上 下
28 / 35

不穏な影

しおりを挟む
「ふうん、座敷わらしか……どうりで」

「……どうしたの? ぼーっとしちゃって」

 真っ赤なイブニングドレスに身を包み、ピンク色のスパークリングワインを片手に持った女は、女性に支えられながら出ていく銀髪の男の背が消えていった方向を、じっとりと見守っていた。

 涼やかな濃紺の瞳は出口の方に固定されている。どんなに気をひこうとしても自分の方を見ようとしない彼女を、ホストの男は不思議そうに眺めていた。

 陶器のように白くて滑らかな肌は、思わず見惚れてしまうほどの美しさがあったが、どこか作り物のように感じられる。

 彼女の機嫌を取ろうとした男は、まるで中身が入っていないかのように軽い、彼女の細い手を握った。

 ようやく男の方を向いた彼女だったが、相変わらず感情の感じられない単調さで、言葉を口にする。

「あら、あなたの手、とても暖かいのね」

「君の手はずいぶん冷たいね。温めてあげるよ」

「そう、ありがとう。でも」

 女は三日月型に口角を上げ、真っ白な頭髪をかきあげると、不気味な笑いを浮かべた。

「私の心は、そんなものじゃあ温まらないのよ」


       ◇◇◇


 あのホストクラブでの出会い以降、悦子はひとりで響に会いにいくようになった。綺麗な洋服を着て、しっかりとお化粧をした彼女を、ハルキはなんとも言えない気持ちで毎回見送っている。「あなたもついてきたら?」と言われたが、二人が仲睦まじく過ごしているところなんて見たくなくて断った。

 昼間一緒に家にいる時も、彼女の口から「響さん」と言う単語が出てくることが増えてきている。その言葉を聞くたび、胸が苦しくなった。彼女が話す内容を完全にシャットダウンし、そそくさと外へ出てきてしまう。悦子はそんなハルキを怪訝な顔で見ていたが、いい加減察してほしい。

 ––––響さんだって、悦子さんの気をひこうと僕をVIPルームから追い出したくらいだし。人間と恋愛はしないっていつも言ってるけど、悦子さんに限っては違うかもしれない。

 それにいつもハルキのことを助けてくれる響が「悦子さんが好きだ」なんて言い出したら、それを止める権利なんてハルキにはない。

 ––––そうなってしまったら、どうしよう。

 どう考えたってハルキに勝ち目はない。こんな、能力もまともに使えない、役立たずの座敷わらしなんて。



 今日も仕事帰りにやってくる来店客の愚痴を聞きながら、ハルキはシェーカーを振る。初めあれだけ手間取っていたバーの仕事も、今は会話をしながらでも手間取らずにカクテルやおつまみの準備ができるようになった。マスターからは、「自分が定年したら店を継がないか」なんて言われていたりする。

 しばらく悦子と顔を合わせないように、夜はほぼ毎晩バーテンダーの仕事を入れることにした。昼は行く当てもなく散歩に出かけるのが日課になっている。

「ハルキくん、そろそろ休憩入っていいよ」

「あ、ありがとうございます」

 カウンターの奥にあるドアを開けて中に入る。資材が綺麗に整頓された、物置も兼ねている窮屈な休憩室のパイプ椅子に腰掛け、サンドイッチにかけられたラップを剥ぐ。

 本当は食べなくてもいいし、今は食べたい気分でもないのだが、せっかくマスターが用意してくれている食事なので、ありがたくいただくことにする。「作った人に感謝して食事は残さない」は、人間の頃から身についている習慣だ。

 控室に設置されている古ぼけたテレビの電源をつける。映し出されたのは、なにが面白いのかわからない深夜番組で。それを観ながらサンドイッチを口に運び、ふと気がついた。

 そういえば、これまで定期的に来ていた、「狐付き」の男性客が来ていない。

 不思議に思って響にスマホのメッセージで聞いてみる。仕事中だろうと思ったら、向こうも休憩中だったらしく、すぐに既読がついて返信がきた。

「……そういうことか……、っていうか、悦子さんも言ってよ。まあ、会う機会を減らしているから、言うタイミングがなかったのかな……」

 響のメッセージには、悦子から「結婚相手候補の紹介を停止してほしい」という申し出があった、と書いてあった。

 ハルキはパイプ椅子の背にもたれかかり、両手を組んで背筋を伸ばしたあと、机に突っ伏した。これはやはり、響のことが気に入ったから、もう紹介はいらないってことなんじゃないだろうか。

 ぼんやりとした疑いが、確信に変わっていく。口に含んだサンドイッチからは、味が消えていた。

 もしも二人が結ばれてしまったらどうしよう。自分はどこへ行けばいいんだろう。悦子に興味を惹かれて旅館を出て、彼女に恋をして。彼女と二人で幸せになりたくて、自分はここにいるのに。

「カフェ&バー座敷わらしのマスターをやるしかないのか……」

 腹の底から澱んだため息をつく。休憩時間が終わるギリギリまで、ハルキは立ち上がる気力が起きなくて、萎れたもやしみたいな格好のまま、しばらく佇んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

処理中です...