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座敷わらし、セレクトショップで服を買う
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晴海のマンションにやって来てから、三日が過ぎた。
新聞とテレビ、そして悦子の持っていた雑誌などにも目を通し、なんとなくではあるが、ハルキは現代の都会のことがわかってきた。
大都会東京は、引きこもり生活の長いハルキにとってはとてつもなく複雑だ。地下鉄の路線図は迷路のようで訳がわからないし、乗れる気もしない。狭い土地にびっしりと建てられた建物は、見ているだけで呼吸困難を起こしてしまいそうで。あちこちに設置されたデジタルサイネージに目がチカチカする。
それでも少しでも早く新しい街に慣れるため、なるべく人の少ない時間帯を選んで、ハルキは外に出てみることにした。東京の街をゆく人々は、なんだか急かせかしていて、窮屈そうで、毎日しんどそうで。悦子のようにハツラツと生きている人は、そう多くないのだということがわかった。
––––生きてる人間たちも大変だねえ。
そんなことを考えつつ、ハルキは表参道という街に出てきていた。悦子から指令を受けてお使いに出てきているのだ。指令の内容は、「一緒に外へ出ても恥ずかしくない格好をそろえて来い」である。
彼女が渡してくれた現金入りの封筒を握りしめる。一緒に来てよ、とお願いしたのだが、「今日は車を修理に持っていく日だから!」とだけ言い残し、さっさと出かけられてしまった。
おすすめのお店の地図を確認しながら、東京の雑踏の中をフラフラと漂う。横文字の店名を探すのに手間取ったが、なんとか無事に目的地にたどり着くことができた。
「ここかあ。ひゃー、おしゃれだなあ。初めて入るよ、こんなお店」
ル・ジャルダンと読むらしきその店は、悦子が男性向けにプレゼントを買う時に使う服飾店らしい。ここで、パーティ用スーツ一式と、普段着をひと揃え五日分買ってこいと言われている。自分に一人で服を選ぶセンスがあるとは思えないと反論したら、店長に任せれば大丈夫だと言われてしまった。はっきりそうは言わなかったが、どうやら店に二人できて、ハルキとカップルに見られるのが嫌なようだった。
––––まあ、結婚相手を探すつもりなんだから、若い男を囲ってると思われたくないのはわかる。実体になれるって知った時も相当動揺していたし、マンションへの出入りも必ず幽体でって言われているし。
店の前で実体を現すと、パリッとしたスーツを着てオールバックに髪を固めた店員らしき男が焦って駆け寄ってきた。胸につけている黒地のネームプレートには、金色の文字で藤村と刻まれている。悦子が言っていた店長だ。
「お、お客様! 本日はどのようなご用件で」
怪訝な顔をしている店長を見て、自分がボロボロの座敷わらしの着物のままだったことを思い出した。悦子に「せめてジャージで行け」と言われていたのだが。やはり元カレの服は嫌だったので、このままの格好で来たのだ。
浮浪者同然の格好をした若者が店の前に現れたら、高級店としては困るかもしれないし、たぶんこのままだと相手にされない。だからといって幽体に戻るわけにもいかない。
腕を組んでウンウン唸ったあと、ハルキは悦子から渡されていた現金の紙袋をそのまま手渡してみることにした。
「僕の彼女がここで服を揃えて来いって。これ予算。必要なものは、このメモに彼女が書いてくれてあるよ」
「……! お客様、奥のお部屋へどうぞ」
目が飛び出して落っこちそうな顔をしていたが、いったい彼女はいくら包んでくれたのだろうか。
店内をうろうろされると困ると思ったのか、藤村店長はハルキを更衣室に案内した。ハルキとしてもフロアで晒し者になるよりずっといいので、おとなしくついていくことにする。とりあえず店の中に入れてもらえてホッとした。
試着室の前に差し掛かった時、隣の試着室から派手な金髪のイケメンと、キャリアウーマン風の美女が腕を組んで出てきた。男の方は細身の黒いジーンズに、体の線にあったぴったりしたデザインの白シャツを着ていて、ゴテゴテとしたネックレスをつけている。
