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座敷わらし、怒る
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翌朝。前の日とは打って変わって、今日は雲ひとつない快晴だった。天気予報を伝えるキャスターは「今年の夏一番の猛暑になります」と涼しい笑顔で伝えている。残念ながら、あやかしであるハルキに、暑さを感じる器官は備わっていないので、そんな予報を他人事のように眺めていた。
悦子は両親とお墓参りに出かけた。ハルキもついていこうとしたのだが、悦子に断られた。また罵詈雑言を浴びせられるところを、見せたくなかったのかもしれない。
彼女たちが家に帰ってきたのは十二時少し前。それと同時に悦子の弟夫婦が家にやってきたようで、家の中は急に賑やかになった。
「ひろしも恵さんも、大変だったでしょう。小さい子どもを連れての移動は、本当に骨が折れるからねえ」
そう言って、お母さんは穏やかな笑顔を弟夫婦に向ける。まるで人が変わったようだとハルキは思った。
「宗介は割とおとなしいから。そんなに大変でもないよ。なあ、宗介」
ひろしはそう赤ちゃんに呼びかけた。赤ちゃんは悦子のお父さんの腕の中にいて、小さな紅葉のような肉付きの良い手を、ワキワキと動かしている。悦子もその輪の中には加わっているのだが、ひとりだけまるで存在していないかのように、会話に入っていなかった。
それに気づいたのか、恵と呼ばれていたお嫁さんらしき人が、悦子に話題を振る。
「お義姉さんも、東京から車じゃあ、大変でしたよね。お仕事は最近どうなんですか」
声をかけられたことに、少し遅れて気づいた悦子が口を開こうとすると、遮るようにしてすかさずお母さんが口を開く。
「恵さんは優しいわねえ。そんなに心配しなくても大丈夫よ。遊んでばっかでろくに実家にも帰ってこなかったんだから。三年よ? 三年。信じられる? それに引き換え、ひろしと恵さんはうちのこともとっても気にしてくれて。ありがたいわあ」
「で、でも。ご活躍されていて、お仕事お忙しそうですし。うちはほら、近くに住んでいますから」
悦子を立てるように恵さんはそう言ったのだが、お母さんは悦子を横目で見ながら、また昨日と同様の態度を繰り返す。
「女の幸せはね、やっぱり結婚して子どもを持つ事が一番なのよ。私はこの子が行き遅れないか心配でね。格好もほら、風俗嬢みたいでしょ。本当にもう男を誘うような格好ばかりして。恵さんみたいに清楚な感じだったら、貰い手があったかもしれないけどねえ」
恵は気まずそうな顔をしつつも、どう反応して良いか迷ったのか、愛想笑いをした。
「悦子、恵さんを見習いなさい。仕事で偉くなったのかなんだか知らないけど、そのせいか言葉もきつくなって。ネットでも叩かれてるの見たわよ。みっともないったらありゃしない」
----悦子さん、ごめん、僕、もう我慢できないや。
◇◇◇
「こんにちはー! すみません、失礼します!」
母の嫌味の応酬に耐えている中に、大きな声が玄関の方から聞こえたかと思うと、こちらが答える前にずかずかとひとりの男が入ってきた。
「……誰だい、君は?」
思わず父がつぶやく。なんと居間には、幽体で悦子の近くに控えていたはずのハルキが、ジーンズに白いポロシャツ、そして、なぜか銀髪をぴっちりと撫で付けた七三ヘアーという奇妙ないでたちで入ってきていた。
どこから調達したのか、伊達メガネまでかけている。
「……ハルキ、あなたいったい、どうして」
「ちょっと、悦子、知り合いなの? 誰なのよこの子は」
母も怪訝な顔でハルキを見つめながら、悦子に小声で尋ねてきた。
「え……この人は……」
「初めまして! 悦子さんの恋人の、三枝ハルキです!」
「ハルキ、ちょっと、なにを言い始めるの」
緊張しているのか声がうわずっている。いったいどうするつもりなのか。
「話は聞かせていただきました!」
「聞かせていただきましたって、なにをよ」
