出してニヤニヤしていたら、どうやらみられていたらしい。
「いや、金髪ピアスの不良中学生が、立派になったもんだなってふと思ってさ」
彼が荒れていた時期、ちょうど私は、一人暮らしを始めた頃で。たまたま実家に帰った時に、彼の家の惨状を聞いた。ほっぺのふくふくしたたいちゃんの記憶しかなかった私には、衝撃的な話で。心配になって、彼の家に様子を伺いがてら、週二日だけ夕飯を作りに行っていた。
ご飯を作りに行っても、たいちゃんは帰ってくるのかこないのかわからないし、おじおばも仕事で遅いので、誰とも顔を合わさずに帰ることが多かった。だから初めは、「また〇〇日に来るよ」と置き手紙を残していた。
するとそのうち、私が来る日だけは早く帰るようになった。それでも口はきいてくれなかったけど。
「沙織、頬の傷、まだある?」
お絵描きに夢中になっている子どもたちを背後に残し、彼はキッチンにやってきた。モラハラ夫から逃げるようにやってきたアパートのキッチンは、古くて狭い。成人男性が一人入ると、一気に窮屈になる。
「あるけど、お化粧すれば目立たないよ、ほら」
「なんか沙織、ファンデーション厚塗りになってね」
「うるさい」
冗談だよ、と、まだちょっとだけあどけなさを残す童顔が笑った。彼の家に行っていた時、彼が私に手当たり次第に物を投げつけたことがあった。投げられたものが頬に当たって、何針か縫ったのだ。縫った時はショックだったけど、そのことがきっかけとなったかは知らないが、私が怪我をしたあたりから、彼はパッタリと悪い遊びをやめたのだ。
たいちゃんのお陰もあり、一気に食事の準備は進んだ。たくさんのご馳走を目の前に、子どもたちはほっぺたを目一杯膨らませ、お腹がパンパンになるまで食べていた。最近はこうして、和やかな食卓を子どもたちと囲めることが幸せで仕方がない。
少し前までは夫に全てを支配され、管理されていた。どんなに仕事で疲れていても、チリ一つ落ちていたら「掃除ができていない」とこっぴどく叱られたし、ご飯の味も毎回評点が付けられた。子どもが粗相をすれば「お前の躾が行き届いていないからだ」と怒鳴られ、奴隷のような生活をしていた。
離婚して生活は苦しくなったし、体力的にもしんどいけれど。心の平穏を得られたことが何より嬉しい。
私は食器を片付けようと席を立った。だが、うっかり大皿が手の間から滑り落ちてしまった。
––––ガシャン
薄水色の陶器の破片が、その場に撒き散らされる。咄嗟に出た大きな音に、反射的に頭を覆った。
「ごめんなさい!」
動悸がする。頬からは血の気がひき、手は小刻みに震えている気がする。動揺しながらも、子どもたちの方に目をやると、二人も同じく怯えた様子で、その場で抱き合っていた。
私たちの様子を見て状況を察したのか、たいちゃんは私に駆け寄ってきた。
「謝らなくていい。手ェ見せて」
私の手を取り、怪我がなかったことを確認すると、硬直した私の体を、彼は抱き寄せた。
「片付けは俺がするからさ、子どもら抱っこしてやってよ。もう、こんなことで謝んなくていいんだ。沙織に怪我がなくてよかった」
背中に添えられた温かな手の温もりに、「大丈夫だよ」という言葉に、私は涙が頬を伝うのを感じた。
(そうか……そうだよね。今までが普通じゃなかったんだ。普通は、私の心配をしてもらえるものなんだ)
私は彼にお礼を言って、不安げな顔で体を寄せ合う愛しい子どもたちを抱きかかえた。
「いらさーい」
子どもたちが、パタパタと玄関へ向かっていく。客人は元気のいいお迎えに若干押されつつも、くしゃくしゃの笑顔で答えている。
「壮司、またでっかくなってね? 美々はお姉さんになったな」
お姉さんになった、の一言が嬉しかったのか、長女の得意げな背中がみえる。
「たいちゃんはおじさんになったね」
「お前……遠慮もクソもねえな」
無神経な5歳児の発言に少しだけ傷ついた表情を見せた客人に、私も遅れて挨拶をした。
「いらっしゃい。珍しく時間通りだね。まだもうちょいかかるけどいい?」
「全然。てか、俺手伝うし」
「いいよ、子どもの相手しててよ。揚げ物やるから、みててくれた方が助かる」
「わかった」
言われた通りに子どもたちのところへ向かう彼のうしろ姿は、前回会った時に比べてまた逞しくなった気がする。
(たいちゃんももう25歳か。私がおばさんになるわけだ)
彼は私の母方の従兄弟。叔母が外出する時などに、たいちゃんをうちで預かることがよくあった。