––––おや? この人、もしかして。
ハルキがじっと見ていたのに気づいたのか、金髪のイケメンもこちらを見た。釣り上がった切長の瞳が印象的な人だった。目があった瞬間、藤村さんに声をかけられてしまったので、ハルキは試着室の方に向き直ったが。
––––あれは、たぶんあやかしだ。それも、僕よりずっと偉い方の。気配が人間じゃあないもの。
できればお知り合いになりたい。結婚相手探しを条件に居候をしているので、早急に手立ては考えなければいけなかった。ハルキが一人でできることなど、実際人間一人ができることと変わらない。
「あの、お客様。お履き物をこちらでお脱ぎください」
ソワソワし始めたハルキに、お伺いを立てるように藤村が声をかけた。
我に返ったハルキは、「まずは悦子さんのお使いをすまさねば」と思い直し、藤村の言葉に返答する。
「履き物履いてないんですよね。素足で」
「……あー、なるほど。……都会のアスファルトはなかなか熱くありませんか?」
「んー。僕、若干浮いてるんで。そんなには感じませんね。あ、熱気みたいなのは感じますけど」
「……あっ、うーん。そうですか……浮いて……。お召し物はいかがいたしましょうか。なかなか斬新なデザインの素敵なお洋服だとは思いますが、だいぶ傷んでいらっしゃいますので」
「ああ……そうだねえ。じゃあ、捨てておいてもらおうかなあ」
藤村はハルキの服を入れるためのかごを用意してくれ、メモの通りのひと揃えを選別しに売り場に戻った。こんなふうに買い物をすることも、そもそも服をひとりで買うという体験も初めてなので、なんだかワクワクする。
「お客様、お開けしてよろしいでしょうか」
「あ、どうぞ」
「では、失礼しま……えっ。全裸、えっ」
「あ、僕着物の下はなにもつけない派で」
「……なるほど、では下着類から用意せねばですね……」
困った顔をしていた藤村だったが。さすが悦子がベタ褒めするだけあって、彼が選んでくれた洋服は完璧で。顔とスタイルだけはいいので、ハルキはボロボロの座敷わらし姿の時とは見違えるような現代風のイケメンに仕上がった。
藤村に促され、試着室から出て、店内の大鏡の前でも自分の姿を確認する。
「これなら、彼女も喜んでくれるかなあ」
「ええ、ええ! きっと喜んでいただけると思いますよ! ただ……お客様。僭越ながら申し上げると、髪は切られた方がいいです。今の髪型は野生のオオカミ……いや、ワイルドで素敵ですが、野生みが強すぎますので……」
「なるほど……」
雑誌で読んだ「無造作ヘアー」にも見えなくはないけど、ちょっと汚らしくはあるのかもしれない。
「なあ」
じっと鏡を覗き込んでいるところへ、急に声をかけられて驚く。僕のうしろに、いつの間にかさっきの金髪の男が立っていたのだ。キャリアウーマン風の彼女は先に帰らせたのか、店内には彼ひとりしか残っていないようだ。
「俺がいい美容室、紹介してやるよ。座敷わらしの坊ちゃん」
初め、彼がなにを言っているのかわからなかった。が、一拍置いて自分の正体が言い当てられたのだということに気づき、困惑した。
「えっ、なんで僕が座敷わらしってわかったの」
とまどい気味にそう聞くと、男は薄く笑った。
「俺もあやかしだからだよ。お前も気づいていただろ」
金髪の男の体から、もやもやとした紫色の湯気のようなものが上がる。少し毛足の長い髪をかき分けるようにして、白いふわふわの耳が飛び出し、細身のジーンズのお尻の部分からは、もふもふのしっぽが躍り出た。
「化けぎつね……?」
「そういうことさ。見たところお上りさんて感じだなぁ、お前。俺は、因幡五狐に数えられる恩志の狐。名を響っていうんだ。美容室探してるんなら、ちょっと付き合えよ。紹介してやるから」
渡りに船とはこのことだろうか。人間時代は「知らない人にはついていくな」とよく言われたものだが。
「ついてくるのか、来ねえのか、はっきりしろ」
その場でキョドキョドするハルキをせっつくように、響は先の尖った靴で床を鳴らした。
「い、行きます!」
––––仲良くなれば、色々知恵を貸してくれるかもしれないし。響さんと仲良くなっておいて損はないよね!