悦子は思わずツッコミを入れた。
「あの、悦子さんは……言葉はきついですが、その言葉の裏に愛はあるし、僕はとっても好ましいと思っています」
家族全員の動きが止まっている。唯一聞こえているのは、甥っ子のまだ言葉になっていない話し声だけだ。
「悦子、あなた、大学生の子と付き合ってるの? ちょっと、なに考えてるのよ」
「僕は大学生ではありません! ちゃんと社会人ですし。年齢はえーと、ぎりぎり三十代くらいです!」
––––ぎりぎり三十代って。あなたどう頑張っても、見た目は二十三歳くらいが関の山でしょうが。まあ、実年齢を言わなかっただけまだマシか。
「お義母さん、いくらなんでも、ひどいです。なんでお嫁さんと悦子さんを比べるような真似するんですか。悦子さんは悦子さんで、頑張っています。頑張ったから、今の成功者の悦子さんがいるんじゃないですか」
「でも……ねえ。あんまり稼いでも、独身街道まっしぐらだし。言葉も顔もキツくなって、おまけに見た目も、こんな感じだしねえ」
「悦子さんから散々仕送りをもらっているのに、どうしてそんなことが言えるんですか。こんな豪邸に住めているのも悦子さんのおかげなのに、恥ずかしくないんですか。彼女がキツくなったのも、こんなに頑張って仕事してきたのも、お義母さんたちの生活をよくしたい一心で、頑張り続けてきたからなのに。自分達のために頑張ってきた彼女に、どうしてそんなひどいことが言えるんですか?」
母は眉を顰めた。そして今度は抗議の眼差しを悦子に向けてきた。
「……なんなの? 恩着せがましいわね。別に私は頼んでないわよ。悦子あなた、そんなふうに彼氏に話しているの? やあねえ、この子は」
悔しくて、言葉が出なかった。まさかそんなふうに言われるなんて思ってもいなくて、息が詰まる。
なぜこの人はそんなふうに彼の言葉を取ったのだろう。なんでこんな酷いことが言えるのだろう。
––––別に、私がしたことに、平伏して感謝してほしいわけじゃない。ただ、私は、あなたの喜ぶ顔が見たかっただけなのに。
「それに……お義母さんは、悦子さんの格好を否定的に言いますけど。お義母さんが好きなファッションと、悦子さんが好きなファッションが違ったって、いいじゃないですか。好みなんか、人それぞれなんですから。それに僕は、ちょっと色気が過ぎるくらいが、好みです!」
母の発言に傷ついていたところに飛び込んできた、ハルキの天然発言に、悦子は思わず頭を抱えた。
––––ちょっと、今、あなたの好み関係ないでしょう……。
「とにかく、えっと、なにが言いたかったかって言うと。そんなに悦子さんを蔑ろにしないでください。悦子さんはあなたの娘さんでしょ。貶すんじゃなくて、誇ってあげてください。こんなに努力家で、辛抱強くて、家族想いな彼女を」
ハルキは、悦子の手をぎゅっと握った。体温のないひんやりとした手だったけど、悦子にはそれが、不思議と温かく感じた。
「……私が悪いって言うわけ? 突然入ってきて礼儀知らずな子ね! まったく、悦子も、付き合う人間はちゃんと選びなさいよ」
他人にここまで言われて、まだそんなことを言うのか。さすがに腹が立って、二言三言言い返してやろうと口を開いたその時。
「母さん、いい加減にしなさい」
口を挟んだのは父だった。今まで一度も母に意見したことがなかった父が、初めて母に声を上げた瞬間だった。
「ハルキくん、と言ったね。悦子のことを大事にしてくれて、ありがとう。この人はね、きっと悦子が羨ましいんだ。自分の持ってないものを全部持っていると思っているんだね」
「私は羨ましがってなんかいないわよ! ただ、至らない娘を諌めてるだけで……」
「母さんがやってることはね、人格否定だよ。親だからって、なにを言ってもいいってわけじゃないんだ。……悦子、ごめんな。傷ついていたよな。……悪かった。父さんがもっと、母さんに注意するべきだったな……」