一人っ子の私にとって、10歳離れた彼は可愛い弟のようなもので。お姉さんぶって一生懸命世話をした。大きくなってくると、彼にはそれがうざったくなってきたようだけど。
「沙織、仕事はどうなの。子育てしながらフルタイムじゃ大変じゃね」
「今は頑張りどきなのよ……離婚したんだし。やめやめ、この話はやめよ。っていうか、私あなたより10も上なんだから、沙織はやめなさいよ、沙織は」
「……沙織は沙織だろ」
たいちゃんは中学の時、ぐれてしまった時期があった。おば夫婦は共働きで、家にいることが少なかった。その寂しさからか、それともつるんでいた仲間のせいかはわからないけど。タバコを吸ったり、喧嘩に明け暮れたり、夜中に徘徊したり。目につく限りでそれだったから、もっと悪いこともしていたかもしれない。
「何笑ってんの」
たいちゃんの不良時代を思い出してニヤニヤしていたら、どうやらみられていたらしい。
「いや、金髪ピアスの不良中学生が、立派になったもんだなってふと思ってさ」
彼が荒れていた時期、ちょうど私は、一人暮らしを始めた頃で。たまたま実家に帰った時に、彼の家の惨状を聞いた。ほっぺのふくふくしたたいちゃんの記憶しかなかった私には、衝撃的な話で。心配になって、彼の家に様子を伺いがてら、週二日だけ夕飯を作りに行っていた。
ご飯を作りに行っても、たいちゃんは帰ってくるのかこないのかわからないし、おじおばも仕事で遅いので、誰とも顔を合わさずに帰ることが多かった。だから初めは、「また〇〇日に来るよ」と置き手紙を残していた。
するとそのうち、私が来る日だけは早く帰るようになった。それでも口はきいてくれなかったけど。
「沙織、頬の傷、まだある?」
お絵描きに夢中になっている子どもたちを背後に残し、彼はキッチンにやってきた。モラハラ夫から逃げるようにやってきたアパートのキッチンは、古くて狭い。成人男性が一人入ると、一気に窮屈になる。
「あるけど、お化粧すれば目立たないよ、ほら」
「なんか沙織、ファンデーション厚塗りになってね」
「うるさい」
冗談だよ、と、まだちょっとだけあどけなさを残す童顔が笑った。彼の家に行っていた時、彼が私に手当たり次第に物を投げつけたことがあった。投げられたものが頬に当たって、何針か縫ったのだ。縫った時はショックだったけど、そのことがきっかけとなったかは知らないが、私が怪我をしたあたりから、彼はパッタリと悪い遊びをやめたのだ。
たいちゃんのお陰もあり、一気に食事の準備は進んだ。たくさんのご馳走を目の前に、子どもたちはほっぺたを目一杯膨らませ、お腹がパンパンになるまで食べていた。最近はこうして、和やかな食卓を子どもたちと囲めることが幸せで仕方がない。
少し前までは夫に全てを支配され、管理されていた。どんなに仕事で疲れていても、チリ一つ落ちていたら「掃除ができていない」とこっぴどく叱られたし、ご飯の味も毎回評点が付けられた。子どもが粗相をすれば「お前の躾が行き届いていないからだ」と怒鳴られ、奴隷のような生活をしていた。
離婚して生活は苦しくなったし、体力的にもしんどいけれど。心の平穏を得られたことが何より嬉しい。
私は食器を片付けようと席を立った。だが、うっかり大皿が手の間から滑り落ちてしまった。
––––ガシャン
薄水色の陶器の破片が、その場に撒き散らされる。咄嗟に出た大きな音に、反射的に頭を覆った。
「ごめんなさい!」
動悸がする。頬からは血の気がひき、手は小刻みに震えている気がする。動揺しながらも、子どもたちの方に目をやると、二人も同じく怯えた様子で、その場で抱き合っていた。
私たちの様子を見て状況を察したのか、たいちゃんは私に駆け寄ってきた。
「謝らなくていい。手ェ見せて」
私の手を取り、怪我がなかったことを確認すると、硬直した私の体を、彼は抱き寄せた。
「片付けは俺がするからさ、子どもら抱っこしてやってよ。もう、こんなことで謝んなくていいんだ。沙織に怪我がなくてよかった」
背中に添えられた温かな手の温もりに、「大丈夫だよ」という言葉に、私は涙が頬を伝うのを感じた。
(そうか……そうだよね。今までが普通じゃなかったんだ。普通は、私の心配をしてもらえるものなんだ)
私は彼にお礼を言って、不安げな顔で体を寄せ合う愛しい子どもたちを抱きかかえた。
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