響にとって食われないことを祈りつつ。ハルキは成り行きに任せ、彼のあとについていくことにしたのだった。
新聞とテレビ、そして悦子の持っていた雑誌などにも目を通し、なんとなくではあるが、ハルキは現代の都会のことがわかってきた。
大都会東京は、引きこもり生活の長いハルキにとってはとてつもなく複雑だ。地下鉄の路線図は迷路のようで訳がわからないし、乗れる気もしない。狭い土地にびっしりと建てられた建物は、見ているだけで呼吸困難を起こしてしまいそうで。あちこちに設置されたデジタルサイネージに目がチカチカする。
それでも少しでも早く新しい街に慣れるため、なるべく人の少ない時間帯を選んで、ハルキは外に出てみることにした。東京の街をゆく人々は、なんだか急かせかしていて、窮屈そうで、毎日しんどそうで。悦子のようにハツラツと生きている人は、そう多くないのだということがわかった。
––––生きてる人間たちも大変だねえ。
そんなことを考えつつ、ハルキは表参道という街に出てきていた。悦子から指令を受けてお使いに出てきているのだ。指令の内容は、「一緒に外へ出ても恥ずかしくない格好をそろえて来い」である。
彼女が渡してくれた現金入りの封筒を握りしめる。一緒に来てよ、とお願いしたのだが、「今日は車を修理に持っていく日だから!」とだけ言い残し、さっさと出かけられてしまった。
おすすめのお店の地図を確認しながら、東京の雑踏の中をフラフラと漂う。横文字の店名を探すのに手間取ったが、なんとか無事に目的地にたどり着くことができた。
「ここかあ。ひゃー、おしゃれだなあ。初めて入るよ、こんなお店」
ル・ジャルダンと読むらしきその店は、悦子が男性向けにプレゼントを買う時に使う服飾店らしい。ここで、パーティ用スーツ一式と、普段着をひと揃え五日分買ってこいと言われている。自分に一人で服を選ぶセンスがあるとは思えないと反論したら、店長に任せれば大丈夫だと言われてしまった。はっきりそうは言わなかったが、どうやら店に二人できて、ハルキとカップルに見られるのが嫌なようだった。
––––まあ、結婚相手を探すつもりなんだから、若い男を囲ってると思われたくないのはわかる。実体になれるって知った時も相当動揺していたし、マンションへの出入りも必ず幽体でって言われているし。
店の前で実体を現すと、パリッとしたスーツを着てオールバックに髪を固めた店員らしき男が焦って駆け寄ってきた。胸につけている黒地のネームプレートには、金色の文字で藤村と刻まれている。悦子が言っていた店長だ。
「お、お客様! 本日はどのようなご用件で」
怪訝な顔をしている店長を見て、自分がボロボロの座敷わらしの着物のままだったことを思い出した。悦子に「せめてジャージで行け」と言われていたのだが。やはり元カレの服は嫌だったので、このままの格好で来たのだ。
浮浪者同然の格好をした若者が店の前に現れたら、高級店としては困るかもしれないし、たぶんこのままだと相手にされない。だからといって幽体に戻るわけにもいかない。
腕を組んでウンウン唸ったあと、ハルキは悦子から渡されていた現金の紙袋をそのまま手渡してみることにした。
「僕の彼女がここで服を揃えて来いって。これ予算。必要なものは、このメモに彼女が書いてくれてあるよ」
「……! お客様、奥のお部屋へどうぞ」
目が飛び出して落っこちそうな顔をしていたが、いったい彼女はいくら包んでくれたのだろうか。
店内をうろうろされると困ると思ったのか、藤村店長はハルキを更衣室に案内した。ハルキとしてもフロアで晒し者になるよりずっといいので、おとなしくついていくことにする。とりあえず店の中に入れてもらえてホッとした。
試着室の前に差し掛かった時、隣の試着室から派手な金髪のイケメンと、キャリアウーマン風の美女が腕を組んで出てきた。男の方は細身の黒いジーンズに、体の線にあったぴったりしたデザインの白シャツを着ていて、ゴテゴテとしたネックレスをつけている。
––––おや? この人、もしかして。