複雑な心境だった。父も母のわがままの被害者だったし、私は父に対しては加害者でもあった。そんな父が、自分のことを庇うようなことを言うなんて、信じられない気持ちだった。
「ハルキくん、悦子を連れて帰ってくれないか。今の環境じゃ、悦子もゆっくりできないだろう。……次に悦子が来るまでに、娘が本当の意味で骨休めができる場所になっているように、母さんとよく話しておくよ」
母はまだ怒り狂っていたが、父は表情を変えず、悦子とハルキを玄関まで送り出した。弟夫婦は突然のハルキの大立ち回りについていけず、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
◇◇◇
ハルキたちは、横須賀横浜道路をふたたび走っていた。ちょうどお昼の時間帯だからか、車の姿もまばらで、悦子の赤いミニは、大海原を泳ぐイルカのようにスイスイと先へ先へと進んでいく。
実家を出てから今まで、ずっと悦子は無言だった。ハルキも話題が見つからなくて、言葉を発せられずにいる。
そんな気まずい沈黙を破ったのは悦子だった。
「ハルキが急に飛び込んできた時はどうしようかと思ったわ」
「……ご、ごめん。どうしてもひと言、言いたくなっちゃって。あ、あと勝手に恋人だなんて言ってごめんね。でも他の関係性が思いつかなくて」
「まあ……婚約者とか名乗らなかっただけよしとするわ。でもなによ、その格好は」
「いや、ほら、初めてご両親に挨拶するわけだし。ちゃんとした格好をしなきゃって思ったんだけど、時間がなくて……とにかく真面目そうに見えるようにトランクの中にあるものを組み合わせて着たんだけど……ダメだった?」
「……ファッションとしてはダメダメだけど。面白かったからよしとするわ」
悦子の横顔は、笑っていた。さっきまでの寂しげな感情が完全に抜けたわけではなかったけど、清々しい顔をしていた。
「ハルキ、ありがとうね」
「いえいえ、僕は言いたいことを言っただけだから」
「私、あなたのそういうまっすぐなところ、好きよ」
心臓が音を立てて鳴った。いや、正確には、心臓はないのだが。鳴ったような気がした。
だけどそれと同時に、少しの寂しさも押し寄せた。
やっと悦子に言ってもらえた「好き」というひと言だったが。
それはハルキが欲しい「好き」とは、違う気がしたから。
悦子は両親とお墓参りに出かけた。ハルキもついていこうとしたのだが、悦子に断られた。また罵詈雑言を浴びせられるところを、見せたくなかったのかもしれない。
彼女たちが家に帰ってきたのは十二時少し前。それと同時に悦子の弟夫婦が家にやってきたようで、家の中は急に賑やかになった。
「ひろしも恵さんも、大変だったでしょう。小さい子どもを連れての移動は、本当に骨が折れるからねえ」
そう言って、お母さんは穏やかな笑顔を弟夫婦に向ける。まるで人が変わったようだとハルキは思った。
「宗介は割とおとなしいから。そんなに大変でもないよ。なあ、宗介」
ひろしはそう赤ちゃんに呼びかけた。赤ちゃんは悦子のお父さんの腕の中にいて、小さな紅葉のような肉付きの良い手を、ワキワキと動かしている。悦子もその輪の中には加わっているのだが、ひとりだけまるで存在していないかのように、会話に入っていなかった。
それに気づいたのか、恵と呼ばれていたお嫁さんらしき人が、悦子に話題を振る。
「お義姉さんも、東京から車じゃあ、大変でしたよね。お仕事は最近どうなんですか」
声をかけられたことに、少し遅れて気づいた悦子が口を開こうとすると、遮るようにしてすかさずお母さんが口を開く。
「恵さんは優しいわねえ。そんなに心配しなくても大丈夫よ。遊んでばっかでろくに実家にも帰ってこなかったんだから。三年よ? 三年。信じられる? それに引き換え、ひろしと恵さんはうちのこともとっても気にしてくれて。ありがたいわあ」
「で、でも。ご活躍されていて、お仕事お忙しそうですし。うちはほら、近くに住んでいますから」
悦子を立てるように恵さんはそう言ったのだが、お母さんは悦子を横目で見ながら、また昨日と同様の態度を繰り返す。