ハルキがじっと見ていたのに気づいたのか、金髪のイケメンもこちらを見た。釣り上がった切長の瞳が印象的な人だった。目があった瞬間、藤村さんに声をかけられてしまったので、ハルキは試着室の方に向き直ったが。
––––あれは、たぶんあやかしだ。それも、僕よりずっと偉い方の。気配が人間じゃあないもの。
できればお知り合いになりたい。結婚相手探しを条件に居候をしているので、早急に手立ては考えなければいけなかった。ハルキが一人でできることなど、実際人間一人ができることと変わらない。
「あの、お客様。お履き物をこちらでお脱ぎください」
ソワソワし始めたハルキに、お伺いを立てるように藤村が声をかけた。
我に返ったハルキは、「まずは悦子さんのお使いをすまさねば」と思い直し、藤村の言葉に返答する。
「履き物履いてないんですよね。素足で」
「……あー、なるほど。……都会のアスファルトはなかなか熱くありませんか?」
「んー。僕、若干浮いてるんで。そんなには感じませんね。あ、熱気みたいなのは感じますけど」
「……あっ、うーん。そうですか……浮いて……。お召し物はいかがいたしましょうか。なかなか斬新なデザインの素敵なお洋服だとは思いますが、だいぶ傷んでいらっしゃいますので」
「ああ……そうだねえ。じゃあ、捨てておいてもらおうかなあ」
藤村はハルキの服を入れるためのかごを用意してくれ、メモの通りのひと揃えを選別しに売り場に戻った。こんなふうに買い物をすることも、そもそも服をひとりで買うという体験も初めてなので、なんだかワクワクする。
「お客様、お開けしてよろしいでしょうか」
「あ、どうぞ」
「では、失礼しま……えっ。全裸、えっ」
「あ、僕着物の下はなにもつけない派で」
「……なるほど、では下着類から用意せねばですね……」
困った顔をしていた藤村だったが。さすが悦子がベタ褒めするだけあって、彼が選んでくれた洋服は完璧で。顔とスタイルだけはいいので、ハルキはボロボロの座敷わらし姿の時とは見違えるような現代風のイケメンに仕上がった。
藤村に促され、試着室から出て、店内の大鏡の前でも自分の姿を確認する。
「これなら、彼女も喜んでくれるかなあ」
「ええ、ええ! きっと喜んでいただけると思いますよ! ただ……お客様。僭越ながら申し上げると、髪は切られた方がいいです。今の髪型は野生のオオカミ……いや、ワイルドで素敵ですが、野生みが強すぎますので……」
「なるほど……」
雑誌で読んだ「無造作ヘアー」にも見えなくはないけど、ちょっと汚らしくはあるのかもしれない。
「なあ」
じっと鏡を覗き込んでいるところへ、急に声をかけられて驚く。僕のうしろに、いつの間にかさっきの金髪の男が立っていたのだ。キャリアウーマン風の彼女は先に帰らせたのか、店内には彼ひとりしか残っていないようだ。
「俺がいい美容室、紹介してやるよ。座敷わらしの坊ちゃん」
初め、彼がなにを言っているのかわからなかった。が、一拍置いて自分の正体が言い当てられたのだということに気づき、困惑した。
「えっ、なんで僕が座敷わらしってわかったの」
とまどい気味にそう聞くと、男は薄く笑った。
「俺もあやかしだからだよ。お前も気づいていただろ」
金髪の男の体から、もやもやとした紫色の湯気のようなものが上がる。少し毛足の長い髪をかき分けるようにして、白いふわふわの耳が飛び出し、細身のジーンズのお尻の部分からは、もふもふのしっぽが躍り出た。
「化けぎつね……?」
「そういうことさ。見たところお上りさんて感じだなぁ、お前。俺は、因幡五狐に数えられる恩志の狐。名を響っていうんだ。美容室探してるんなら、ちょっと付き合えよ。紹介してやるから」
渡りに船とはこのことだろうか。人間時代は「知らない人にはついていくな」とよく言われたものだが。
「ついてくるのか、来ねえのか、はっきりしろ」
その場でキョドキョドするハルキをせっつくように、響は先の尖った靴で床を鳴らした。
「い、行きます!」
––––仲良くなれば、色々知恵を貸してくれるかもしれないし。響さんと仲良くなっておいて損はないよね!
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