「女の幸せはね、やっぱり結婚して子どもを持つ事が一番なのよ。私はこの子が行き遅れないか心配でね。格好もほら、風俗嬢みたいでしょ。本当にもう男を誘うような格好ばかりして。恵さんみたいに清楚な感じだったら、貰い手があったかもしれないけどねえ」
恵は気まずそうな顔をしつつも、どう反応して良いか迷ったのか、愛想笑いをした。
「悦子、恵さんを見習いなさい。仕事で偉くなったのかなんだか知らないけど、そのせいか言葉もきつくなって。ネットでも叩かれてるの見たわよ。みっともないったらありゃしない」
----悦子さん、ごめん、僕、もう我慢できないや。
◇◇◇
「こんにちはー! すみません、失礼します!」
母の嫌味の応酬に耐えている中に、大きな声が玄関の方から聞こえたかと思うと、こちらが答える前にずかずかとひとりの男が入ってきた。
「……誰だい、君は?」
思わず父がつぶやく。なんと居間には、幽体で悦子の近くに控えていたはずのハルキが、ジーンズに白いポロシャツ、そして、なぜか銀髪をぴっちりと撫で付けた七三ヘアーという奇妙ないでたちで入ってきていた。
どこから調達したのか、伊達メガネまでかけている。
「……ハルキ、あなたいったい、どうして」
「ちょっと、悦子、知り合いなの? 誰なのよこの子は」
母も怪訝な顔でハルキを見つめながら、悦子に小声で尋ねてきた。
「え……この人は……」
「初めまして! 悦子さんの恋人の、三枝ハルキです!」
「ハルキ、ちょっと、なにを言い始めるの」
緊張しているのか声がうわずっている。いったいどうするつもりなのか。
「話は聞かせていただきました!」
「聞かせていただきましたって、なにをよ」
悦子は思わずツッコミを入れた。
「あの、悦子さんは……言葉はきついですが、その言葉の裏に愛はあるし、僕はとっても好ましいと思っています」
家族全員の動きが止まっている。唯一聞こえているのは、甥っ子のまだ言葉になっていない話し声だけだ。
「悦子、あなた、大学生の子と付き合ってるの? ちょっと、なに考えてるのよ」
「僕は大学生ではありません! ちゃんと社会人ですし。年齢はえーと、ぎりぎり三十代くらいです!」
––––ぎりぎり三十代って。あなたどう頑張っても、見た目は二十三歳くらいが関の山でしょうが。まあ、実年齢を言わなかっただけまだマシか。
「お義母さん、いくらなんでも、ひどいです。なんでお嫁さんと悦子さんを比べるような真似するんですか。悦子さんは悦子さんで、頑張っています。頑張ったから、今の成功者の悦子さんがいるんじゃないですか」
「でも……ねえ。あんまり稼いでも、独身街道まっしぐらだし。言葉も顔もキツくなって、おまけに見た目も、こんな感じだしねえ」
「悦子さんから散々仕送りをもらっているのに、どうしてそんなことが言えるんですか。こんな豪邸に住めているのも悦子さんのおかげなのに、恥ずかしくないんですか。彼女がキツくなったのも、こんなに頑張って仕事してきたのも、お義母さんたちの生活をよくしたい一心で、頑張り続けてきたからなのに。自分達のために頑張ってきた彼女に、どうしてそんなひどいことが言えるんですか?」
母は眉を顰めた。そして今度は抗議の眼差しを悦子に向けてきた。
「……なんなの? 恩着せがましいわね。別に私は頼んでないわよ。悦子あなた、そんなふうに彼氏に話しているの? やあねえ、この子は」
悔しくて、言葉が出なかった。まさかそんなふうに言われるなんて思ってもいなくて、息が詰まる。
なぜこの人はそんなふうに彼の言葉を取ったのだろう。なんでこんな酷いことが言えるのだろう。
––––別に、私がしたことに、平伏して感謝してほしいわけじゃない。ただ、私は、あなたの喜ぶ顔が見たかっただけなのに。
「それに……お義母さんは、悦子さんの格好を否定的に言いますけど。お義母さんが好きなファッションと、悦子さんが好きなファッションが違ったって、いいじゃないですか。好みなんか、人それぞれなんですから。それに僕は、ちょっと色気が過ぎるくらいが、好みです!」
母の発言に傷ついていたところに飛び込んできた、ハルキの天然発言に、悦子は思わず頭を抱えた。
––––ちょっと、今、あなたの好み関係ないでしょう……。
「とにかく、えっと、なにが言いたかったかって言うと。そんなに悦子さんを蔑ろにしないでください。悦子さんはあなたの娘さんでしょ。貶すんじゃなくて、誇ってあげてください。こんなに努力家で、辛抱強くて、家族想いな彼女を」
ハルキは、悦子の手をぎゅっと握った。体温のないひんやりとした手だったけど、悦子にはそれが、不思議と温かく感じた。
「……私が悪いって言うわけ? 突然入ってきて礼儀知らずな子ね! まったく、悦子も、付き合う人間はちゃんと選びなさいよ」
他人にここまで言われて、まだそんなことを言うのか。さすがに腹が立って、二言三言言い返してやろうと口を開いたその時。
「母さん、いい加減にしなさい」
口を挟んだのは父だった。今まで一度も母に意見したことがなかった父が、初めて母に声を上げた瞬間だった。
「ハルキくん、と言ったね。悦子のことを大事にしてくれて、ありがとう。この人はね、きっと悦子が羨ましいんだ。自分の持ってないものを全部持っていると思っているんだね」
「私は羨ましがってなんかいないわよ! ただ、至らない娘を諌めてるだけで……」
「母さんがやってることはね、人格否定だよ。親だからって、なにを言ってもいいってわけじゃないんだ。……悦子、ごめんな。傷ついていたよな。……悪かった。父さんがもっと、母さんに注意するべきだったな……」
複雑な心境だった。父も母のわがままの被害者だったし、私は父に対しては加害者でもあった。そんな父が、自分のことを庇うようなことを言うなんて、信じられない気持ちだった。
「ハルキくん、悦子を連れて帰ってくれないか。今の環境じゃ、悦子もゆっくりできないだろう。……次に悦子が来るまでに、娘が本当の意味で骨休めができる場所になっているように、母さんとよく話しておくよ」
母はまだ怒り狂っていたが、父は表情を変えず、悦子とハルキを玄関まで送り出した。弟夫婦は突然のハルキの大立ち回りについていけず、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
◇◇◇
ハルキたちは、横須賀横浜道路をふたたび走っていた。ちょうどお昼の時間帯だからか、車の姿もまばらで、悦子の赤いミニは、大海原を泳ぐイルカのようにスイスイと先へ先へと進んでいく。
実家を出てから今まで、ずっと悦子は無言だった。ハルキも話題が見つからなくて、言葉を発せられずにいる。
そんな気まずい沈黙を破ったのは悦子だった。
「ハルキが急に飛び込んできた時はどうしようかと思ったわ」
「……ご、ごめん。どうしてもひと言、言いたくなっちゃって。あ、あと勝手に恋人だなんて言ってごめんね。でも他の関係性が思いつかなくて」
「まあ……婚約者とか名乗らなかっただけよしとするわ。でもなによ、その格好は」
「いや、ほら、初めてご両親に挨拶するわけだし。ちゃんとした格好をしなきゃって思ったんだけど、時間がなくて……とにかく真面目そうに見えるようにトランクの中にあるものを組み合わせて着たんだけど……ダメだった?」
「……ファッションとしてはダメダメだけど。面白かったからよしとするわ」
悦子の横顔は、笑っていた。さっきまでの寂しげな感情が完全に抜けたわけではなかったけど、清々しい顔をしていた。
「ハルキ、ありがとうね」
「いえいえ、僕は言いたいことを言っただけだから」
「私、あなたのそういうまっすぐなところ、好きよ」
心臓が音を立てて鳴った。いや、正確には、心臓はないのだが。鳴ったような気がした。
だけどそれと同時に、少しの寂しさも押し寄せた。
やっと悦子に言ってもらえた「好き」というひと言だったが。
それはハルキが欲しい「好き」とは、違う気がしたから。
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